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【番外編】高橋太郎の場合
高橋:(ばんけん)は神無月 に出会う。
一方的に
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入学式の後、初めての教室、自己紹介の時、そいつは言った。
「神無月七重です。趣味や特技は特にありません」
落ち着いたきれいな声が、そう言った。
無表情なまま、ストンと腰かける。
どこを見るわけでもなく、真っ直ぐ黒板を見ている。次のやつが話しはじめても、視線はゆるがない。
視線を感じたのか、微かに頭が動いておれを見る。
ただそこにあるものを、何の興味もなく一瞥した。
それだけの瞳がおれを掠めて離れて行く。
女の子のような名前、女の子のような顔、でも、華奢な身体は男子の制服を着ていて、ストレートのショートカットも低い声も男子のもので、神無月七重は確かに男だった。
休み時間、他のクラスの持ち上がりの奴等と違って、受験や推薦で特待生になったおれたちのクラスは、新しい友達作りっていうムードになっていたんだけど、その中で、神無月は悠然と真新しい教科書を読んでいた。
勇気のある女子が神無月のメアドを聞いている。
「携帯は持っていないんです。申し訳ありません」
すっと視線がそれて、手元の本に落ちる。周りのざわめきを無視してページをめくる音が世界を遮断する。
主席入学だったのに、挨拶を持ち上がりの在校生に譲ったとか、毎年新入生から選ばれる生徒会会計への誘いを学業に差し支えが出るからとあっさり蹴ったとか、初めてのテストで軽々とトップを取ったとか。
色んな伝説を作って、でも、本人はそんなことは関係ない風情で勉強を続けている。神無月は勉強は出来るが人嫌いの変人として、みんなに知られることになった。
窓際の一番後ろの席で、前髪を握りながら勉強をしている。
それがおれの知っているすべてだ。
どんな顔で笑うのか、怒るのか、おれは知らない。
時々、先生が神無月を指す。
大概は他の生徒には歯が立たない問題。
なめらかに神無月が答えを言う。
黒板に少し丸くて几帳面な字を並べて、淡々と説明する。
勉強がいまいち苦手なおれには、神無月が指されるクラスの問題はさっぱり解らない。
それでも、声が聞けるだけでなんだか幸せな気持ちになった。
もっと近づきたいという気持ちが増していく。
もっと近くの席なら。
呟く声とか。ため息とか。
前から回った来たプリントを差し出したら、礼を言うかもしれない。
そんな小さなことでもいいから。
ねじれる様に胸が痛む。
少しだけでいいから…
一学期の終わり頃、おれは神無月の席の前の加藤に声をかけた。
こいつは同じサッカー部員だ。
「な~。加藤。お前の席、おれに譲らね?」
「はぁ? なんで?」
あっけに取られたように加藤がおれを見る。
「神無月、頭いいから。勉強教えて貰えそうじゃん?」
「いや、ムリだろ。あいつしゃべらないぞ、マジで。おれ、続けて三言以上話したの聞いたことないぞ」
お前なんかに話す必要ないだろ。
なんて思いながらにこにこして言う。
「三千円でどうよ」
加藤が嫌そうに顔をしかめる。
「お前、何? 神無月に惚れてるの? ホモなの?」
「いや?違うけど」
そんな軽い気持ちだったらいいんだけどな。
「いや、おかしいだろ」
おれはわんこみたいって言われる顔で笑って言った。
「神無月の前の席にいたい加藤はホモ?」
「いや、違うし!」
ムキになった加藤に畳みかける。
「んじゃいいじゃん」
「ああ~なんかもやもやする」
こういう時は迷わずBETだよな。
「じゃあ四千円で」
「マジ? マジなの?」
おれはへらへらと笑うと財布から千円札を四枚引っ張り出した。
「ほい」
