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 鷲尾は近頃、ぼんやり考え事をしていた。  地下クラブに来てからどれくらいの時が経っただろうか、と。  これまでの人生をここで過ごす時間は多く、クラブを知らないで生きていた時のことは、今では遠い昔のように思えていた。  鷲尾は生まれつき裏社会に染まっている者とは違いごくごく一般的な家庭の出身で、本来ならばこの施設のことなど知らずに死んでいく平凡な人生が待っていたはずだった。  それを良しとしなかったのは他でもない。前クラブオーナーこと、八代治(やしろおさむ)だ。  そもそも鷲尾が今こうして生きているのも全てはあの気まぐれな爺によるもので、その本意は誰にも計り知れないでいる。  両親が亡くなってからの鷲尾は、誰が彼の面倒を見るかで親戚中かなり揉めた。ただ、それは決して親戚が情のない人間ばかりという訳ではなかった。  鷲尾は聞き分けが良く、愛想の良い子でもあったので、むしろどこでも上手くいくはず。それを破綻させたのはどちらかと言えば鷲尾の方である。  子供が自身の育つ環境を選ぶのは現代社会ではなかなか難しいことだとわかっていた。  なので、事件の心の傷が一向に癒えずにパニックに陥った演技をしたり、そうでなくとも反抗期真っ盛りといった態度を露骨に表現するようにして、わざと大人から煙たがられるよう仕向けた。  そんなことを続けた結果、周りから奇人として誰も付き合いをしたがらない遠縁の老人の名が上がった。  老人は独身の医学者で、金には困らないがなにぶん大変気難しい性格だった。故に問題のある子供を押し付けるには最適な人間だったとも言える。  その老人が裏では法も秩序もない地下クラブのオーナーだと知ったのは、意外にも彼本人に連れて行かれたからだった。  今考えると、本来ならそこで殺すつもりだったのだと思う。死んでも誰も困らない環境の活きの良い子供は、クラブでは実に重宝されるからだ。  しかし結果はどうだろう。彼の実験対象から外れたどころか、施設の一員になるという、鷲尾も想像の範疇を超えた深い関わりを持つことになってしまった。  いくら遠縁の親戚とはいえ、そのような人付き合いに興味すら抱かない八代は、無垢な少年を無慈悲に切り刻み、植物や動物の餌にするはず。クラブに引き入れられる程度で済む鷲尾が何か特別な存在であることは周知の事実だった。  殺人事件の生き残りなど、何の役に立つものか。側に置いたところであらぬ謀反を企てられるのではないか。洗脳したところでいつかは精神の不安定により崩壊してしまうのではないか。  そういったスタッフの心配をよそに、八代はただ一言こう言ったのだ。「彼は同類だ」と。  それから八代と鷲尾が親子のような親しく近い関係になるのに、そう時間はかからなかった。  当の鷲尾の環境適応能力も凄まじいもので、実の両親が他殺によって亡くなったというのに、大して悲しむそぶりも見せず、むしろ両親が健在であった頃より生き生きと、クラブの規則や仕事を覚えていった。  何の疑問も持たず、根っからここに染まった人間のように、他人を不幸に貶めることを楽しんでいた。  その無邪気な姿を見て、“両親を殺害された可哀想な子”と思う者はクラブでは誰一人としていなくなった。彼はまるで、最初からこんな風に生きたかったのではないかとすら思わせた。  両親という足枷を外された彼は反社会的思考に基づいて欲求を満たす怪物と化したのだ。  だが、このクラブを創り、そんな風に鷲尾を見出した八代はもうこの世にいない。支配人の座についていた男も、今はどこで何をしているのかわからない。  しかし、目新しい出来事もあった。己の運命を微塵も知らなかった八代の遺児が、欲望渦巻くクラブへとその身を投じることとなったのだ。  男としても支配者としてもまだまだ未熟な彼ではあるが、その瞳の奥に宿る激情を見つめ、いずれは立派にクラブを牛耳ることができる人間に成長するだろうと鷲尾は予感していた。  そうして日々クラブの情勢も変化する中で、鷲尾はそろそろ自分も本当にやりたいことをするべきだと、常々考えていた。

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