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第85話 好きだった

昼食は必然的に無くなってしまい、今日は酒の被害が出てない上戸が船で仕事をしているようだ。俺はというとまだ清志曰く二日酔い状態らしく、もう大丈夫だと再三再四言ったのに部屋に押し込められている次第だ。大丈夫っていうやつは大体大丈夫ではないという理由らしい、俺信用ねーのな。 晩飯も仁が持って来てくれるらしく、下戸というのは想像以上に情けないことだと今日理解した。腰痛も治った俺はいつでも仕事に繰り出せる。しかし言われてみれば少し頭がガンガンしないでもないからここは結果オーライだろう。もしかしてこの感覚が、二日酔いってやつなのかな……。 「梓!入ってもいいか?」 ドア越しからいきなり声が聞こえた。ノックをしてくれるだけで良いのにと思いながら、俺は声の主である薫へ返事をした。どうぞ、入ってくれ。ガチャリではなく、ガッチャリとぎこちない音を立てて入ってきた薫は、お盆に入ったお茶とお菓子を大事そうに両手で持ちながらの入室だった。そんなんだったらドアを開けてと一言言ってくれ、俺具合悪いけどそれぐらいはできるぜ。 一人一人に謝罪をしたり、俺なんかのために水をくれたり、思ったより周りに気を使うタイプなんだな。陽キャのくせにやるなぁってそれはただの偏見だな、ここは素直に薫の性格の良さに感謝すべきだ。 「休んでる中失礼するぜ。菓子と水持ってきたからさ、ちょっとぐらい食って飲めって言ってたぜ」 聞けば晩まで次の仕事がないヒーラー達の手伝いをしていて、その過程で俺の部屋に来たようだ。流石異世界、一口菓子も西洋のようにおしゃれだ。一口チーズケーキと言えばわかりやすいだろうか? 水は流石に無色透明でなにもなさそうだが、傷一つないワインのグラスに入っているのはちょっと特別感があって好きだ。 「どうだ、美味しそうだろ? 水は高級水で匂いがするらしいぞ」 「……ごめん、頭がまだクラクラしててさ、匂いもあんまり感じない……かな」 「そ、そうか……」 水に高級も何もないと思っていたが、異世界だと匂いする奴があるんだな。鼻が効かないのがおしまれる、味も違うかもしれないから飲んでみよう。好奇心に押されるように水を口に運んだ。ごくごくと冷たいそれが喉を通るのはとても気分がいい、体が直接冷やされているように全身で清々しさを感じることができた。 不満を言わせて貰えば、最後まで匂いがわからなかったのは残念だ。味もしないし風味も感じることができない。これに関しては自分の体調が悪いから水を恨むことはしないが、もし体調が良ければと考えてしまうとそれはもう惜しいことをしたなと思う。どんな香りだったのか一度でも体験してみたかった。 「なにも匂わないし風味もしない。ごめん、せっかく持ってきてくれたのに……」 「いいんだよ、元はと言えば俺のせいなんだし。……ちょっと中学校の頃の話しようぜ」 水に関して軽い話を済ませた後、急に神妙な面になった薫にドキッとした。言っておくが悪いが俺はいい顔で語れる中学生時代の思い出話はないぜ。そりゃまあ異世界転移してる今よりかはだいぶ安定した人生は送ってた、でも友達は居ないし部活にも入っていない、たかが1、2歳上ってだけで偉そうにされるのが嫌だったから。まあそんな可愛げもない奴だった。とても陽キャ相手に弾むような話題は提供できそうもない。 「んーそっか、……じゃあ修学旅行の話しよう。俺のお前、同じ班だったろ?」 そんなに俺と話がしたいのか。確かに俺は暇してるから話し相手ならどんとこいだ、思い出話は好きではないが久しぶりにならいいかもしれない。薫と同じ班だった中学3年生の修学旅行。コイツは運動特にバスケがそれはもう上手くてな、女の子からキャーキャー言われてたもんだ。なんでわざわざ男子校選んだのかわからない。 そんな薫と女の子の友達が一人もいなかった俺とでは、例え先生が無理やり編成して出来た感満載の班でも話が弾む訳がなくて。思い出してみれば薫や他の陽キャは分け隔てなく話してくれて、特に夜に部屋で話した陽キャが好きな子を暴露してくれたのは面白かったかもしれない。 「そうそう! やっぱ覚えてるもんだな」 「あの時はお世話になりました……」 「いいんだよ。……なあさ、あん時俺が言った好きな子覚えてる?」 なんだっけか。確か「誰でもなかった」はずだ。言い淀んでたんかな……好きな人がいなかったのではないはずなんだけど…… 「ブブー! 時間切れだ!」 「そんなんあるんかい、聞いてねえ」 「そりゃあな、言ってねえもん」 子供っぽくいたずらに笑う薫を前に、俺は完璧に油断した。もともとクラクラしていた頭が急に重くなる。あれ? ごめん薫、ちょっと具合が悪くなったみたいだ。少し寝かせてくれ……ベッドに倒れ込む俺。そこは、いつもよりも邪悪な薫の笑みが見れる特等席だった。 黒い影がぞろぞろと部屋に入ってきて、ようやく俺はこれがやばい状況だとわかる、逃げたいのに体が動かない、まるでお酒を飲んだばかりのあの時に戻ったみたいだ。虚ろな目で俺が落としたせいで割れてしまったグラスを見ると、不思議と涙が溢れる。仁助けて、そう思う頭も拙くなってきた頃、黒い影の1人が俺を抱き起した。 「俺が好きなのは、いやずっと好きだったのは、お前だよ、梓」 ああ、思い出した。正解を。あの時の俺が無視してしまった、2年前の尻拭いは今やることなのか。 「俺はずっと好きな子がいるんだぜ。ん? このクラスの女子じゃねえよ。別のクラスでもない、めちゃくちゃ近くにいてさ、最近ようやく話せるチャンスに恵まれたんだ!」

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