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ゼンの家を出て、春翔(はると)は驚いた。 自分の気持ちに捕らわれてすぐに気づけなかったが、通りの向こうから視線を前に向けると、そこに鈴鳴(すずなり)神社の鳥居が見えたからだ。側には真斗(まこと)のカフェもあるので、間違いない。 「ゼンさんの家って、こんなに近くにあったの?」 ゼンの家の前の通り、それを一本挟んだ向かい側に、鈴鳴神社はあった。単純に、真向かいに神社がある事にも驚いたが、憧れの小説家でもあるゼンが、こんなに近くに居たのだと、その事に改めて驚いていた。 固まった春翔に、真斗は、家の真向かいが神社だったから驚いていると思ったようだ。 「ゼンは境界の守り番だからな、神社や川の近くで暮らしてる方が都合が良いんだよ。神社の家でも良いんだけどさ、出版社の人間が訪ねてくるだろ?」 「え?神社の家?」 「あぁ、今は俺が住んでるんだけどさ」 頷く真斗に、春翔はきょとんとした。 話を聞いていくと、鈴鳴神社の敷地内、本殿の裏にちょっとした森のような場所があるのだが、真斗はそこにある家で暮らしているという。真斗からは、今まで神社の近くで暮らしているとしか聞いてこなかったし、そもそもあの木々の中に家があった事すら知らなかった。 鈴鳴神社は、妖にとって、妖の世界を守る人間にとっても大事な場所だという。真斗が神社でカフェを開いているのも、何か意味があるのだろうか。 「カフェは俺の趣味みたいなもんだな」 「え、そうなの?」 「まぁ、俺は神主やってる訳でもないから、表向きは神社と関係無い奴が、いつも神社をうろうろしてると変に思われるかなってのもあって、最初はカムフラージュの意味もあったけどな。人には、あの神社に家があるなんて知られていないからさ」 春翔も、妖の存在を知る事がなければ、鈴鳴神社に家があるなんて知らなかっただろうし、まさか従兄弟が暮らしているなんて思わなかっただろう。 「鈴鳴神社は、象徴なんだよ。妖と人の世を平和に繋ぐ象徴で、俺があの敷地内に暮らしてるのは、その象徴である場所を守る為に、受け継いだって感じだな」 へぇ、と頷きながら、春翔は歩きながら町の様子に目を向けた。近くの商店街からは賑やかな声が聞こえてくる。 知った気になっていたこの世界に、人知れず築かれていた歴史があったなんて、この間までは思いもしなかった。 商店街を抜けると、駅に近づくにつれ、人通りが多くなる。 真斗と並んで歩きながら、春翔は何気なく通り過ぎる人々に目を向けた。そこには、年齢も性別も目的も異なる様々な人が居て、もしかしたらこの中にも妖がいるのかもしれなくて。 一体どれ程の人が、その事を知っているんだろう。 考えても、この目に見えるのは、よくある日常の風景だ。慌ただしく駅に向かう人、挨拶ついでに立ち話をする人、仕事に励む人、子供の元気な笑い声。 誰にも訪れる、いつもの朝。だから、その中から自分を襲おうなんて妖が現れるなんて、やはり春翔には、なかなか想像が出来なかった。 その中でゼンの姿をこっそりと探してみたが、やはり居る筈もなく。 あんなに怖かった鈴鳴川が、今は行けない事がもどかしく感じる。春翔には分からない事だらけだ、記憶も妖もゼンの事も、自分の事も。 知りたい気持ちはあるのに、先程の黒い靄の中に現れた手を思い出すと、少しだけ知る事が怖かった。 その後、一度寮へ帰ったが、部屋の中は暗く、まだ和喜(かずき)真尋(まひろ)は寝てるのだろうと、荷物だけ持って、春翔は再び真斗と会社へ向かった。 今日は平日だが、和喜達の学校は振り替え休日で、最近はレッスンも頑張っていたので、レッスンも休みにさせている。たまの休日位、ゆっくり休ませてあげたいと思ったからだ。 「もう隼人(はやと)って来てるのか?」 「里中(さとなか)さん早いから、多分来てると思うよ」 「俺からも礼を言っとかねーとな」 春翔の仕事場、芸能事務所STARSのビルに着くと、真斗も共に中へ入った。真斗の礼とは、従兄弟である和喜の面倒を見てくれた事についてだろうか。春翔もちゃんとお礼と謝罪を言って、後で何かお詫びを買ってこなければ。まだ朝も早いので、何も準備が出来なかった。 真斗は、春翔が会社に入る前から、副社長である隼人とは知り合いだった。 