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第1話

 ごめんなさい。僕は弱いです。  ごめんなさい。僕は皆を生贄にしました。  ごめんなさい。僕は皆を殺しました。  ごめんなさい。  ごめんなさい。 「いらっしゃいませー」  やる気のない掛け声で客を迎えると僕は商品の陳列作業に戻った。ここはとあるコンビニチェーンの東京・新宿にある店舗。客足は途絶えず、午後十時を回った今でも仕事帰りのサラリーマンが次々と店にやってくる。しかし最近の例の事件のせいで若者、特に女性は殆ど来ないようだ。 「相馬、レジ入って」 「あっ、すみませんすぐ行きます」  商品陳列を一旦中断し、僕はレジに立った。  僕は相馬 觀月。今年で十九歳になる。僕の育った東北の小さい村では、皆苗字が同じだったから下の名前で呼ばれることが多かったけれど、このコンビニでは僕以外に相馬という苗字の人はいないから、苗字で呼ばれている。 「こちら温めますか?」 「ありがとうございました〜」  脳内を無にして機械のようにレジ打ち作業をする。数人のお客さんのお会計をして、また商品の陳列作業に戻る。  僕が東京に来てから三ヶ月が過ぎ、五月になった。その間、ずっと焦燥感に駆られている。僕が東京に出てきたのは東京に存在するという四神、青龍、白虎、朱雀、玄武にあることをお願いしに来たからだ。しかし彼らにたどり着くのは容易ではなく、彼らを探すためには東京で生活しなければならない。そのためには働かなくてはならなかった。東京は家賃も物価も僕の育った村とは桁違いで、最終学歴が高校、しかも家業を継ぐ予定だったので就職活動をしていなかった僕はコンビニのバイトくらいしか選択肢がなかった。  東京。東北の田舎の村で育った僕からすると、ビルの数や人の多さに圧倒されてしまう。最初に東京駅に降り立った時は何かの祭でもあるのかと思ったほどだ。育った村に比べて空気は澱んでいるが、それを押し返すように人々が蠢いている。  どっとお客さんが来た後、しばらくは少なくなる。波のようなものがあるようだ。これから深夜帯にかけてビジネス街にあるこのコンビニには殆ど人が来なくなる。特に零時を過ぎ、終電のなくなった時間になるとお客さんはビルの警備員が主になり、朝まで無為な時間が続くこともしばしばだ。  なのになぜ夜勤を選んだかというと、僕は「あの日」以来、しばしば正気を失ってしまうからだ。しかし比較的夜は僕の精神が安定する確率が高い。それに「あの時」の罪悪感のせいで不眠症でもある僕にとっては夜勤だろうが一向に眠くならない。 「じゃあ俺先に上がるから相馬よろしくな」 「わかりました、お疲れ様です」  少し先に入った先輩が声をかけて退勤する。これからの時間帯は僕一人で店番をやっていくことになる。他人と関わるのが苦手な僕にはその方がありがたい。これも夜勤を選んだ理由の一つだ。  一人になり、レジの確認や商品の陳列に追われる。黙々と無心で作業をしていると「あの日」のことを考えなくて良いから多少気が楽だ。弁当類を廃棄し、新しい商品に並べ替えていく。深夜帯は発注数も少ないからすぐに作業が終わってしまう。一通り作業を終えた僕はバックグラウンドに下がって暇つぶしにスマートフォンでニュースサイトを閲覧する。ニュースサイトのトップはやはりあの事件だ。 『豊島区でも発生 妊婦連続誘拐事件』  ここ一ヶ月ほど東京都内では妊婦が行方不明になる事件が頻発しており、今回はなんと十件目である。行方不明になった妊婦達は皆行方不明になる理由がなく、わずかな目撃証言から誘拐事件とされている。つまりは平均すると三日に一人の頻度で妊婦が連れ去られていることになる。最初の頃は話題に上らなかったが、犯行の手口が類似しており、同一の犯行グループにより行なわれていることが推定されて以来、連日トップニュース扱いである。犯行は日中に行われているが、目撃証言が僅かなこともあり、未だ犯人の足取りは掴めていない。ニュースサイトでは妊娠している女性は外出を控えるように繰り返し注意喚起がなされていた。そしてニュースサイトのコメント欄ではやれ変質者の犯行だ、外国の人身売買組織による犯行だ、臓器の利用が目的だなどと推論が並べられている。  気になる事件だけれど、僕にはどうすることもできないし、何より東京に来た目的は四神に会うことだ。気にしないことにしてブラウザを閉じると、ピンポーンとお客さんの来訪を告げるチャイムがなったので僕はレジに立った。  朝までの無為な時間を過ごし、高田馬場にある小さい学生向けアパートへ帰宅をしてシャワーを浴びる。今日も眠れそうになかったので四神の情報を探すために街へ繰り出した。僕には霊力はあるが、使用できるのはごく僅かだ。その僅かな霊力を使って妖怪の類がいそうな場所を探し、情報収集することにした。昼になると精神が不安定になる傾向があるが今日は大丈夫そうだ。  再び新宿へ戻り、路地裏を徘徊する。人間の女性が一人歩いていたが、僕を見ると早足で駆けて行ってしまった。無理もない。妊婦連れ去り事件がある上、僕は「あの日」以来瞳の色が黒から鈍色になり光を反射すると怪しげな虹色になるようになってしまったから、それを隠すために前髪を伸ばしている。