1 / 2

おもひをかけし(前篇)

 今日は私の少々長い昔語りを聞いていただけるとありまして、久方ぶりに紅など引いてお待ちしておりました。ええ、勿論そんなことをしたところで際立たせる美貌などもとよりございません。ただ、このところ顔の色もいよいよ優れず、この老婆の顔など飽くほど見慣れた筈の通いの家政婦も時折ギョッとするものですから、貴方様に不要なご心配をかけてはならないという戒めに過ぎません。ただでさえ貴方様には相当のご心痛を与えているに違いないのですからね。  ああ、詰まらぬ話で貴重なお時間を無駄にはすまい、早速あの方のお話をいたしましょう。しかしながら、やはりそのためにはもう少しだけ、この婆の生い立ちを聞いていただかねばなりません。  私が四条(しじょう)様の御屋敷に奉公に上がったのは、数えの14の時のことでございます。田舎の百姓の8番目の娘など、その辺の牛馬より価値のないものでした。私の名前は志女乃(しめの)と申しますが、この名は後から若様につけていただいたもので、生まれついた時にはシメと申しました。シメとは即ちここでお仕舞いのシメで、これ以上の子供は要らぬという意味でございます。そうは申してもすぐ上の姉はトメと言い、これもここで打ち止めの子という名でございました。打ち止めた後に更に生まれた用無し子、それが私でございました。  ある日私が畑仕事の片付けをしておりまして、そこに馬に乗られた立派な方が通りかかったのでございます。私はその日に限らずぼんやりとした娘でありまして、自分の背後にそのようなお方がいらしたことについぞ気づかず、振り向いたと同時に馬が前足を蹴上げて私の顔を泥だらけに致しました。驚いた私は担いでいた葱の束を散らし、しかも尻餅までつきました。馬上の方もひどく驚いて、馬からお降りになると、手拭いで私の顔を拭きました。私の周りには日焼けしたむくつけき男共はいくらでもいましたが、その方は白い肌をなすっていて、目元は涼しく、鼻の下には艶やかに整えられた髭をたくわえられ、そのような立派な方を近くで見たのは初めてのことでございました。 「怪我はないか。」とその方がおっしゃいました。まあ、その時の声と言ったら、凜としてよく響き、その声で下されたご命令ならば、どんな方でも何でも聞いてしまうに違いないと思わずにはいられませんでした。 「はい、ありません。」と私は答えました。ガッカリするような声です。田舎の8番目の娘、ええ、声だけ聞いてもそんな風な、取るに足らない娘だと分かります。「それより手拭いが汚れます。」とも言いました。 「おかしなことを言う、手拭いはそのためにあるのだろう。」と御仁はおっしゃって、しかも私の手を取って、尻餅をついた私が立つ介助までなすってくださいました。もう一度「大丈夫か」と私を気遣ってくだすって、私が黙って頷きますれば、御仁は颯爽と馬でその場から去りました。  それから何日経ちましたか、御屋敷から使いの者がやってきて、私は四条の御屋敷に奉公に行くのだと聞かされました。私の値打ちがいかほどだったのかは知りません。一番上の姉がこれからは毎日白い飯が食べられるよ、良かったね、と頭を撫でてくれました、それが最後の身内との会話です。田舎の家は貧しく辛いことは多うございました、でもこんな風に優しい姉もおりまして、悪いことばかりでもなかったのですよ。あまり覚えてはいませんが。  そう、人は年を取りますからね、いろいろと忘れてしまうのです。いやなことも良いことも。でも、あの方のことだけは忘れません。あの方のことならば、一言たりとも忘れませんとも。しかし人はまた、永遠に生きていくことも出来ません。ですから今日、こうして、貴方様に来ていただいたのです。私が死んだら、あの方のことを誰が心に留めてくれるでしょう。私はそれだけが心残りなのでございます。ですから、無理を承知で貴方様にお願いを申し上げました。  四条のお屋敷に上がると、私はまずは炊事場の手伝いをやりました。