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第1話 軽薄に始まる

「このまま、イケる? 拓馬(たくま)」 「あ、っん……うんっ」  コクンと額くと、微笑んで、優しく頬を撫でてくれた。 「いい子だ」  そう言って、俺の奥を強く貫いて。 「あああああっ!」  でも、知らないでしょ?  俺、いい子じゃないよ。 「あっ! ぁっ」  貴方に隠してることがある。俺、貴方のことを、すごく。 「あっ……敦之、さん」  すごく。 「そこ、もっと、突いて欲しっ」  好きなんだ。  その時、は突然やってくる。  屈託もなく、ホント、笑えてくるほど無慈悲に突然。  バカだなぁ……俺。  どうして期待なんてしたんだろう。浮かれて、さ。 「わりぃな、仕事忙しいんだろ? なのに、来てもらってさ」  こんなふうに、残酷なくらいに突然、目の前に突きつけられるんだ。 「拓馬に一番に報告したくてさ」  それこそ、悲しくなる暇もないくらい唐突に。  ――紹介するよ。俺の、その彼女っつうか、こ、んやくしゃ?  だってさ。  あはは、なんて照れ笑いとかして。  照れ笑いしながら頭をポリポリ掻くとか。  バカみたいだろ?  残業続き、酔っ払いの中に紛れて終電か、その二、三本前の電車に乗れたらラッキー、そんな毎日。  寝不足続きの俺の頭はアルコールに浸った他の乗客と同じくらいにぼーっとしててさ。  考える脳みそなんてほぼないくらいに疲れてたんだ。だから、あいつからのメッセージになぁんも考えずに飛びついた。  最近仕事、どうだ? あんま会えてないけど、今度、会えないか? 時間作れそうなら連絡してくれ。会いたい。  なんて言われて、嬉しくて、嬉しくて、ホント、何も考えてなかった。あいつが「親友」の俺を呼び出した理由まではこれっぽっちも考えてなくて。待ち合わせに浮かれたりして、一番高いスーツなんて着て。  バカ、みたいだ。  ふと、路上に面して置いてあった証明写真の撮影機。そこの鏡に写った自分の顔に笑った。  ひどい顔してる。スーツよりも先に目のクマをなんとかしろよ。昨日終電だったから。それで、今日はこんな時間に仕事を終わらせたくて、必死こいて頑張ったから、ひどい顔してる。  ――疲れてるとこ、本当、ありがとう。  あぁ、ヘトヘトだ。  それでも、浮かれてたんだ。お前に呼び出されてさ。 「はぁ……」  好きになるのは同性。ただそれだけで、毎回毎回こんな痛い思いをする。  痛々しいだろ?  同じ趣向の奴を好きになればいいのに、人見知りの俺は大体、毎回、親友を好きになる。新しいところになんて自分からは飛び込んでいけなくてさ。そんで、その親友は大体、恋愛対象は異性だからさ。全部、毎回、俺の片想いで終了する。  親友ってカテゴリーのまんまなのは当たり前だ。  俺が好きな奴が、実は俺のことを……なんてドラマのような展開は実際にはありえない。ありえないから、ドラマや映画になるわけでしょ。  毎回、毎回、好きになった親友に、好きな人を嬉しそうに紹介される。  それでもまた、人見知りで、社交的でない俺は親しくなった友人に恋をするんだ。  ホント……痛々しいよ。  どんな苦行だよ、って思うよ。  なんで、好きな奴が恋人と仲良く食事をする風景なんて眺めて、レストランで向かい合わせで久しぶりの飯を食わなくちゃいけないんだ。昼休みも削って何も食わず仕事して、駆けつけて、この有様だ。 「……」  今頃、ホテル、かな。  あいつ、帰りの電車の時間を一向に気にしてなかったから、帰る気なんてこれっぽっちもなかったんだろう。  ――今日はありがとうな。彼女もお前に会えて良かったって。いっつもお前のこと話してたからさ。お前もあんま無理すんなよ。たまには飲もうぜ。  だってさ。  一人、駅に向かっていた途中、そんなメッセージが「親友」から届いた。  ねぇ、俺はこれになんて返せばいい?  おめでとう。すっごいいい子じゃん、とか?  幸せになれよー、とか?  冗談、でしょ。なんで、そんなの、送れるわけないでしょ。二人が肩並べて嬉しそうに繁華街を反対方向に歩いていくのを見送ったじゃん。それで勘弁してよ。ホント……。 「ユウ君、かな?」 「……」  ちょうど駅についたところであいつからメッセージが届いて、これにどう返事すればいいんだよって、スマホをじっと見ていた。そしたら、声をかけられた。  ユウクンかな、だって。  全然知らない名前だけれど、明らかにこっちに向けられたその声に顔をあげると、端正な顔をした男性が立っていた。 「あ、いえ……違い、マス」  何? なんなんだ、この人。 「あぁ、そうなんだ。すまない。人違いをした」  サラリーマン? じゃないような。これっぽっちもくたびれてないスーツ。何十万もしそうな、もうさ、そこらの量販店のものじゃないとすぐにわかる、仕立ての感じからして違うスーツ。  でもスーツだけが上等なわけじゃない。  端正な顔をしてる。綺麗な顔。  柔らかそうな髪は、残業に、仕事の山に頭を抱えたことなんてなさそうに、綺麗にセットされてる。その人が華麗に笑った。  待ち合わせ? けど、名前しか知らないってことだろ? 俺と間違えたのだから。顔を知っていたのなら、俺に声なんて掛けない。名前だけしか知らない相手と待ち合わせってこと?  これが女の人の名前で、俺が女だったら、ナンパだったりするかな、なんて思うかもしれないけど。  今確かに、「ユウ君」って言って。  クンってことは、相手は男なんでしょ?  顔も知らない。  でも下の名前だけ知ってる。  どこにでもありそうな、ありきたりな、名前。いや、そういう名前の人もいるだろうけど、同じ名前の人にはとんでもなく失礼だけど。そうじゃなくて、なんていうか気軽な名前っていうかさ。  なんか、軽薄っていうか。 「あ、あのっ」  何してんだって思うよ。 「あの……」  おい、どうしたんだって自分でも思う。 「えっと……」  自棄、になったのかもしれない。 「ユウ、さんと……待ち合わせなんですか?」 「……まぁ、そう、だね」 「あの……」  何、突拍子もないことしてんだって、思う。でも、なんか、呼び止めちゃったんだ。 「そう、だったんだけど」 「……」 「すっぽかされた、かな」  軽薄な呼び名。  軽薄な約束。 「多分、ね」  これっぽっちもくたびれていないスーツを着たその人は軽薄に、でも、とても柔らかく笑って、俺に「暇になってしまった」と軽薄な誘い文句とも取れる言葉を口にした。

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