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おもひをかけし(後篇)

 それから数回、同じようなことがありました。いつの頃からか、私が夜に若様の部屋に呼ばれる事に関してはいちいち「箸を落した」などという言い訳がつかなくなりました。つまり、私はついに若様の相手として認められたというのが暗黙の了解となったのです。でも、それであれば、呼ばれてすぐに戻っては怪しまれますから、私は手紙を渡した後には、若様の部屋の続き部屋、といっても日頃は使わないものを入れてある納屋のような部屋で、ひと晩を過ごすように命じられました。そこには柔らかく温かな布団があり、およそ私の口に入ることのないはずの菓子などが用意されておりました。その他にはたくさんの本があり、好きに読んで好いと言われておりましたが、私は字が読めぬので、もっぱら挿絵のある本ばかりを探して、どのような物語が紡がれているのだろうと夢想するのでした。  若様は初めての夜以来、私に触れることはございませんでした。では私を隣室に閉じ込めている間、一体何をなすっておいでなのかと言えば、私の運んだ修二郎様の手紙を、ただひたすらに何度も何度も読み返していらっしゃるだけなのです。時に涙して肩を震わせることもございました。手紙と言っても半紙ほどの紙を折り畳んだだけのもの、挿絵もないその中に、どうして顕孝様をそのように心揺さぶるものがあったのでしょう。  ああ、私が何故それを知っているのかとおっしゃりたいお顔ですね。そうですとも、私は浅ましくもそのお姿を覗き見ていたのでございます。続き部屋には顕孝様のお部屋に向けての小窓がございまして、平生はもろもろの道具の陰になっておりました。ある時、閑を持て余した私は小部屋をひとしきり探検し、その小窓を見つけたのでございます。それからは菓子よりも挿絵よりも私の欲を満たすものは顕孝様となりました。なんと卑しくはしたない娘でございましょう。初夜を恐れて泣いた私はとうにいなくなっておりました。  ある晩、私は修二郎様より、いつもの手紙と別に和紙にくるまれた何かを預かりました。特に疑いもせずそれを顕孝様に差し上げました。そうですとも、中を疑うまでもなく、その小窓から見ていれば自ずと知れることですから。そしてそのようにしたのです。  和紙の中にあったもの、それは黒髪の束のように見えました。ほんの一房ばかりの。それがそうと確信となる前に、顕孝様はそれを握りしめて、いつになく声を漏らして泣かれたのでございます。そして、慌てて後ろを振り向きました。私のいる小部屋のほうをです。そこに異変がないと分かると、元の姿に直られて、今度は静かに涙しておられました。そして、いつしかその涙は、聞いたことのないお声となって、小さく小さく響きました。おそらく私が正しく布団にくるまれていたならば聞こえなかったことでしょう。しかしながらその時私は小窓のところにいた。そこはガラスが張られていましたが、端がいびつで隙間を作り、耳を近づければ、直接の音が響くのです。  私はその声が何であるかを知りませんでした。それでも顕孝様の、つまりはそのお身体の、火照った故のことであることは分かったのでございます。顕孝様はおみ足を遠慮がちに開かれて、そこに手を差し入れて、自らを慰めておいででした。  私が覗き見たのはその晩が最後となりました。私が慎み深くあろうとしたからではございません。その翌日より顕孝様は高熱にうなされて、病が一気に悪くなってしまわれたのでございます。  お膳運びも中断され、結局そのまま半月ほども顕孝様には会えずじまいでございました。修二郎様には変わらず運んでおりましたが、顕孝様のことはご存知のようで、お手紙を言付かることはございませんでした。そして、その頃には以前とは違い、私が伺うときちんと戸を開け、手ずからお膳を受け取っていただけるようになっておりました。その御髪(おぐし)が短くなっていることに気が付いた私は、思わず「何かお伝えすることはありませんでしょうか。」と申し上げました。 「誰に。」と修二郎様がおっしゃいました。 「顕孝様に。」と私が言うと、辛そうに顔を背けられ、戸を閉めようとなさいました。私はその戸を止めて重ねて申し上げました。「泣いておいででした。お手紙をご覧になって。」  修二郎様は目をカッと見開いて、私を睨みつけました。そして、何も言わずに戸を閉めました。私は戸の外から訴えました。「顕孝様にはまだお目通りはかなわぬのですが、その時には屹度私が。」戸が内側から激しく叩かれました。  顕孝様は良くなることはございませんでした。日に日に衰弱なすって、臥したまま頭を上げることもままならなくなったと聞きました。その頃になって、私は再び呼ばれたのでございます。もうこれが最後であろう、精などないに違いないが、本人たっての望み故こうして呼びに来た。隣に寄り添うだけで良いからとまで言われて、おまえは果報者よと女中頭に言われました。  私が顕孝様の元に伺うと人払いがされ、2人きりになりました。顕孝様は私の頬に触れました。「何故泣いている。」そう言われるまで、私は自分が涙を流していることを知りませんでした。「これは私の涙ではございません。修二郎様の涙です。」どうしてそのような言葉が口をついたのか。その時、顕孝様の青くこけた頬にも涙が伝いました。「シメノ。あとひとつだけ無理を聞いてくれぬか。」顕孝様のかすれた声がそうおっしゃいました。  私はいったん外に出て、庭を通って離れに向かいました。顕孝様のお部屋の濡れ縁からは、私のような田舎娘でなければ通り抜けられぬような、木々の隙間を縫って離れに向かう隠れ道が通じていたのでございます。このことは顕孝様が教えてくださいました。