米を炊いたり、お汁を作ったり、そういった当たり前の飯炊きでございます。しばらくして、今度はそれを若様にお持ちする役目を言いつかりました。  若様に初めてお会いしたのは、ですから、お屋敷に上がってから三月(みつき)ほども経った頃かと思います。若様……そうです、顕孝(あきたか)様は、その時には既に病を得ていらして、屋敷の奥の間で終日お過ごしになられることが多うございました。  馬上の御仁は沢内(さわうち)と言って、四条の家の番頭でした。私が御屋敷に来たのは御仁の口添えであることは明白でしたが、あの泥だらけのみっともない娘を、どうして大切な若様の元に連れてこようと思われたのか、その時の私には分かりませんでした。そのわけが知れたのは顕孝様ご自身のお言葉によってのことでございます。 「おまえは女か。」顕孝様が私に掛けられた最初のお言葉がそれでございました。私はその時、私の持っていた中でも一等上質な着物を着ておりましたが、あちらこちらに継ぎの布があてられて、顕孝様の目には雑巾を縫い合わせたものにしか見えなかったことでございましょう。しかも私は髪は細くみすぼらしく、体は痩せこけていて、およそ女らしい身体つきでもなかったのです。 「はい。」と答えて顕孝様の前で手をついてひれ伏したのは、お声掛けが畏れ多かっただけではなく、それ以上の醜い様を顕孝様には見せたくないと痛切に思ったからでございます。 「なるほど、沢内の奴、これで考えたつもりか。」顕孝様はそうおっしゃいました。その時どのようなお顔をされていたのかは見ておりませんが、何か楽しそうでございました。 「名は。」と聞かれて答えると、「シメはよくない、シメノと名乗れ」とおっしゃって、それから私はシメノとなりました。  その次に「シメノは男を知っているか。」と聞かれました。私は意味も分からず「良く知る男と申すれば、出てきた家には父と義理の兄とがおりまして、どちらも大層働き者の男にございます。」と答えたところ、顕孝様は大笑いをなさいました。それから、「今宵もう一度参れ。」とおっしゃいました。  夕刻になりますと、女中頭がやってきて、私に風呂に入れと言いました。下働きのものはそれ用の風呂に入りますが、その時間は風呂は沸いてなどいないのです。そう言うと母屋の風呂で、もう準備は出来ていると言われました。  そうして、女中頭は私を母屋に連れて行きがてら、その日の晩、私が若様のお手付きになるのだと言いました。私は怖くて泣きましたが、逆らってはならない、逆らわねば良いことがある、きれいな着物も着られるし、飯だってうんと豪華になると言いました。それに若様はお優しいから怖くはしないだろうとも。私には、いきなり女かと問うたあの方が優しいとは思えませんでしたが、確かに黙っていれば姫と見紛う美しい若様で、鈴の転がるような声でお話しになるのです。病もあって肌は透き通るように白く、黒目がちな目は潤み、唇ばかりが赤く、下ろした髪は艶やかで、まこと天女が舞い降りたかと思ったものでした。  私が風呂から上がると、普段屋敷の中では見たことのない女中が二人ばかり待っていて、私の着物を着せ替えたり、髪を梳いたりするのです。着物と言っても肌襦袢一枚でございましたが、私はその姿で若様のお部屋に参りました。 「美しいな。」顕孝様がそう口になすった時に、私は誰をご覧になっているのだろうと後ろを振り返りました。すると顕孝様は笑って「シメノのことを言うたのだ。」とおっしゃるのです。 「そのようなこと、ただの一度も言われたことがありません。」私が正直に申し上げると、顕孝様は「それは一度もまともな風呂にも入らず、まともな櫛も持っていなかったからだろう。」とおっしゃいました。 「私はご覧のとおり、みすぼらしく醜い者でございます。これでは女子(おなご)を抱いた気になどなりますまい。」私は自ら胸を半ばまで開いて見せました。あばらの浮いた薄い胸です。それは私の最後のあがきにございました。男を知らぬかという言葉の意味を分からなかった私でも、ようよう事態は飲み込めておりました。