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XV
今も、そして先程ヨハンがモーリッツの名を口にしたときも、たった一瞬、動揺の色が見えた。見逃す訳はない。主人は隠し事をするのが得意だが、注意深く観察していくうちにだんだんとおかしな様子を感じ取ることができるようになってきた。
そして何であろうと隠されるのは気に食わない。何故なら、彼はヨハンに従順である筈だからだ。
「何も隠してなどいない。伯爵にも説明した、あれが理由だ」
だというのに、ヨハンが予想した答えとはまるで違う。知られたくないことから逃れようと、深緑の目があらぬほうへ向こうとするのを、顎を掴み無理やりに阻む。
「お嬢様が泣いてたのも関係あるんじゃねえのか? 上辺の理由なんか聞いたところで何になる。どういうことかちゃんと説明しろよ」
「……、何かを隠していたとしても……」
ヨハンの胸を腕で押しのけ、アルベルトはヨハンを睨みつけた。
苦しみを堪えるようにも見える、しかし明確な拒絶を宿した瞳で。
「お前には一切関係のないことだ。従者ごときが家の問題に口を挟むな」
ずっと燻っていたものが、頭の天辺まで沸き上がる感覚があった。
アルベルトの胸ぐらを掴み、力任せに引き上げる。何より憎たらしい男の顔を眼前に突き合わせ、低く喉を鳴らした。
「オレはモーリッツって奴の代わりか」
「……え」
背筋を這う感触にアルベルトが呼吸を乱す。着衣の隙間から侵入した手のひらが、骨と筋肉の凹凸をなぞっていく。冷たい指先が熱を孕んだ皮膚を這い上り、じわじわと境界を曖昧にする。
「あ……あ、やめ……やめろ、あ、はッ……」
「あの男にも同じことをさせてたんだろ? 娼婦みたいにしな作って、誘い込んでたんだろ」
「何を……ッ、あぐっ」
苦しげに息を吐き出す口に人差し指と中指を滑り込ませ、上顎を撫でる。粘ついた唾液と熱い息がヨハンの指に絡む。指先を更に奥へ、舌の上に滑らせていく。
ヨハンを睨みつける目尻が濡れていくが、だからといってやめる気はなかった。情欲とは程遠い怒りの感情だけが今の自分を突き動かしている。
「ぉぐ……ぐぅぅ、ンン゛ッ……っえ゛……」
舌の付け根まで届いたところで、抵抗が弱まった。ようやく無駄と悟ったのかと思ったが、アルベルトの股間が不自然に腫れているのを確かめてからはヨハンの嗜虐衝動はより増した。
苦痛に喘ぐ喉を肌の上からなぞり、嘲笑を吐く。
「口の中でも感じてんのか。どうしようもねえな」
「……っ……、おはえ、が、あんなものを着けさせるから……っ」
そう言いながらアルベルトは自らの下肢をすり合わせ、服の裾で覆おうとする。発情していることはお見通しなのに、この期に及んで隠せると思うのだろうか。
「そうだっけ? その割に普通の顔してたじゃねえか。案外平気だったりしてな」
「平気な訳がないだろう!? 一時でも気を抜けないと思って……それなのにお前は……」
知ったことではない。こうなるとは予想していなかった。しかし些細なことだ。今もっとも大事なのは、ヨハンの手によって彼が発情したという事実である。
腰を抱え込み、指の数を増やし更に奥までアルベルトの咥内を埋めると喉奥が侵入を拒むように指先を締めつけた。唾液が溢れ、滑りがよくなった中を、ゆっくりと掻き回す。何かを訴えるような視線がヨハンを見上げる。柔らかく熱く包み込み痙攣する様は、アルベルトの胎内に挿入したときと似た感覚を思い起こさせる。
「ごほッ♡ お゛ッ……あ゛、ん゛ぅ……ッ♡ ぉ゛、……♡」
生き物のようにうねる舌が指を追う。それをかわし、わざと唇の表面をくすぐったりしていると口を窄め誘い込むように吸いついてくる。抜き差しする動きに合わせて腰も揺れ、抑制の利かない身体すべてでヨハンを求め、雌のように絡みつく。
この姿を知っているのは、自分だけだと思っていた。その筈だった。しかし間違いだったのだ。
抉じ開け、限界まで埋める。ある時アルベルトの下半身が一際大きく波打った。
「んん゛ぅぅう゛ッッ♡♡」
ヨハンの手首を両手で力強く掴んだまま、彼の身体が絶頂に震える。下ろした視線の先には衣服へ濃い染みが広がっていく。あまりの事に、ヨハンのほうも一瞬思考が止まり呆然とする。
ごぽ、と指の隙間を縫い唾液が溢れ、おもむろに引き抜いた。ぽっかりと口を開け放心状態でいるアルベルトの顔を掴む。だらしなく歪んだ表情。しかし、ヨハンと視線を合わせようとはしない。
