2 / 39

後悔の金曜日(1)

昨日のあれは間違いだった。 朝飯のトーストにマーガリンを塗りながら、オレは猛烈に反省していた。 大体、土御門、いやハル。 いや、やっぱり土御門は金持ちの息子で、一方オレはいわゆる苦学生ってやつで。 身分が違うって言うのは、古い言い方かもしれないけど、やっぱりどう考えてもオレとあいつじゃ身分が違う。 あいつは金の力で状況を打開出来るわけだし、どうしてもオレじゃなきゃって理由が全然わからない。 バイト代や食い物なんぞに釣られている場合じゃない。 他人なんか構っている余裕なんかない。自分の勉強だって大変なんだし。 それに…………昨日のあれは。 明るい緑色の茶色い虹彩。 飛び散る散る金色の斑点。 微かに震える冷たい指先。 自分の名を呼んでくれと懇願する柔らかい声。 かーっと顔が赤くなる。 絶対にあれはヤバイ。 「男相手に、なんなんだよ。オレ」 食欲はもうなくなっていたけど、貴重な食材を無駄にするわけにはいかない。 冷めきったトーストを口に詰め込むと、もうぬるくなった安物の紅茶をすすり、オレは学校へと急いだ。 「ちゃんと断ろう」 *** 早く言えばいいのに。 何をやってるんだ。 意気地のない自分に腹が立つ。 そもそも、土御門は目立ちすぎる。 いつでも複数の友達や女の子に囲まれていて、目立たずに近づくことなんか、出来るわけがない。 元々、何の接点もないオレが土御門に話しかけようものなら、周りの連中が何しに来たんだ的な雰囲気になるのがわかってる。 イライラしながら、課題のプリントに集中する。 問題を読もうと前髪を握っていると、廊下で大きな笑い声が聞こえて、集中が途切れた。 ぱっと目をあげると、廊下を土御門たちが通り過ぎる所だった。 ゲラゲラと笑う取り巻き達。 土御門は、窓際の席のオレを廊下から真っ直ぐに見ていた。 まるで、こっちを見ろという様に。 そして、視線がぶつかると、勝ち誇ったような笑みが唇に浮かぶ。 オレはこれがチャンスなんじゃないかと、立ち上がりかけた。 その時、 「七重~お前、まさか」 「は?」 同じクラスの高橋が課題のプリントを覗き込んでいた。 「これ、明日提出のだろ~? 見せて見せて~?」 それは、いつもの事だったから、 オレは反射的にプリントをつかんで言い放った。 「自分でやらないと、身につかないだろ?」 「え~冷たい~」 高橋が甘えた声を出す。サッカー部所属のガタイのいいお前が甘えてもキモいだけだ。オレは廊下をちらりと見たが、土御門の姿はもうなく、騒ぎは後ろの扉の方に移動していた。 あーあ。 オレはため息をつきながら、席に座った。 その瞬間、オレと土御門の教室の間の壁がダンと大きな音を立てる。 静まりかえる教室。 「ちょっ!春樹!何いきなり怒ってんの?」 取り巻きの一人がびっくりして叫ぶ声が聞こえる。 「土御門?おっかね~」 ざわざわし始める教室。高橋がコソコソとつぶやく。 オレはあいまいに頷くと、プリントに目を落とした。 うまく断れるのかな。 ──悪い予感しかしない。 ** ** ** 放課後。 気をもみながら、一日は過ぎてしまった。 ケータイ持ってたら、メール一本で済んだのに。 ため息をついた瞬間。 「神無月さん、いる?」 ぱっと目をあげると、土御門が教室の入口に立っていた。 取り巻き連中はいない。 土御門は教室を見回し、オレを見つけると、軽く手を降ると教室に入って来た。 クラスの中は、クラブに行った奴らがほとんどで、人影もまばらだった。 数人残ってダベっていた女子が色めき立つ。 「どーも」 土御門はオレに笑いかけると、どさりと高橋の席に座った。 土御門は、興味なさげに女子どもを一瞥する。 免疫のない女子達は真っ赤な顔で土御門を見ていた。 「ばいば~い」 土御門が手を振ると、邪魔らしいと気づいた女子達は荷物をまとめて、口々に別れの挨拶をすると、教室をでた。 廊下から興奮したらしき奇声が聞こえる。 こらこら、何を想像してるんだ? ダッシュで逃げ出した女子を見送ると、オレは高橋の席に腰かけた土御門を見た。 深い彫りの顔に陽に透ける茶色い髪。 なんというか、映画や絵やファッション雑誌でしか見られない光景。 土御門が前の席だと、毎日こういうゴージャスな眺めなわけだ。 視線に気付いた土御門が目をあげる。 視線に一瞬何か飢えたような光が浮かんだけど、それはすぐに艶やかな誘うような笑みにとって変わられた。 いや、俺を誘ってどうするんだ。 アタマおかしくね? オレ。 「これ」 内ポケットから、土御門が何か取り出す。 それは、最新のスマホだった。 「連絡用」 「え?」 「あげる」 あ、あげるって?iPhoneじゃん? 「いや、それはダメでしょ」 土御門は、普段、反抗なんてされないんだろう。 怪訝そうにオレを見た。 「なんで?」 「すっげ~金かかるし。貰えるようなもんじゃないでしょ」 土御門はため息をつくと、 しょうがないなあというように言った。 「じゃあ貸すよ」 「借りられるものでもないじゃん? なくしたらどうするの」 ぴりっとした空気が流れて、土御門が腹を立てたのがわかる。 だけど、土御門は微笑んでいる。でも、目は笑っていない。 「なあ、俺から連絡来るのって……迷惑?」 そうだと言うべきなのに、反対の言葉が転がり出る。 「そうじゃなくて!」 勝った。言いたげな笑顔が浮かぶ。 「なら、いいだろ」 「土御門くん!」 「ハル、だろ?」 昨日のなめらかな懇願が、鮮やかに蘇る。 顔に血が登るのを感じて、バカじゃないのと自分を蹴りたくなる。 「呼んでよ」 昨日とおんなじだ。榛色の中の金色の斑点。 オレがなんにも言えないでいると、土御門は舌打ちして、髪をくしゃくしゃにしてため息をついた。 「まっ、いいか。今日は」 土御門はズボンの後ろのポケットに手をつっこむと、iPhoneを取り出した。 それは土御門の使ってるものらしく、ちょっぴり角に傷がついてるし、画面にも軽いすり傷がある。 「じゃ、これにする?新しいのがダメならさ。これは結構使ってるし」 「利用料とかなんとかいろいろあるじゃん?どっちにしてもダメだよ」 「じゃあさ。連絡したい時、どーすんの? 俺がさ、神無月さんに連絡したいから携帯買ったんじゃない。今更返せないんだし。解約だって金かかんでしょ?使ってくんなきゃ」 オレは半ば負けを認めながら、それでも強情を張って言った。 「連絡ったって、夏休みの間だけじゃん?」 沈黙。 「そういう事、言うんだ?」 小さい声だけど、はっきり聞こえた。 机の上の拳がぎゅっと握られる。 ギリギリっと、歯を食いしばる音が聞こえたような気がする。 「連絡されんの、迷惑じゃないって言ったよな?」 吠えるように土御門が言う。 怒りのオーラが見えるような気がした。 「それはそうだけど」 「じゃあさ、軽い気持ちで預かっててよ」 オレは反論しようと口を開きかけたけど、土御門の細められた目が放つ光に気圧されて、口をつぐんだ。

ともだちにシェアしよう!