そのために見た目が明らかに怪しいせいだろう。女性にこういった反応をされるのは初めてではないので気にせず進んでいく。  路地裏のさらに細い道へ導かれるように入っていくと、シュルシュルと糸を紡ぐ音がする。そこには「糸屋」と書いてあるトタン張りの怪しい建物があった。おそらくだが霊力のない人間には文字が見えないか、建物自体を見ることができないだろう。不気味な建物だが意を決して入ってみると、薄暗い裸電球が天井からぶら下がっており、狭い店内の壁は全て棚になっている。棚の中には様々な色、太さの大巻の糸が陳列されていて、確かにここは「糸屋」なのだろう。 「あっ、あの、すみませーん……」  声をかけると奥から店主がのっそりと出てきた。出てきた店主は人間ではなく、人間ほどの大きさの蚕だった。 「人間のお客様とは珍しいですなあ……どんな糸をお探しでしょうかね?」  蚕の店主はうねうねと体を動かしながら、おっとりした調子で僕に尋ねてくる。 「申し訳ないのですが、糸ではないのです。四神の方にお会いしたいのですが、どこへ行けばお会いできるでしょうか?」  蚕の店主は少し驚いた調子で、 「四神様ですか……いやはや、一介の糸屋である私にはとてもとてもお会いできるような方々ではないのですよ……申し訳ありません」 「いえいえ、こ、こちらこそいきなりすみません……」  お互いに謝罪し沈黙してしまう。僕が店を辞そうかなと思った時、蚕は「それにですね……」と続けた。 「東京はもう四神相応の地ではないのです。四神は……青龍様と玄武様がお争いになられて……玄武様は封印されてしまったのです。  正確に申し上げますと、ご存知の通り玄武様は亀神様と蛇神様からなられる神様ですが、その亀神様が封印され、玄武様がお治めになっていたところは玄武様の片割れの蛇神様がお治めになっております。人間様には関係のないこととは思いますが……」 「……!」  まさか古来より絶対的存在である四神の中でそんなことが起こっていたとは知らなかった。僕がお願いしようと思っていることは四神が揃っていた方がベターだと思っていたのだが……これは予想外だ。  そもそも古来より存在する四神の間に争いが起こったことなど聞いたことない。前代未聞の出来事である。 「それはいつ頃のお話でしょうか?」 「はて……もう数十年前になりますでしょうかねえ」  この数十年の間、東京は四神相応の地でなかったことになる。 「しかし人間様には関係のないことと存じます……その間も人間様は問題なく生活しておられるようですし。我々妖の者には多少影響もありましたが、先ほども話しましたように一介の糸屋にはあまり関係のない話でございます……」 「わかりました。それでは四神様にお会いするような方に心当たりはありますでしょうか?」 「一介の糸屋にはそのような方に心当たりはございません。しかし……上野の方へ行きましたらそのような方にお会いできるかもしれません」 「上野、ですか」  東京の地理に疎い僕には位置関係がよくわからないが、とりあえずスマートフォンで行き方を調べて行ってみよう。 「ありがとうございます……それと、あの、糸なんですけれど。左側の上から三段目にある群青の色の糸をください。色々教えていただいたので」  深い青の糸ならボタン付けとかに使えるだろうが、売られている単位はものすごい量の糸で織ればストールくらいになりそうだ。しかし流石にここまで情報を聞いておいて手ぶらでは帰れない。 「お気遣いいただきありがとうございます」  ……その群青の糸は結構な値段がした。痛い出費だが仕方ない、情報料だ。  スマートフォンで調べると上野はここから山手線で一本でいけることがわかった。早速電車に乗り上野へ向かう。 上野は新宿とは違う意味で活気のある街だ。僕の乏しい東京の知識によると、確かこの辺りは下町と言われていたはずだ。またしてもなけなしの霊感を動員して街をうろつくと、急に女性の悲鳴が聞こえた。  何が起こったのかと考えるより先に体が動き、その声がした路地裏まで走って向かう。そこではまさに白いバンに女性が連れ込まれている状況が繰り広げられていた。僕の他に人気はない。 「たす、け――」 「おい、行くぞ」  白昼堂々の犯行、これって例のニュースの――  そう思った瞬間そのバンに向かって走り出したが、犯行グループは一足早く女性をバンにのせ、連れ去っていった。少しの間バンを追いかけたが、途中で見失ってしまう。息を切らしていると人気が戻ってきた。どうもおかしい。僕が駆けつけてきた瞬間は人気がなかったので元々人通りの少ない道だと思っていたが、バンが走り去った後、急激に人の気配が増え、車も走り出した。ここはどう考えても普段から人通りがある道だ。  不自然になかった人気。もしかしたらこれは人ならざるものが絡んだ事件かもしれない。「あの日」の前の僕なら……いや考えるのはよそう。兎に角警察に通報しよう、そう思ってスマートフォンを取り出した瞬間、 「ようやく現れたか、この外道め!」  いきなり後ろから肩を掴まれ、ぐいっと倒れるほどの力で引き倒される。何が起こっているのか全くわからない。ぐるりと眩暈がして、僕はそのまま気を失った。

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