今だから申しますが、私はどうせ捨てる初めてのことならば、この美しい若様にこそと思う気持ちもございました。しかし、それよりもやはり閨房のことなど何一つ知らぬ身ですから、怖くて怖くて仕方ありませんでした。どうにかして諦めていただきたい、その一心でしたことでございました。  ところがです。「それで良い。」と顕孝様は言うのです。私が胸を開いたまま唖然としておりますと「俺は女はだめなのだ。」と続けられました。美しい天女のごとき顕孝様には似つかわしくない「俺」という言葉を聞いた時、私は恋に落ちました。しかし同時に失恋でもありました。女はだめと言うのですから。 「こちらに来い。」顕孝様の言葉に従い、私は顕孝様の布団に上がりました。それから顕孝様は私の口を吸い、さらけ出した胸に触れました。男のように平らな胸を。やがて下へと手が伸びて、私の足の間へと触れそうになったところで、その手がぴたりと止まりました。「おまえはまだ慣れていない。今日はここまでにしてやろう。」  そうではない。いくらぼんやりの田舎娘とて、それぐらいのことは分かりました。顕孝様は私に男の象徴がないことを確かめると、私への興味が無くなったのです。そうと理解した時に、私は泣きました。男の代わり。男の代わり。田舎の家でもそうだった。男を望んだ末に女ばかり8人も。おまえが男なら良かったと何度言われたことでしょう。ここでもまた、私は男だったら良かったと思われた。それも、天女か姫かと見紛う美しい人にそう思われるのが何より辛かった。「怖い思いをさせたね、済まなかった。」顕孝様にそう言われるのが、身を切られるように辛かったのでございます。  それからは再び、私は炊事場におりました。あれ以来若様に呼ばれない私を、皆は半分憐れに思い、半分いい気味だと笑っていたことでありましょう。でも、私はそんなことはどうでもよかった。私は憐れな娘ですが、若様はもっと憐れです。かくもご立派なお家に生まれ、あれほどに美しい姿をなすって、それなのに若様はたったひとつの恋をすることもできないのです。番頭さんは顕孝様の(へき)をご存じで、もしやこれならばと期待されて私を連れてきたのでございましょう。私は女らしくない姿形ゆえに選ばれたのです。病がちの若様に残された時間は短く、急ぎ跡取りを作らねばならない。しかし病の噂はとうに出回り、良い縁談など見込めず、そうとなれば子を為せれば誰でも良い、そこまで追い詰められても、当の若様は男しか抱けぬと言う。ならば女らしからぬ姿形の者をあてがってみるほかなかった。それが真相だったのでございましょう。これを憐れと言うよりほかに何と申せましょうか。  御屋敷には、私とさして年の変わらぬ男がおりました。名を修二郎(しゅうじろう)とおっしゃいました。噂に聞けば四条のお館様が外に作った子で、その母親が早死にしたので引き取られたということでした。妾など珍しくもない時代でしたから、大したことではないのですが、実のところ、修二郎は番頭の沢内様と清子(きよこ)様との間に生まれた子、というのが、内々では事実としてまかり通っておりました。清子様とは顕孝様の姉、つまり沢内様はお仕えしていた姫様と深い関係となり、孕ませて生まれた子が修二郎様だと言うのです。清子様は私が御屋敷に上がった時には既に遠方の豪商の家に嫁いでいらして、どのような方なのかは分かりませんが、顕孝様とよく似た美しい人だったそうでございます。  それが本当であれば、沢内はとうに放逐されて然るべきではございましたが、何分、次期当主になるべき顕孝様は病身ゆえに、ご息女のお産み遊ばした男子である修二郎様は、それはそれで引きとどめたい存在ではあったのです。しかも沢内は先に申しましたように立派な美丈夫で、前前より清子様のほうが熱心に言い寄っていたのは周知の事実でございました。そんなわけで、沢内は放逐されることもなく、修二郎様は目立たぬようにではありますが、離れで数人の使用人と共に、ひっそりと暮らしておりました。