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第一章 救済

 来栖 一志(くるす かずし)は、カップに残ったコーヒーを飲み干し、小さく息を吐いた。  万策、尽きた。  頭の中には、その一言だけが渦巻いている。  小洒落たカフェの流す有線は、『Take the A train』。  やけに明るく軽快な曲は、一志の心と真逆のベクトルを示しているようで、滑稽だった。 (いや、このA列車に乗って、俺は旅立つんだ)  金も、運も、しがらみも、何も自分を縛るもののない世界へ。  一志はスーツのポケットに手を入れた。  小さな密閉チャック式のビニール袋に、触れる。  中には、毒の仕込まれたカプセルが入っているのだ。  さすがにカフェで服毒すると営業妨害になるだろう、と彼は席を立ちかけた。  しかしそこに、カフェエプロンを付けたウェイターが立ちはだかった。 「お客様、当店からのサービスです。どうぞ、ご賞味ください」  澄んだ、柔らかな声。  顔をあげると、色の白い美青年がトレイを差し出している。 (綺麗だ)  もはや感情すら失いかけた一志の心を揺さぶるほど、青年は美しかった。  ネームプレートには、月川 希(つきかわ のぞみ)とある。 「月川、って」 「はい。このカフェの名前の由来です」  カフェの名は『ムーンリバー』。  あまりにも有名な、映画の劇中歌だ。 「マスターは、兄なんです。僕は、この店を手伝ってます」 「あ、なるほど。姓をそのまま店名に」  自分でもあまりに間抜けな声が出て、一志は恥ずかしくなった。

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