高校生は現生に弱いよな。差し出す金を加藤はさっと取った。
「もう一枚?」
加藤がおれを試すみたいに言う。
おれはへらりと笑うと、もう一枚札を出した。
「交渉成立?」
加藤は頷いた。
わくわくしながら机を加藤と交換する。
気付いたらビビるかな。
なんか声かけられたりして…。
三日経って気がついた。
神無月、気づいてないなこれ。
思い切って横座りして勉強する神無月をガン見する。
前の授業で出た宿題を前髪握り締めてやってる。
睫毛長いよな~色白いよな~唇柔らかそう。
本当に可愛いなこいつ。なんで男なのか意味わからん。
視線を感じたのか、ふっと目を上げる。
うわ、近くで見るとマジで可愛い。
可愛い?いや、好みっていうか、可愛い。
じーっと銀縁のメガネの奥の瞳を見詰める。
目の色が普通の人より濃いのか。でも黒じゃない。
濃い茶色。ブラックのコーヒーみたいな。
いや、これには砂糖が入ってる、絶対。
すうっと目が伏せられて、勉強の続きをする。
うわ、無視して来たよ。
「ね~ね~七重ちゃん」
はあ? って感じで目が上がる。
すっごい嫌そうな顔してる。
うわ。無表情以外の顔初めて見たよ。
わんこみたいに笑って嫌そうな顔を観察する。
「宿題見せて?」
「嫌です」
「え~いいじゃん」
「勉強になりませんから」
うわ。ムカついてると、こういう声でしゃべるんだ。
全くもうってくらい可愛い声。いや、綺麗な声?萌え転がっていいかな。
「七重ちゃんって呼んでいい?」
「……嫌です」
「じゃあ、七重って呼ぶね?」
「………」
またしてもすっごい嫌そうな顔。
でも、無表情より全然いい。
叫びたいくらいドキドキする。
おれはへらっと笑った。
すうっと視線が手元のプリントに落ちる。
また無視か。
まぁいいか。
嫌だって言わなかったから、今日から神無月じゃなくて七重だし。
まあ嫌だって言っても七重だけどな。
すっげえ嬉しいんですけど。
おれはプリントを出して、七重の机のはじっこにプリントを広げると答えを写し始めた。
「やめてください」
白くて細い手がプリントを隠す。
「いいじゃん。減るもんでもないし」
「自分でやらないと、身につきませんよ」
「やらなくていい勉強はしない主義なんだよね~」
「呆れるな」
あ、敬語じゃなくなった。
マジ切れすると敬語じゃなくなるのか。
「高橋太郎」
「は?」
へらへらと笑って見せる。
怒った顔の七重も可愛いな。
「高橋くん」
「高橋でいいよ?」
「高橋、真面目に勉強しろよ」
「わかった。じゃ、教えて?」
七重が宇宙人を見るような顔でおれを見てる。
ちょっと視線が上にあがって、もう一度おれを見た。
消えないって思ってるみたいな視線。
七重は、はあってため息をついて言った。
「嫌だ」
手元のプリントを覆うようにして勉強し始める。
今日はこんなもんかな?
本気で嫌われたら嫌だしな。
へらへら笑いながら前を向いて、頬杖をついた。
視線を感じて廊下を見ると、隣のクラスの土御門春樹と目が合った。
ものすげえ目で睨まれる。
なんだあいつ。
まさか、あいつもとかないよな。
まぁ、そうでも渡さないけど。
おれはへらっと土御門に笑って見せた。
途端にもっと目が険しくなる。
あ、あいつ、マジかもしれない。
面倒くさいな。
まぁでも、七重クラスから出ないし。
大丈夫だよな。
おれは机に腕を組むと頭を乗せて、目をつぶって寝たフリをした。
すっげえドキドキする。
はあ。
完全にいかれちゃってるよなぁ。
まあ全然困らないけど。
どうやって落とせばいいかなぁ。
まずは懐かせるとこからかな。
んで、次は笑った顔を見よう。
絶対可愛いから。
番犬高橋太郎の場合──終わり──
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