自然と指先に力が籠もる。
「はあ、はぁ……ッ、はー……♡」
「……頭、冷えたか? もうオレに隠し事しねえよな。教えてくれよ」
静かな声色でアルベルトの顔を覗き込む。彼は肩で息をしながら、ゆるゆると首を振った。
まだ足りない。まだ口を割る気がないのか。何故、隠すのか。
……そもそも何を知りたいのだろう。頭の中が乱雑に散らかっていて整理がつかない。
「今目の前にいるのは誰だ? 喉や乳首でイケるようになった原因も毎晩抱いてやってんのもオレだろ? あんたはオレの奴隷だろ。隠し事なんかしていい筈がねえ」
奴隷になることを選んだのはアルベルト本人だ。いついかなる時も従順であるべきであり、実際これまではそうだった。だからこれからもそうでなければならない。
彼が望むものを与えれば、いよいよ口を割る気にもなるだろう。そう思い至ったヨハンは彼の顎を持ち上げ、その唇へ食らいつこうとした。
――乾いた音が鳴る。頬に鋭い痛みが走った。
「……力尽くで俺を従えた気になるとは、侘しい男だな、お前は」
氷のように冷ややかな言葉が耳鳴りに紛れて聞こえてくる。
殴られた。しかもかなりの力で。あれだけ褒めちぎっていた男の顔を殴るなど信じられない。いや、今はそんなことはどうでもいい。それをさせたのは間違いなく自分だ。
不満を込めてアルベルトを睨む。彼は俯いたままヨハンを突き飛ばし、ふらつきながらも自分の足で立つ。汚れた顔を袖口で拭い、力なく呟く。
「頭を冷やすべきはお前のほうだ。今のお前には何も話したくない」
「……しらばくれるつもりかよ」
「話したところできっとお前は理解できまい」
背中越しにそう吐き捨て、アルベルトは立ち竦むヨハンを置き去りにし屋敷へ入っていった。しばらくその場に留まっていると、地面にぽつぽつと点が落ち、徐々に雨足が激しくなる。
熱を持った頬に雫が当たる感覚が不快に思え、舌打ちを零した。
「てめえが美しいだの何だの言ってたんだろうが……少しは手加減しろ」
形容し難い感情は、アルベルトに会う前よりも大きくなっていた。しかしそれが何故、突然自分の中に湧いたのかは見当もつかない。アルベルトの話を聞きさえすれば解消されるかと思ったが、どうやら話す気は毛頭ないらしく、こうなった以上、途方に暮れるしかない。
顔を殴られることは慣れている筈が、妙な痛みが残る。その上、体内にまで痛みが移ったようで全身が強張って重い。
自分は拒絶されたのか。アルベルトに。まさか、愛想を尽かしたとでもいうのか。あれだけ従順だったくせに。好きだの何だのと嘯いていたくせに。
やはり嘘だったのかもしれない。自分は単なる前の奴隷の代わりに過ぎなかったのかもしれない。だとしても、ヨハンにとってはそのほうが間違いなく都合がいい筈だ。
そうとわかっても、胸の奥の靄は晴れない。
何もかも気に入らない。
「……あぁクソッ! なんでオレはこんな苛ついてんだよ!!」
握りしめた拳を振り叫ぶが、宙を殴っても手応えはなく声は雨音に消えていく。
水をまとって重くなった髪を掻き上げ、眼前に広がる草花を見つめる。花びらの一つ一つが雨露を乗せ、惨めに濡れそぼるヨハンを嘲笑うように輝いていた。
・・・
「――その後、不審な挙動はあったか?」
窓に打ちつける雨粒を眺めながら、グンターが尋ねる。この部屋には主であるグンターを除き、一人しか存在しない。扉の前に小さく縮こまるように立っていた人物は、質問に答えるべく重たい口を開く。
「……やはり、ここ最近、落ち着きがないように見えます。何かを探っているようですし、怪しい点がないと言えば……嘘になります」
「そうか」
「……本当に彼が? 私にはまだ信じられません。様子がおかしいという以外には、とても真面目に働いてくれていますから……」
机上に視線を落としたグンターの目が細められる。顔色の読めない、しかし奥に確かな信念を秘めた瞳が、扉のほうへ向けられた。
「あの男――ヨハンは我がヘルムリッヒ家を貶めようとせん逆賊だ。狼藉者は早々に鎮圧しなければならぬ。それが当主の務めだ」
「……はい。承知致しました」
「……さて、伯爵を待たせる訳にはいかぬ、行くぞ」
部屋を出るグンターに続き廊下へ踏み出した人影は、ふと窓辺を見やり、すぐに目を逸らし扉を閉めた。
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