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第10話
エロなし季節感無視のバレンタインデーとホワイトデーの話です。
その日、真は佐野と一緒に帰っていた。ちょこちょこ店を覗きながら、ぶらぶらと駅をうろつく。
駅の中はバレンタインのチラシがあちこちに貼ってあった。一ヶ月も先だが、既にチョコを売っている店も多い。
「もうすぐバレンタインだね」
真は特に深い意味もなく、そう口にした。
それを聞いた佐野が、パッと顔を綻ばせる。
「もしかして真ちゃん、チョコくれるの!?」
「え……?」
そんなつもりは全くなかった。少しも、一ミリも、チョコをあげるなんて発想は頭になかった。
しかし、佐野の顔を見るとそんなことは言えなかった。期待に瞳を輝かせている。そんなキラキラした目で見られたら、頷くしかなかった。
冗談なのでは、と思ったが、嬉しそうな彼を見る限りからかわれているわけでもなさそうだ。
バレンタインに真からチョコを貰っても嬉しくないと思うのだが。佐野は無類のチョコ好きなのかもしれない。
佐野はにこにこ笑っている。
「楽しみだなー、真ちゃんの手作りチョコ」
「ええ!?」
「楽しみにしてるからね」
「う、うん……」
なぜか手作りすることになってしまった。既製品の方が確実に美味しいと思うのだが。
しかし、佐野にそう言われては断れない。彼には随分お世話になっている。たまに勉強を見てもらっているし、なにより精気を食べさせてもらっているのだ。
日頃の感謝の気持ちを込めてチョコを贈るのはいいかもしれない。
そうなると、もちろん今井と上原にもあげたいのだが、彼らは真からのチョコをどう思うだろう。
後日。真は上原と二人になったときに訊いてみた。
「上原くん、甘いもの好き?」
「甘いもの? ああ、食べるよ」
「えっと、チョコとか、好き?」
真の問いかけに、上原は全てを察したようだ。
「俺にくれるのか、チョコ?」
「あ、うん、あの、上原くんが、嫌じゃなければ……」
「嫌なわけない」
「そ、そっか……」
上原もチョコが好きなようだ。
「手作りよりも、既製品の方がいいよね?」
「手作りしてくれるのか?」
上原は僅かに目を見開く。その瞳はやはり輝いていた。
既製品の方がいいと言われるのを予想して訊いたのだが、上原の反応を見る限りそうではないようだ。
「あ、うん……手作りで、よければ……」
「楽しみにしてる」
ぎゅうっと抱き締められ、頬擦りされた。
上原も相当チョコが好きなのだろう。
更に後日。今井と二人きりになったので同じように訊いてみた。
「チョコ? まあ、食うけど、食うなら煎餅の方がいい」
「そっか、お煎餅だね」
今井の答えに、真は笑顔で頷いた。
彼にはチョコではなく煎餅を用意しよう。
今井は、なにかに気づいたようにハッとして声を上げた。
「ちょっと待て、真っ」
「どうしたの?」
「いや、チョコ、別に、食えるし、あれば、結構食うし」
今井は言葉はしどろもどろで、なにを伝えたいのかよくわからない。
「えっと……でも、チョコより煎餅が好きなんだよね?」
「別にそんなことねーし。くれるなら貰うし、貰ったらちゃんと食うし」
「そうなんだ……?」
今井はモテるから、バレンタインには女子からチョコを貰うのだろう。食べるなら煎餅の方がいいと言っているが、女子からチョコを貰ったらちゃんと食べるということか。
それならば、やはり真は煎餅をあげた方がいいだろう。チョコばかり貰っても、それほど好きでないのなら食べるのが大変だ。
「いいか!? 俺はチョコ食うからな!」
「? うん」
なぜか強く念を押されて、真はとりあえず頷いておいた。
