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新居編 8 まるで花のように
一人暮らしの時はほとんどシャワーで済ませてた。あ、いや……今も一人暮らしだけど。でも、敦之さんは毎回湯船に浸かるらしくて、俺も今はそうしてる。一人の時も。なんかその方が肌とかにもいいかなって。俺なんかが肌のこと気にしたってって思わなくもないけど。
敦之さんが触ってくれるから。
少しでも肌が触りたくなる感じの方がいいかなって。
一人で考えて、一人で誰かに言い訳しながら、小さな浴槽の中で足を抱えた。
敦之さんのマンションのお風呂の半分くらいかな。もしかしたらもうちょっと小さいかもしれない。足なんて伸ばせないし、悠々自適ってわけにもいかない狭いお風呂。
「……ふぅ」
その浴槽の中で肩まで浸かるように身体を丸めながら、湯船をじっと見つめた。
明日は仕事だから。敦之さんは先にお風呂を済ませて、今は部屋で何をしてるんだろう。狭いワンルームだからテレビをつけていたらその音がするんだけど、部屋の方からは何も音がしなかった。仕事が終わってないって言ってたっけ……。じゃあ、仕事してるのかもしれない。
湯から上がって、身体を拭いて、ボディミストを。
「……」
こんなのも、前なら使わなかったなぁ。
湯船にしっかり浸かるようになってから、ぐっすり眠れるようになったんだ。
「……ぁ」
部屋に戻ると敦之さんが今日持ってきてくれたお花と、この間持ってきてくれたお花をミックスにして花を生けてくれていた。
「拓馬は花の扱いが上手だね」
「そんなこと……水を替えてあげてるだけです」
「さすが俺のパートナーだ。こっちへおいで」
さらりと、俺にとっては恐れ多いことを呟いて、敦之さんがベッドの端に腰を下ろし、手招いた。
言われた通りにそばに行くと足の間に座らされて、上条家の当主が俺の髪を優しく乾かしてくれる。ドライヤーの風の音さえ、敦之さんがすると優しい音に少し変わるような気がした。
「拓馬の髪は触ってると気持ちいい」
「あ、シャンプー変えたんです」
「さっき使ったよ。とてもいい香りだ」
「あ、ありがとうございます」
敦之さんから同じ香りがする。同じシャンプー、同じボディソープ、同じボディミスト。全部同じなのに、敦之さんの方がすごくすごくいい香りに感じられた。
「お客様、熱くはないですか?」
「! 敦之さん?」
「あはは」
華道の家元が美容師ごっこをして笑ってる。お客様なんて言われて気恥ずかしくて、でも、心地よさにそのままじっとしていた。
敦之さんの指先はやっぱり魔法だ。
俺なんかをこんなふうに変えられる。
「あ、熱くない、です」
貴方に触れられてると、こうして大事に扱われてると、まるで自分が花にでもなれたような気さえする。
「気持ち、ぃ……」
少し甘い、花のような香りって書いてあったから買ったシャンプーのせいかな。それとも、ボディミストのせいかも。甘くて、少しスパイシーな香りの中、風の音と、髪を梳いてくれる敦之さんの指先があまりに気持ち良くて、自然と目を瞑った。
「一緒に暮らしたら、ずっとこんな感じなのかなぁ……」
それは自然と溢れた独り言だった。
寝言みたいなもの。
あまりに気持ち良くて、あまりに心地良くて、つい気持ちがふわりと解けきってたんだ。つい、つぶやいちゃっただけなんだ。
「…………拓馬?」
「! あ、あのっごめっ」
つい、気持ちが緩んじゃって、それで。
「今、一緒に暮らしたらって」
「あ、いえ! あの、えっと」
自分の呟いた声と言った言葉で慌てて目が覚めた。
「今日、午後外回りだったんで疲れてたんです、ついっ、えっと」
そうじゃなくて、うたた寝しかけてた理由とか言ってる場合じゃなくて。
「あの、俺」
「一緒に暮らしてくれる?」
「え? あの! そうじゃないんです」
そう言った瞬間、敦之さんがひどく悲しそうな顔をしたから、させてしまったから、また大慌てで否定をした。
「あの、そっちのそうじゃないじゃなくて、えっと、一緒に暮らしたいなぁって思ったんですけど、言うならこんな感じじゃなくて、ちゃんと申し込、何て言うんだろう、申し込みじゃ変ですよね。えっと、だから」
言うなら、もっとかっこよかったり、ロマンチックな方がいいでしょう?
「そもそも、炬燵をあの差し上げようと思ってて、それで探してたんですけど、なかなか見つからなくて、ならいっそのこと一緒に住めばいいと……ならないですよね。普通、話が、なんか繋がってないや」
ただ、貴方に喜んで欲しくて。
「えっと……」
それにさ、俺がしたかったんだ。
「あの」
「ダメ?」
「……ぁ、の」
貴方の喜んだ顔も見たかったけれど、それだけじゃなくて。
「一緒に住むのは」
俺がね。
「俺っ、あのっ」
「……」
「ずっと、最近、ずっと思ってて」
「あぁ」
「貴方ともっと、その」
「……」
「一緒にいたいなぁって」
俺が貴方と一緒にいたいだけなんだ。
「その……」
「一緒に住もう」
「……」
「俺は拓馬と一緒に住みたい。君と」
貴方がとても好きだから。
「暮らしたい」
どのくらい喜んでくれるだろうって考えた。俺みたいなただの平凡なサラリーマンが一緒に住みませんか? と尋ねたら、どのくらい喜んでくれるんだろうって。
「俺も、です」
貴方はとても、とても優しく微笑んでから。
「君と一緒に暮らせたら、俺はとても幸せだ」
そう囁いて、俺の唇にそっと触れてくれた。花を活けるように優しく丁寧に俺を引き寄せながら。
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