50 / 206

第50話 友に塩を送る

明日は忙しくなるから寝ろと言われて、あれよあれよと寝室まで連れて行かれた。しかしそんな簡単に寝れるわけはなく、ベッドの上でゴロゴロとしているだけだった。窓を見て異世界でも月ってあるんだな……なんて思いながら、眠れないから早く夜明け来い、いやできれば来るな、と己のと葛藤を繰り広げていた。 明日、俺は大衆の目の前に立つのだ。普通の服ではない、踊り子の服だ。この2、3日で結構慣れたと思っていたけど、やっぱ不特定多数ってなると話は別だ。緊張や恐怖を紛らわす方法は思いつかないから、とっくの昔に考えるのはやめた。 「……梓、いるか?」 扉から声が聞こえた。真夜中で、外の風の音が聞こえてくるぐらい静かだった。小さなその声が一番大きな音だってぐらい。 「どうぞ」 「失礼しまーす……」 大きなドアに不釣り合いな静かな音で入ってきたのは希望だ。ドアを素早く閉めて、そそくさと俺のベッドの隣にある椅子に座った。 はっきり言うと俺は飯田橋希望という人間をかなり信頼している、ある意味では仁よりも。ほら、こいつはいきなりキスしたりしないし変なこと言わないから……とにかくその辺に関しては信じている。だから真夜中にやってきても特別警戒はしなかった。 遠慮しがちでなかなか話が始まらないから、要件を聞き出すため、話をするためにかまをかけることにした。 「どしたんだ、明日グルーデンを出るのが怖いのか?」 「ち、違う」 明日の夕方からショーが始まる。俺が出たらすぐにでも、ベルトルトさんが準備してくれた船でコグエ大陸へ向かう。かなりのハイスケジュールだ、それが不安なのかと伝えたら、違うと言われた。 「……その、ごめん」 希望は俺に頭を下げた。本人は真剣そのものなことはすぐにわかったが、申し訳ない事に一体何のことで謝っているのか理解できなかった。許すことも出来ずにただその姿を見ることしかできない。 「俺のせいで、とんでもないことになっちゃった……」 合点がいったのは数秒だった後だった。元々城下町の人たちが俺の存在を知ったのは、希望と一緒に街に繰り出したのが全ての始まりだ。希望も俺も、あの時はどうなるかと思っていたが、仁のおかげで事なきを得た。 本人である俺ですらまさかこんな大型になるとは思って見なかったし、自分の発情体質に意識が向きがちになって、魅了への心配がおざなりだったなと今やっと後悔している。希望が謝ることはない。 「でも、でもでも、やっぱ一回は頭下げたくて。そうじゃねえと気が済まねえって言うか、なんというか」 言い淀んでいた。しかし伝えたいことは十二分に理解できた。やっぱりこいつは信頼できるいい人間だ、俺の目に狂いはなかった。頭をなかなか前に上げてくれない希望を抱きしめたい。これは決していやらしい意味合いではない。友に対する信頼のハグだ。一瞬ビックリされたのがすぐにわかったけどした俺がハグといえばそれはもうハグだ。 「ん!? な、どうしたんだ!」 「うっせ、お前に元気わけてんだ。共に塩を送る行為ってやつだ」 「……敵に塩をでは?」 「友に塩をだ」 こんな子供騙しが通用するのなんて健吾ぐらいだろう。しかし、今の俺にはそれしか出来なかった。何が異世界転移だ、何がチートだ。俺は自分の白兵能力がこのクラスの誰よりも劣っていることなんて知っている。頼みのスキルすらも上手に扱えず、自滅を繰り返した結果こうなっている。 仁の性癖を捻じ曲げて喜助初恋を奪っただけでは飽き足らず、王家の人達にも街の人たちにも散々迷惑をかけた。思い返すと本当に碌なことしてないな俺。これは魔王倒すぐらいの恩義で返せるものなのか?希望に元気を与えられたのかは不明だが、少なくとも俺の元気は無くなった。しかし…… 「ありがとう。ちょっと気が楽になった」 希望の反応は上々だった。背中に手が回ってきて、拒絶されていないと一安心した。しばらく互いの肩や背中をバンバンと叩き合って、すっかり元気が出たようだ。 「俺達はコグエに向かう!」 「コグエに向かう!」 「魔王を倒す!」 「倒す!」 空元気ながら、2人でこれからのことを話し合った。時間を忘れるほどに没頭して。ああそうだ、俺も覚悟を決めよう。異世界転移しようが、踊り子になって処女を奪われても、魔王を倒せと言われても、人生わりとどうとでもなるかもしれない。 「今日は夏の夢祭りだぜ!」 「パン祭りみたいに言いやがって!」 俺たちは初めの気まずさを忘れて、眠くなって倒れるまで語り合った。そのあと2人でベットにつぶれるように寝てしまった俺達は、何もしてないのにあらぬ疑いをかけられた。まあそれはここだけの話にとどめておこう。

ともだちにシェアしよう!