顕孝様はまだお元気な頃、そこを通ってしばしば離れに行っていたと言うのです。そこで表立っては会うことのできなかった修二郎様に出会ったと。2人は大人たちの目をかいくぐり親交を温めておいででした。やがて顕孝様が病に倒れると監視の目が厳しくなり、2人は会えなくなってしまったのだと。  その後、私がしたことは二つだけでございます。ひとつは私の着ていた女物の着物を修二郎様にお着せしたこと。これは万一庭を通り抜ける時に誰かに見られることを恐れての算段でございます。そしてもうひとつは、翌朝戻ってきた修二郎様に、離れのお部屋にて抱いていただいたこと。私の初めては修二郎様にございました。湯あみもせずに私を抱いた修二郎様の肌はまだ赤く熱く、顕孝様の名残がそこかしこにありました。いえそれが不満だったのではありません。それこそが大事だったのです。私も修二郎様も同じ人を愛しました。修二郎様を通して、私は顕孝様に抱かれたのでございます。また修二郎様は私の身体を通して、顕孝様の子が欲しいと願っていたのでございます。ですからこそ、顕孝様の匂いが、熱が、気配が消えぬうちに、私達はそうしたのです。  私は再び顕孝様の元に戻り、あたかも一夜を契ったふりをいたしました。何も特別なことをしたわけではございません。顕孝様の床は既にそのような有様になっておりましたし、疑り深い誰かが私達を裸にして検分したとて、私の身体にも顕孝様の身体にも、確かにその跡があったはずでございます。何よりの証拠は、ふた月ほどの後に私が子を授かったことが明らかとなったことでございました。ふた月、そうです、顕孝様はその後なんとふた月も生き永らえてくださいまして、私の赤子を喜ぶと同時に、この世への最後の執着が切れたのか、ついに遠くに行ってしまわれました。  その後のことは貴方様もご存じのことでございましょう。四条の家は修二郎様が正式な後継ぎとなり、やんごとなき筋からのご令嬢とご縁があって、貴方様がお生まれになりました。私が生んだ子が娘であったことは、むしろ幸いなことでございました。息子であったならば、貴方様とまた確執があったやもしれませぬから。女で良かった、それこそ私が生涯かけて一番言われたかった言葉でございます。でも好いのです。私は顕孝様から「美しいな。」という宝物のような言葉をいただきました。たった一度の、愛する方からの褒め言葉。それがあったからこそ、私は生きてこられたのです。私と娘は、かつて修二郎様がお過ごしになっていた離れを与えられ、不自由なく暮らすことができました。娘もそこから嫁に出していただき、それを見届けて私は田舎に戻りました。代も変わった生家に戻ることはできませんでしたが、修二郎様のお計らいで、馴染み深い隣村に立派な家を建てていただいて、今もこうして一人楽しく過ごしている次第にございます。そう、貴方様は今日、○○村を通ってこちらにいらしたのでしょう、その○○こそが私が14まで過ごした村でございます。  修二郎様に最後にお膳を運んだ時のことです。それはいつでしたか、顕孝様のご葬儀の半月ほど後のことだったでしょうか。修二郎様は私を部屋の中まで招き入れてくださいました。そのようなことは、娘を授かった、あの時以来のことでございました。修二郎様は静かに語り始められました。それによると、修二郎様は沢内様と清子様との間の子ではないと言うのです。父親は四条のお館様であると。つまり顕孝様と修二郎様は叔父と甥の仲ではなく、腹違いの実のご兄弟。では、お館様が外で作った妾の子という外向けの作り事のほうが真実であったのかと尋ねると、いいや母親は噂通りの清子様だと。  そうです。修二郎様は、お館様が実の娘に手をかけて産ませた子。それが本当の本当のことでございました。貴方様にこれを伝えるのは、実に心苦しいことでございます。何度も悩みました。ですが、どうぞお信じください。貴方様のお父上である修二郎様は、まこと立派な方でございました。誰よりも濃い四条の血を受け継ぎながら、半ば幽閉されるかのように離れに追いやられるという理不尽。それにも一人耐えて、誠実に、健気に生きてこられたのです。そして、たった1人の家族であり、友人である顕孝様を心から愛されたのです。修二郎様のおかげで、顕孝様もまた束の間のこの世を、深く尊く生きることができたのです。  ああ、私もお2人ゆえに、生きることができました。そしてそれを貴方様に伝えられた今、何も心残りはございません。もう何も怖くもない。顕孝様も修二郎様もおられるところに私も行けると思えば、嬉しくこそあれ、何を恐れることがありましょう。貴方様は聡明でいらっしゃる。誰ひとり疑う者のなかった貴方様の出自に、貴方様だけが疑問を抱かれた。それこそが貴方様の中にある、修二郎様の聡明な血の証と存じます。こうして田舎の地まで来て、この老婆の話が聞きたいとおっしゃる。今日ここでこのように立派になられた貴方様のお顔を見るまでは、何も知らぬ、皆の言う通りであると答える心算でございました。知らぬほうが好いことも世の中にはあるのです。ですが、その、顕孝様によく似た双眸が、それではいけないと言うのです。  貴方様には辛いお話であることは承知でございます。誰かを恨まずにはいられないのでしたら、どうぞこの私を恨んでください。私は貴方様の恨みごと抱えてあの世に参りましょう。そうしてどうぞ、堂々と天を向いてお歩きになってください。貴方様には一点の曇りもないのですから。そうしてどうぞ、貴方様につながるあの方達を誇りになすってください。  そろそろ日も陰ってまいりましたね。田舎の道は足元も心許ないものでございます。まだ陽があると油断していると危のうございますから、今のうちにお戻りくださいまし。さようなら。

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