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始まりの木曜日

神無月の家に生まれた、神無月生まれの子供は 神様からの守りは少ないだろうから、あたしらが七重に守ってやらんとな。 オレが産まれる前に、父親が事故で亡くなって。 母親はオレを世に送り出すとそれが使命だったのだというように、この世を去った。 残されたオレに、ばあちゃんは七重と名をつけた。 だから、オレには神はいない。 そう思っていた。 *** *** *** ほんの少し、茶色い、くせの有る髪。 明るい緑色の瞳の茶色の虹彩。 それは、奴にどこかの国の血が、少しだけ混じっているせいなんだそうだ。 頑張っている風でもないのに、成績は常に5位以内とか、スポーツは万能なのに、クラブには入らないとか。 親は金持ちで、周りにはいつも取り巻きがいるとか。 みんなより、頭一つ飛び抜けた長身とか、少年とは思えない広い肩幅とか。 神様に愛されている奴も世の中にはいるんだなと、ため息をつくしかない。 だから、自分のような頭がいいだけが取り柄で、どうということのない容姿のオレに、あいつが話しかけて来た時の驚きったら。 学校の図書室で、夏の補習用に出されたプリントをまじまじと見ている時だった。教室を使うからと追い出された。外はまだ暑かったし、アパートにはエアコンがないから涼しいここで、チェックしようと思った。 「神無月さん?」 メガネを外していたので、若干焦点の合わないぼんやりとした眼差しをあげると、榛色の目がオレの目を覗き込んでいた。 「うわあ!」 距離があまりにも近かったので、オレはビクっとして叫んだ。 慌てて銀縁のメガネを手探りでつかんでかける。 土御門つちみかど春樹。 いわゆる、坊ちゃん学校であるうちの学校でも、ひどく目立つ、華族の血を引く御曹子。 「酷いなあ」 軽やかに笑いながら、やつは隣の椅子を引き出すと、どっかりと座った。 「つ、つちみかどくん?」 裏返った声で、学校の有名人を二度見した。 土御門は机に頬ずえして、にっこりと、いや艶然と微笑んでいる。 高校生とはとても思えない、男のオーラというか、余裕というか。 「神無月さんさあ。 俺に勉強教えてくんない?」 「はあ?」 間抜けな返答が飛び出す。 確かにオレは学年首位かもしれないけど、奴だって、学年じゃかなり上位だし。 大体金持ちの息子じゃないか。カテキョを雇う金がないわけないし。 塾だって普通に通ってるに違いない。 オレが、あうあうと言葉を選んでいると、 ピリッとした空気が流れて、土御門の目が細くなる。 瞼を閉じる一瞬、何かがよぎった気がした。 はしばみ色の目が開くと、緊張感は消えて、にこやかな笑顔の土御門がひらひらと手を振った。 「こないだのテスト、散々でさあ」 髪をくしゃくしゃにしながら、苦笑いをする。 そういえば、今回の期末テスト、珍しく土御門は5位以内にいなかった気がする。 「じゃ、ちょっと真面目に勉強すれば……これを機会に、塾とかカテキョとかさ」 土御門の目がまた細くなった。 半ば閉じた瞳にゆらりと暗い光が宿る。微笑んでいるのに、目は笑っていない。 「神無月さんに頼んでるんだけどな。前にさ、クラスの奴に教えてたじゃん?」 ゾクっと背筋に何かが走る。なんだろこれ。 「高橋のこと?あいつはクラスでも下の方だし、土御門くんは、学年上位じゃん?オレが教えるってレベルじゃないよね?」 「嫌かな?」 低くて小さな声。 獣のうなり声みたいな。 「い、嫌ってわけじゃないけど」 瞬間、空気が緩んで、土御門が鋭く息を吸う。 「土御門くん知らないかもだけど、オレは一人暮らしだから。帰ったらメシとかいろいろで、割と余裕ないってかさ」 オレは愛想笑いを貼り付けて、やんわりと断ろうとした。 「そういうことか」 説得できたかな? 愛想よさげな笑顔につられて、オレの口元にも笑顔が浮かぶ。 