2 / 134

第2話 哀れな男

「へぇ……じゃあ、今日はその友人の婚約報告を?」 「えぇ、まぁ」  声を、掛けてしまった。約束をしていたけれど、どうやらすっぽかされたみたいだと笑ったこの人を、引き止めてしまった。  普段の俺なら絶対にしないことだ。  人見知りなんだ。  知らない人に気軽に声をかけるようなことのできる人間じゃない。  まさか自分がこんな突拍子もないことをするなんて思いもしなかった。それだけ自棄になっていたんだろう。でもまさかこんな場所に連れてこられるとは思っていなかった。一杯いくらするのかわからないようなスパークリングワインに、絵に描いたような、映画のような夜景。 「それは、めでたいね」  その人は華麗に笑って、飲み干したスパークリングワイングラスを傾けた。 「あぁ、すみませんっ」 「?」 「お酒注ぐのを」 「あぁ、いいのに」 「え? あ……」  こういう高い店って縁がないんだ。だからわからなかった。多分、俺がお酌をしなくて良かったんだと思う。空いたグラスに慌てて注いだら、ちょうどお店の人がこっちに歩いてきたから。多分、お店の人がするんだ。こういうの。 「す、すみませんっ」 「いや、ありがとう」  けれど、その人はまた笑って、俺が適量も分からず入れたスパークリングワインを口にした。  夜景の見える高級レストラン。多分、ドレスコードだってあるんだろう。そう格式張った感じではないけれど、Tシャツにジーパン、なんて格好は流石にダメだって俺でもわかる。でも、スーツはスーツでも、こんな俺が着てるようなスーツ姿の客もいない。もっと上等な仕事の感じのないブランド物のスーツが似合う場所。俺が接待で使うような宴会場とは全然違ってる。  まるで別世界だ。 「……すみません」 「君は何も謝ることをしてないよ?」  なんで、声なんて掛けてしまったんだろう。  どう見たって。 「君はよく謝る」 「! す、すみませんっ」  また謝ってしまった。 「それからずっと困った顔をしてる」 「ぇ」 「お酒はあまり得意じゃない?」 「あ、いえ……えっと」  こういう飲み方はしたことはないけれど酒が飲めないとかじゃない。接待で飲みに行くこともあるし。 「そう、じゃなくて、えっと、困ってたっていうか、その、友人の婚約報告、なんですけど」  今日は仕事の帰り? それとも遊びに出かけた帰り? そう聞かれたから、さっきは友人の婚約者を紹介されたんだと答えた。その帰りだって。 「その友人に…………その、片想いして、たんです」 「へぇ」 「そ、それで、だから、こんな顔になっちゃうっていうか……」  俺は、しょっちゅう間違える。仕事も、発注ミスに電話の取り継ぎミス。書類のミス。これも間違えた。お酌しちゃったのも間違えた。こんな不釣り合いな場所に来るだなんて思ってなかったんだ。 「伝えなかったの?」 「い、言えませんよ」 「なぜ?」 「なぜって、そりゃ……」 「……」  手元のフォークをおもむろに指先でなぞった。 「その……友人って、男、なんで」  恋の仕方も、また間違える。何度も何度もしてんのに、また人見知りの俺は自分の数少ない知り合いの中から好きになって、それで言い出すこともできずいて、こうなるんだ。そりゃそうだ。好きになるのは毎回「友人」で毎回ノンケなんだから。待ってる顛末だって毎回同じになるに決まってる。 「わ、笑えますよねっ、こんな俺みたいなのが、男……同士、とか」  綺麗なわけでもない。可愛いわけでもない。普通のサラリーマンがさ、ノンケに好きになってもらえるわけないだろう? 間違え、さえ起こらないだろ?  もっと可愛い男とかさ、アイドルみたいなのとか、俳優みたいに綺麗な顔立ちの男相手だったら、ノンケだって、魔がさすこともあるかもしれないけど、俺相手になんて無理だ。毎日毎日ヘトヘトで目の下にクマができてて、やつれて、くたびれた、ただのサラリーマンなんて。それなのに。 「なぜ?」  この人だって、俺に声なんて掛けられて迷惑に決まってる。  その今日待ち合わせたユウっていう人だって顔は知らないとしたって、俺みたいなのじゃないんだろう。きっと、もっと可愛いか、綺麗な男の人なんだろう。それでもこうして相手をしてくれてありがたい。きっととても哀れに見えたんだ。困った顔とこの人は言ったけれど、泣きそうな可哀想な顔をしてたんだ。 「なぜって……」 「笑わないさ」  あまりに哀れだったから相手をしてくれたんだ。すっぽかされて暇だと言っていた、から。 「笑われるのなら俺の方だ」 「え? なんで、そんなわけ」 「待ち合わせ場所でスマホを見つめたままじっと立ってる君がその相手と思って声をかけた。約束なんてすっぽかされてるとも思わず」 「そんなことっ」 「君が相手ならいいなぁって思ったんだ」 「……ぇ」  この人はとても優しそうだから。 「だから、そんな滑稽な男を慰めると思って」  そっと、手に手が重なった。 「もう少し相手をしてくれないか?」  その手がとてもしっとりと肌に馴染んで、とても、とても。 「数時間でいいから」 「……」 「できたら、一晩」 「……ぁ、の」  とても心地良かった。 「約束をすっぽかされた哀れな男の相手を」  とても――。

ともだちにシェアしよう!