それから真は準備に取り掛かった。まずはなにを作るかを考える。感謝の気持ちを込めるからには簡単なものではなくそれなりに手間のかかるものを作りたい。色々調べて、ガトーショコラを作ることにした。
母親に手伝ってもらい二回ほど練習を経て、バレンタインの前日、佐野と上原に渡すためのガトーショコラを一人で作り上げた。
父と母に味見をしてもらい、自分でも味を確かめて、これならば大丈夫だろうと判断し、丁寧にラッピングした。
そしてバレンタイン当日。
放課後、真の呼び掛けに三人は快く応じてくれて、麻雀部の部室に集まった。
真は袋から取り出したものを各々に手渡した。
佐野と上原には真の作ったガトーショコラを。
そして今井には、有名な老舗の煎餅屋で買ってきた煎餅を。
「なんで俺だけ煎餅なんだよ!?」
渡した瞬間、今井に怒鳴られた。
「え!? 今井くん、チョコよりも煎餅がいいって言ってたから……」
煎餅ではなく、他のお菓子がよかったのだろうか。
「チョコ食うっつっただろ!?」
「でも、無理に食べてもらうのも申し訳ないし……」
「無理なんて言ってねーだろッ」
「で、でも、今井くんが美味しいって思うものをあげたかったから……」
「大体、なんでそいつらは手作りで俺だけ買ってきた煎餅なんだよ!」
「えっ……!?」
煎餅を手作りするという発想はなかった。まさかそんな指摘をされるとは。
確かに一人だけ全然違うものを渡されたら気分はよくないかもしれない。三人同時に渡したのは失敗だった。
「ご、ごめん……」
しゅんと肩を落とす。
すると、上原が口を挟んだ。
「今井、自分だけ真の気持ちのこもった手作りチョコを貰えなかったからって拗ねるな」
「はあ!? 別に拗ねてねーし! てかなんか腹立つなその言い方!」
今井が声を荒げれば、佐野も面白がるように混ざった。
「充分拗ねてるでしょ? 素直に真ちゃんの手作りチョコが欲しいって言ってれば用意してもらえたのにー」
「っ……べっつに、チョコ欲しいとかっ」
今井の否定の言葉を佐野は遮る。
「ほらまた素直に言わない。ほんっとツンデレなんだから」
「誰がツンデレだッ」
「今井のツンデレ小学生ー」
「ぶん殴るぞ、テメーッ」
二人の言い合いを無視して、上原は真を抱き締める。
「ありがとう、真。手作り、嬉しい」
「うん。喜んでもらえたなら、よかった」
優しく頭を撫でられ、真ははにかむ。
「あーっ、上原ばっかズルい」
気づいた佐野が、上原の腕から真を奪い取る。そして真の頬に口づけた。
真は目を丸くして羞恥に頬を染める。
「わっ……」
「真ちゃん、チョコありがとう。俺もすっごく嬉しい。大切に食べるね」
「うん」
佐野の笑顔に真も嬉しくなり、顔を綻ばせた。
佐野は真の肩を掴んで今井の前へと促す。
「ほら、今井もちゃんとお礼言わないと」
佐野に言われ、今井はむすっとしながらも口を開いた。
「ありがとよ」
「うん……。あの、来年は煎餅じゃなくてチョコを用意するね……?」
真の言葉に今井は反射的に口を開き、なにかを言おうとして躊躇い口を閉ざす。そして数秒の間を開けて再び口を開いた。
「ああ……。ちゃんと手作りの、用意しろよ」
「うん……っ」
いらない、と突っぱねられることを覚悟していた真は、彼の言葉に笑顔で頷いた。
「あはっ、今井のデレー」
「笑ってんなよ、佐野ッ」
「素直に言えて偉かったな」
「うるせぇ、上原ッ」
三人のじゃれ合いを、真は微笑ましく見守る。
来年も、三人とこうして一緒にいられるだろうか。
できることなら、これからも今と変わらず、三人と同じ時間を過ごしたい。
真はそんな願いを強く胸に抱いていた。
一ヶ月後。真は麻雀部の三人に部室に呼び出された。
「はい、これ。バレンタインのお返しだよ」