そこで、土御門は爆弾を落とした。 「じゃ、ウチに来れば?」 「は?」 ピキンと固まったオレに、土御門はたたみかける。 「ウチならメシの心配いらないし。部屋も余ってるから。一人暮しなら、外泊大丈夫だよね?ウチに泊まればいいじゃん。 ……夏休み中。」 夏休み中? え? いくらなんでも長すぎだよね? 「え?え?お家の人に聞くとかしないとまずいよね?」 「ウチ、放任だしな。忙しくて、親、あんまいないし。学年トップの七重さんなら全然OK」 夏休み。 クーラーの効いていない部屋で、明日のメシの心配をしながら勉強する。 それが、オレの日常。 だったのに。 親がないし、ばあちゃんも、もう年だから、何かあってもしっかり生きていける様にって躾られていたけど。 でも、人に面倒を見て貰えると思うと、気持ちが揺れる。 「バイト代も出すよ」 バイト代? 特待生で入学したけど、ばあちゃんの勧めのこの学校は、かなり金がかかる。 金のことは心配するなとは言われているけど、両親の残した保険金とばあちゃんの年金に頼るオレは収入は魅力的だった。 見透かしたみたいに、土御門に笑みが広がる。 オレはビクビクしながら問いかけた。 「なんか、迷惑じゃない?」 「いや」 きっぱりと土御門は言い捨てた。 勝ち誇ったような目。 はっとしたオレをじっと見ながら、土御門は手を差し出した。 「よろしく」 オレは軽く手に触れた。 土御門の手はすごく冷たくて、かすかに・・・震えている。 土御門は触れただけのオレの手をぎゅっとにぎった。 「ハル」 「え?」 「土御門家に来るのに、土御門くんはおかしいじゃん?春樹だから、ハル。 ……そう呼べよ」 「え、え?なんか馴れ馴れしくない??」 土御門が仲間とつるんでいるのを見たことがあるけど、そんな風にみんな呼んでいたか? 春樹くん? 春樹? 確かにそう呼ばれていた。 でも・・・ ガタンと土御門が立ち上がり、つないだままの手を引っ張った。 ふいをつかれて、オレも立ち上がってよろめいた。 近いよ。 なんだこれ。 榛色の目に金色の斑点が浮かんでいる。 茶色い髪が窓からの光で真っ赤な炎のようだ。 髪の毛が触れそうな距離。 懇願するような、土御門の声が震える。 「呼べよ」 オレは惚けたように、土御門の目を見ていた。 真っ赤な顔に口をぱくぱくさせるオレは、絶対金魚みたいに見えるはずだ。 「は、ハル?」 上ずった声しか出ない。 何をやってるんだ、オレ。オレはたまらなくなって、目を伏せた。 その時、土御門の全身に震えが走った。つないだ手からそれが伝わる。 弾かれたように目をあげた瞬間、ぱっと土御門が手を離す。 オレはそのまま、椅子に座り込んだ。 土御門は横を向いて、髪をくしゃくしゃにしながら、何か言葉にならない悪態をつくと、ちらりとオレを見て言った。 「ケータイ。…………教えて?メルアド」 「あ、ごめ。オレ、ケータイ持ってない」 は、って息を吐くと、ドキドキする胸を抱えたままで答えた。 未成年が親なしで、携帯を持つのは難しい。 オレの保護者には、父方のばあちゃんがなってくれてるけど、離れて暮らしてるし。盗難や紛失とか万が一の時に迷惑がかかるのは嫌だから、携帯は持たないことにしたんだ。 「PCのアドなら・・・」 「マジか」 呆れたように、土御門がため息をつく。 「ご、ごめ」 「いいよ。でも、約束したからな」 「え?」 「カテキョ」 「ああ、うん。でも、あんま役に立たないと思うんだけどなあ」 土御門は遮るように手を振ると、そのまま返事もせずに図書室を出て行った。 オレはバラバラになったプリントを集めて、とんとんと机の上でまとめた。それから、一体何を約束しちゃったんだろうと、プリントに顔を埋めて頭を抱えた。

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