そう、この頃の四条のお屋敷には、四条の血を引く若者が2人、どちらも屋敷の奥まったところで、それぞれ関わり合わずに、息を潜めるようにして生きていたのです。  いいえ、そのように生きていた、と誰もが思い込んでいたのです。  私は顕孝様の夜の褥に呼ばれることはなくなりましたが、相変わらずお膳を運ぶ仕事はありました。顕孝様はいつも何か言いたげに私を見ましたが、何もおっしゃいません。せいぜい、たまに添えられる果物などを私に食べろとおっしゃるぐらいでした。それがあの夜私に恥を掻かせたことへの詫びなのか、高級な果物など口にしたことのない貧しい田舎娘への施しなのか、私には分かりませんでした。何より、そんな気を使うぐらいなら、私にお膳運びを続けさせていることが腑に落ちませんでした。  やがて、私は離れへのお膳運びも任されるようになりました。こちらは、戸の前にお膳ごと置いておくだけです。修二郎様は部屋の中に他人が入ることを極端に嫌うらしいのです。ですから私は一方的に戸を叩いてお膳をお持ちしたことを告げるだけ、終わった頃に行けば空いたお膳が出してあるからそれを引き取る、それだけの縁でございました。  ある日、顕孝様にお食事をお持ちすると、「離れにはこれから行くのか。」とお尋ねになりました。私がそうだと答えると、顕孝様は懐から折りたたんだ紙を出し、それを離れに持っていくお膳のどこか目立たないところ、しかし食べる人は必ず気が付くところに置いてくれと言うのです。「シメノにしか頼めない。誰にも言うなよ。」と念押しもされました。  私は珍しいこともあるものだと首をかしげながら、言われたようにいたしました。紙は考えた挙句、汁椀の下に差し入れました。  その日、お膳を下げに離れに行きますと、あろうことか、戸が開いたのでございます。私は床に置かれたお膳を取ろうとしゃがみこんでおりました。ふいに開いた戸に驚いて顔を上げると、そこには顕孝様よりお若くて、肌はもっと浅黒くして、がっしりとした体躯にしたような少年がおりました。 「しゅ、修二郎様ですか。」私は修二郎様を見るのが初めてでした。 「ああ。シメノというのはおまえか。」と修二郎様が言いました。はいと答えると、修二郎様もまた、折りたたんだ紙を私に見せ、「これを顕孝に渡してくれ。中は見るな。」と言いました。  ですがもう、その日に顕孝様の元に行く用事はありません。それを告げると、どうにかして渡せ、日付の変わらないうちに、と一方的に言いつけて、部屋に戻ってしまいました。  それはまるでつむじ風のような素早さで、ですから私は修二郎様が「顕孝」と呼び捨てにしてることにも気づかなかったのでございます。とにかくどうやって修二郎様の言いつけを守ろうかと、そればかり思案していました。  ところがです、炊事場に戻ると、女中頭がやってきて、顕孝様のお膳を下げる時に箸を落としてきたでしょう、すぐ取りに行くように、と言うのです。  箸を忘れたはずなどなく、私は狐につままれた気持ちで再び顕孝様の部屋に参りました。部屋に入るとすぐ、「手紙を持っているだろう。」と言われ、私は袂の紙を差し出しました。顕孝様はそれを急いで開いて、中を読みました。 「もう下がっていい。」私には目もくれずにそう言う顕孝様に、私は「あの、お箸を忘れてしまったようで。」と言いました。顕孝様は呆れた顔で私をご覧になり「馬鹿、それはシメノをここに来させるために俺が考えた口実だ。」とおっしゃいました。 「修二郎様と仲がよろしいんですか。」私は思わずそう口走ってしまいました。今思えば、女中見習いの私が、若様に向かってなんと畏れ多いことを言ったものでしょうね。  顕孝様はハッとした顔をなすって、それから睨み付け、そして更には微笑みを浮かべて、こうおっしゃいました。「そうだよ。でも、誰にも言ってはいけないよ。誰かに言ったら、シメノも、俺も、修二郎も、ここにいられなくなるからね。」  私はただうなずくほかありませんでした。

ともだちにシェアしよう!