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1-1 開幕〜刑事:美波薫雄

 都心から十五分程度とそう離れていない土地であるのに、ここが都会であることを忘れてしまいそうな草木の生い茂った自然に囲まれる。  徐々に冷気を帯びてきた風に吹かれる木々は紅葉に染まり、美しくも儚い様相を見せていた。  鷲尾怜仁(わしおれいじ)は、休日を使って都内の霊園へと墓参りに来ていた。  彼が足を運んだ先の墓石には、代々の先祖の名と、比較的新たに鷲尾忠志(ただし)、鷲尾(のぞみ)と彫られている。それは鷲尾の両親の名前だった。  綺麗に墓石の掃除をして花を手向け、線香を上げて、合掌。忙しなく生きる若者の身では、こうして年に数回でも会いに来られるならいい方であり、静かに今はもういない大切な存在について想いを馳せる。  一息ついて立ち上がると、鷲尾は隣で手を合わせてくれていたライトグレーのスーツを着た小柄な男を見やった。 「……わざわざこんなところまでご足労願って申し訳ありません。手も合わせていただいて……本当にいつもありがとうございます」 「いいえ、そんな! こちらこそ、プライベートな場にお邪魔してしまって……。でも、こんなに親御さん思いの息子さんを持って、鷲尾さんのご両親……さぞかし幸せだったことでしょうね」 「はは、そうだと良いんですが、どうなのでしょうね」 「そ、そうに決まってますよ! ですから……ご両親の無念は、必ず晴らします。一刻も早く犯人を検挙して、相応の裁きを受けてもらいますから。我々警察にお任せください」  歳のわりに幼く、下手をすれば中学生か高校生くらいにも見えそうな顔をキリリとさせて、男は自信満々に言い切った。そんな彼に鷲尾も柔らかい笑みを返してやる。  犯人。裁き。警察。無法地帯のクラブに入り浸る鷲尾には耳が痛い言葉が並ぶ。  美波薫雄(みなみしげお)という名前のこの男は、鷲尾の生育地に近い恵原(えばら)署で日々殺人犯などの凶悪犯罪者と渡り合うれっきとした刑事だ。  自らも数え切れないほどの犯罪に手を染めている鷲尾の天敵とも言える存在が何故、鷲尾と私生活を共にしているかと言うと、実に込み入った事情があった。  鷲尾が両親を失ったのは今から十四年前の出来事だった。十二歳の彼には非の打ち所のない優しい両親がいて、そんな二人の元で健やかに育っていた。平穏な日常が終わったのは当時の鷲尾にとって正に青天の霹靂である。  その日も、途中までは普段と全く変わらない一日だった。  母の作る美味しい朝食を出勤前の父と共に食べてから小学校に行き、勉強や遊びといったその歳の子供らしい青春を謳歌した。  夕方に学校から帰宅すると、早めの夕食を摂ってから通っている進学塾に向かった。  その際も母には学校であったことや他愛ない世間話をし、玄関先で手を振って見送ってもらったのだが、まさかそれが今生の別れになるとは微塵も想像もしていなかった。  夜も八時を回って塾から帰ってくると、いつもなら真っ先に「おかえり」と言ってくれる母の声がその時ばかりはしなかったのだ。  父ももう仕事から帰って来ている時間だったが、不思議なことに人の気配すらない。  妙な胸騒ぎを覚えながら幼き日の鷲尾がリビングへ向かうと──おびただしい血の海と錆び付いた臭い、無残にもバラバラに解体された人の形をしていない両親が出迎えてくれた光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。  その猟奇的な状況から、警察では明らかな殺人事件であるとして捜査が始まった。  だが、争った形跡はなく、指紋や凶器などの証拠品、はたまた有力な目撃情報も出てこないときてしまった。  金銭トラブルや怨恨の線を疑って、身内や知人といった二人に関係する人間もほぼ全て辿っていたものの、人柄の良かった夫婦にそのような問題は抱えておらず。  しかし、状況からしてその場に第三者がいたことは確実なのだ。  完全に近い犯罪を絵に描いておきながら、やけに厄介な殺害方法を用いている。  強い怨恨もさることながら、まるで世間への見世物としているような。  調べれば調べるほど、誰がこんな風に残酷な真似を実行できるのか──謎は深まっていくばかりだった。  無論、この悲惨で不可解な事件は報道各社でも連日取り上げられたが、今の今まで、結局何一つ進展はなく、遂には迷宮入りと化した。  帰宅が遅かった為にただ一人助かった怜仁少年の精神や生活を心配し、よく気に掛けてくれた山内という担当刑事もいたのだが、皮肉にも不幸は連鎖するものであるのか、彼も病に倒れて退職してしまった。  だがそれで闇に消えるはずだった事件は時効改正後、未解決事案を一つでも減らすべく再度表舞台の脚光を浴びることとなった。  ただ自分なりの平穏な生活を送っていた鷲尾にとっては、本音を言えばもう今さらの話。しかし当然、真犯人が憎くないという訳でもない。内心とても複雑であった。  美波は、その山内の部下である若手の刑事で、鷲尾のことも彼からよく聞かされていたという。  その為か、現在の捜査でも不可解な事件に頭を悩ます刑事の中で、ひときわ興味を持っていた。  歳が二十八と鷲尾と二つ違いであることもあってか、熱心に話を聞いてくれ、その中で自然と親交を深めることとなった。  凄惨な過去を持ちながら挫けることなく立派に社会生活を送る鷲尾を、美波はすっかり哀れな被害者と信じ切っている。  今日は非番であるのに、わざわざこうして共に供養をしてくれるくらいだ。鷲尾もその美波を、頼れる刑事であると認識している。 「……さて、そろそろ帰りましょうか」 「えっ、あ、もう少しゆっくりしていても俺は大丈夫ですよ? もし俺の時間を気にしてくださっているなら、そんな水臭いこと……」 「両親はどう足掻いても戻って来ない。なら、前を向いて生きていかなければ、ね。さ、帰りましょう、美波さん」 「は、はぁ……。ってちょっと! 歩くの速い! 待ってくださいってばぁ!」  すたすたと歩き出すと、美波は慌ててその後を追いかける。どうにもそんなところは犬のようだ、と鷲尾は思う。  そういえば彼は実家でダックスフンドを飼っていると話に聞いたことがある。百六十五センチと男にしては少々低い身長の胴長短足を見ていると、正にそうだとくすくす笑みがこぼれた。 「な、なんで急に笑うんですか? 鷲尾さんてばほんとにわかんない人だなぁ……」 「いえ、決して悪い意味ではないのですよ。あなたを見ていると、なんだかマスコットか何かのような印象を受けるので、楽しくなってしまうんです」 「ふ、ふへっ!?」  いつまでも声変わりしていないようなトーンで素っ頓狂な声を上げる美波に、鷲尾はさらにアハハと高らかに笑った。  数多の御霊が眠るこの場所では不謹慎なような気もするが、こんなにも楽しませてくれる美波が悪いのだからそれも仕方のないことだ。

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