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後悔の金曜日(1)
昨日のあれは間違いだった。
朝飯のトーストにマーガリンを塗りながら、オレは猛烈に反省していた。
大体、土御門、いやハル。
いや、やっぱり土御門は金持ちの息子で、一方オレはいわゆる苦学生ってやつで。
身分が違うって言うのは、古い言い方かもしれないけど、やっぱりどう考えてもオレとあいつじゃ身分が違う。
あいつは金の力で状況を打開出来るわけだし、どうしてもオレじゃなきゃって理由が全然わからない。
バイト代や食い物なんぞに釣られている場合じゃない。
他人なんか構っている余裕なんかない。自分の勉強だって大変なんだし。
それに…………昨日のあれは。
明るい緑色の茶色い虹彩。
飛び散る散る金色の斑点。
微かに震える冷たい指先。
自分の名を呼んでくれと懇願する柔らかい声。
かーっと顔が赤くなる。
絶対にあれはヤバイ。
「男相手に、なんなんだよ。オレ」
食欲はもうなくなっていたけど、貴重な食材を無駄にするわけにはいかない。
冷めきったトーストを口に詰め込むと、もうぬるくなった安物の紅茶をすすり、オレは学校へと急いだ。
「ちゃんと断ろう」
***
早く言えばいいのに。
何をやってるんだ。
意気地のない自分に腹が立つ。
そもそも、土御門は目立ちすぎる。
いつでも複数の友達や女の子に囲まれていて、目立たずに近づくことなんか、出来るわけがない。
元々、何の接点もないオレが土御門に話しかけようものなら、周りの連中が何しに来たんだ的な雰囲気になるのがわかってる。
イライラしながら、課題のプリントに集中する。
問題を読もうと前髪を握っていると、廊下で大きな笑い声が聞こえて、集中が途切れた。
ぱっと目をあげると、廊下を土御門たちが通り過ぎる所だった。
ゲラゲラと笑う取り巻き達。
土御門は、窓際の席のオレを廊下から真っ直ぐに見ていた。
まるで、こっちを見ろという様に。
そして、視線がぶつかると、勝ち誇ったような笑みが唇に浮かぶ。
オレはこれがチャンスなんじゃないかと、立ち上がりかけた。
その時、
「七重~お前、まさか」
「は?」
同じクラスの高橋が課題のプリントを覗き込んでいた。
「これ、明日提出のだろ~? 見せて見せて~?」
それは、いつもの事だったから、
オレは反射的にプリントをつかんで言い放った。
「自分でやらないと、身につかないだろ?」
「え~冷たい~」
高橋が甘えた声を出す。サッカー部所属のガタイのいいお前が甘えてもキモいだけだ。オレは廊下をちらりと見たが、土御門の姿はもうなく、騒ぎは後ろの扉の方に移動していた。
あーあ。
オレはため息をつきながら、席に座った。
その瞬間、オレと土御門の教室の間の壁がダンと大きな音を立てる。
静まりかえる教室。
「ちょっ!春樹!何いきなり怒ってんの?」
取り巻きの一人がびっくりして叫ぶ声が聞こえる。
「土御門?おっかね~」
ざわざわし始める教室。高橋がコソコソとつぶやく。
オレはあいまいに頷くと、プリントに目を落とした。
うまく断れるのかな。
──悪い予感しかしない。
** ** **
放課後。
気をもみながら、一日は過ぎてしまった。
ケータイ持ってたら、メール一本で済んだのに。
ため息をついた瞬間。
「神無月さん、いる?」
ぱっと目をあげると、土御門が教室の入口に立っていた。
取り巻き連中はいない。
土御門は教室を見回し、オレを見つけると、軽く手を降ると教室に入って来た。
クラスの中は、クラブに行った奴らがほとんどで、人影もまばらだった。
数人残ってダベっていた女子が色めき立つ。
「どーも」
土御門はオレに笑いかけると、どさりと高橋の席に座った。
土御門は、興味なさげに女子どもを一瞥する。
免疫のない女子達は真っ赤な顔で土御門を見ていた。
「ばいば~い」
土御門が手を振ると、邪魔らしいと気づいた女子達は荷物をまとめて、口々に別れの挨拶をすると、教室をでた。
廊下から興奮したらしき奇声が聞こえる。
こらこら、何を想像してるんだ?
ダッシュで逃げ出した女子を見送ると、オレは高橋の席に腰かけた土御門を見た。
深い彫りの顔に陽に透ける茶色い髪。
なんというか、映画や絵やファッション雑誌でしか見られない光景。
土御門が前の席だと、毎日こういうゴージャスな眺めなわけだ。
視線に気付いた土御門が目をあげる。
視線に一瞬何か飢えたような光が浮かんだけど、それはすぐに艶やかな誘うような笑みにとって変わられた。
いや、俺を誘ってどうするんだ。
アタマおかしくね? オレ。
「これ」
内ポケットから、土御門が何か取り出す。
それは、最新のスマホだった。
「連絡用」
「え?」
「あげる」
あ、あげるって?iPhoneじゃん?
「いや、それはダメでしょ」
土御門は、普段、反抗なんてされないんだろう。
怪訝そうにオレを見た。
「なんで?」
「すっげ~金かかるし。貰えるようなもんじゃないでしょ」
土御門はため息をつくと、
しょうがないなあというように言った。
「じゃあ貸すよ」
「借りられるものでもないじゃん? なくしたらどうするの」
ぴりっとした空気が流れて、土御門が腹を立てたのがわかる。
だけど、土御門は微笑んでいる。でも、目は笑っていない。
「なあ、俺から連絡来るのって……迷惑?」
そうだと言うべきなのに、反対の言葉が転がり出る。
「そうじゃなくて!」
勝った。言いたげな笑顔が浮かぶ。
「なら、いいだろ」
「土御門くん!」
「ハル、だろ?」
昨日のなめらかな懇願が、鮮やかに蘇る。
顔に血が登るのを感じて、バカじゃないのと自分を蹴りたくなる。
「呼んでよ」
昨日とおんなじだ。榛色の中の金色の斑点。
オレがなんにも言えないでいると、土御門は舌打ちして、髪をくしゃくしゃにしてため息をついた。
「まっ、いいか。今日は」
土御門はズボンの後ろのポケットに手をつっこむと、iPhoneを取り出した。
それは土御門の使ってるものらしく、ちょっぴり角に傷がついてるし、画面にも軽いすり傷がある。
「じゃ、これにする?新しいのがダメならさ。これは結構使ってるし」
「利用料とかなんとかいろいろあるじゃん?どっちにしてもダメだよ」
「じゃあさ。連絡したい時、どーすんの? 俺がさ、神無月さんに連絡したいから携帯買ったんじゃない。今更返せないんだし。解約だって金かかんでしょ?使ってくんなきゃ」
オレは半ば負けを認めながら、それでも強情を張って言った。
「連絡ったって、夏休みの間だけじゃん?」
沈黙。
「そういう事、言うんだ?」
小さい声だけど、はっきり聞こえた。
机の上の拳がぎゅっと握られる。
ギリギリっと、歯を食いしばる音が聞こえたような気がする。
「連絡されんの、迷惑じゃないって言ったよな?」
吠えるように土御門が言う。
怒りのオーラが見えるような気がした。
「それはそうだけど」
「じゃあさ、軽い気持ちで預かっててよ」
オレは反論しようと口を開きかけたけど、土御門の細められた目が放つ光に気圧されて、口をつぐんだ。
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