佐野が差し出したのはマカロンだった。
「俺からはこれだ。俺も手作りにした」
上原からは手作りのマドレーヌ。
「ほらよ」
今井がそっけなく突き出してきたのはマシュマロだった。
真は三人からのプレゼントを受け取り、満面の笑顔を浮かべた。
「ありがとう、すごく嬉しい」
「可愛い」
上原に抱き締められて頬擦りされる。
「なにしてんだ、上原ッ」と怒鳴る今井を見て、佐野がニヤニヤと笑っていた。
「ねえねえ、知ってる、今井?」
「んだよ……」
佐野の笑みに警戒するように今井は顔を顰める。
佐野はにんまりと笑みを深めた。
「ホワイトデーにあげるマシュマロには、『あなたが嫌い』って意味があるんだってー」
「はあっ!?」
今井は目を見開く。
真も二人のやり取りを聞いて驚いた。お返しのプレゼントに意味があるなんて知らなかった。バレンタインにもあったのだろうか。後で調べてみよう。
「んだよ、それ!? 適当なこと言ってんなよ!」
「適当じゃないって。知らない人も多いけどねー。そういう意味があるのはホントだよ」
「なっ……」
今井は真の手に渡ったマシュマロを睨み付けるように見て、それから真に視線を向ける。
「返せ」
「えっ……?」
「返せ、そのマシュマロッ」
「ええっ!?」
真に詰め寄る今井を見て、佐野は可笑しそうに吹き出す。
「ははっ、今井って、そういうの気にするんだ」
「うるせぇッ、そもそもテメーが余計なこと言い出すから!」
「ここで指摘してネタにしておかないと、もし真ちゃんが意味知ってたらショック受けちゃうと思ってさー」
「お前、知ってたのか?」
今井に尋ねられ、真は首を横に振る。
「知らなかったよ」
「言っとくけど、俺だって知らなかったからなッ! いちいち意味なんて考えて買ってねーしッ」
「う、うん」
「今井ってば必死になりすぎ」
「うるせぇッ」
上原の笑い声に今井の怒鳴り声が重なる。
真はそっと今井に声をかけた。
「あの、僕、マシュマロ好きだから、貰えて嬉しい、よ……」
「……ふんっ」
今井は憮然として顔を背ける。だがその頬は赤くなっていた。
真を抱き締め頭に顎を乗せた上原が、ぼそりと尋ねた。
「今井はなんでマシュマロにしたんだ?」
「なんでって、そいつが遠足で美味そうにマシュマロ食ってたから……」
「え……?」
今井の言葉に、真はぽかんと彼を見上げた。
遠足ということは、小学生のときのことだろう。真自身、遠足でなにをおやつに持っていったかなど殆ど覚えていないのに。今井は覚えていたのだろうか。
驚いたような真の視線に気づいて、今井はハッとする。
「ち、違う!! 今のは間違いだ!! たまたま、目についたのがマシュマロで、だから選んだだけだ!!」
今井は失言を掻き消すような勢いで否定する。
真はそれはそうだろう、と納得した。今井が、真が遠足で食べていたおやつなど覚えてるはずがない。きっと誰かと間違えたのだ。
「今井って、前からからかうと面白かったけど、真ちゃんが絡むとホント面白いよねー」
「確かに」
「笑うな、佐野! 上原も同意すんな!」
三人のやり取りに、真も自然と笑顔になる。
三人と過ごす時間は楽しくて、だからこそ、三人との関係がいつまで続けられるのかを考えて辛くなる。
体は重ねているけれど、真は彼らと深い繋がりがあるわけではない。
高校を卒業して会わなくなれば、真など簡単に忘れられてしまうだろう。
今のあやふやな関係が、これから先ずっと続くはずがない。
そんなことを考えて、胸に鋭い痛みが走る。
けれど悲しみを押し殺し、真は三人を見つめて微笑んだ。
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