今までは、真斗がリュウジやユキと知り合いだから、その流れで隼人とも知り合ったのかと思っていたが、そうではなく、妖であるリュウジをサポートする為、隼人とも繋がりを持ったのだろうかと、春翔はふと思った。 そう言えば、隼人達はリュウジの正体を知っているのだろうか。 先へ進む真斗に問いかけようと春翔が顔を上げた先、二階のレッスン室へ向かう階段の中腹に弟達の姿を見つけ、春翔は目を丸くした。 「和喜に真尋君も、どうしたの?」 寮で寝ているとばかり思っていたので、春翔は驚いた。それは、和喜と真尋も同じだったようだ。 「(はる)さん!(かず)、春さんだよ!春さん体調は大丈夫なんですか?」 真尋は、春翔を見てぽけっとしている和喜の背中を叩きつつ、春翔の元へ駆け寄ってくる。その顔は心配そうに歪んでいて、春翔は心配させた事を申し訳なく思った。 「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だよ」 「良かった、出張って聞いたけど、隼人さんやリュウさんを問い詰めたら倒れたって聞いて。なのに、絶対安静だから面会謝絶だって会いにも行けないし、よっぽど悪いのかなって心配で、」 言いかけて、いつもなら真っ先に春翔に飛びついてくる筈の和喜が隣に居ない事に気付き、真尋は後ろを振り返った。 「和?」 和喜は階段の中腹に立ったまま動こうとしない。困惑の色で春翔を振り返る真尋の肩を叩き、春翔は大丈夫だと笑みを見せた。 「和、心配したよね」 優しく声をかけ、階段の下にたどり着く。和喜は春翔に背を向け俯いたまま、小さく「した」と頷いた。 「ごめんね、心配かけて。連絡も出来なくてごめん。リュウさんが連絡してくれたって聞いて、甘えちゃったんだ、駄目な兄貴だね」 「…駄目なんかじゃねぇよ」 「…そっち行っていい?」 無言の背中に微笑み階段を上がる。和喜が立っている場所の一段下までやって来ると、少々強引だが、こちらを向かせ、俯く両頬を包むように手を当てた。そして泣きそうな顔を見つけ、春翔は親指の腹でそっと頬を撫でた。 「ごめんね、もう大丈夫だよ」 「…本当か」 「うん」 「俺、兄貴が倒れるとか聞くの、もう嫌だ」 「うん、ごめん」 「…俺もっと上手くなるから」 「うん?」 「歌もダンスも上手くなる、芝居も頑張る。兄貴が仕事取りに走らなくても仕事貰えるくらいに上手くなる。俺が兄貴の事、楽にさせてやる、絶対」 ズ、と鼻を啜りながら言う和喜に、だから休日もレッスンをしに来たのかと、その思いが嬉しくなり、心が温かくなる。 「ありがとう、僕も負けてられないな」 「それじゃ意味ないだろ!」 「あはは、ごめんごめん」 包まれる温かな笑い声に、様子を見守っていた真尋と真斗は顔を見合せ、ほっと安堵した様子だった。そしてそれは、事務所内に居た(りょう)と隼人も同じく。 「ほーら、そこのブラコン共!廊下で騒がないよー!」 ひょっこり顔を出した涼の声に笑い声が咲き、和喜と共に春翔は恥ずかしそうに返事をした。駆け寄ってきた真尋も合わせ、和喜の背中を押してレッスンへ送り出すと、春翔は三人の居る事務所前へ戻ってくる。 そして、隼人と涼の前で勢いよく頭を下げた。 「この度は色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした…!」 「色々と面倒かけて悪かったな」 春翔の隣で真斗も申し訳なさそうに謝罪をしたが、隼人と涼はどうって事ないというように、笑みを浮かべ肩を竦めた。 「迷惑も面倒も何もないよ。元より春翔君に関しては働きすぎな所もあるしね、何より体調が戻って良かったよ」 「本当に!あの子達のライブチケットの売上も上々だしね。あの気合いの入れようじゃ、これから忙しくなるわよ!」 ぽん、と涼に肩を叩かれ、そしてその言葉は、春翔の胸に喜びと活力を沸き上がらせた。 「頑張ります!」 「あまり無理はしないでね」 「はい!」 和喜と真尋の魅力が少しずつ誰かに伝わっている、それが嬉しい。あの二人をスターの座まで手を引いて、背中を押してあげる。それが春翔の仕事で、望む事だ。 小さくても、少しずつでも進めてるのかな。 自然と頬が緩み、慌てて引き締める。 春翔は涼に休んでいた分の仕事を確認する。春翔の元に日常が戻ってきたようだった。 そんな意気揚々と仕事に向かう春翔を見つめ、隼人は真斗を手招きする。事務所の外に出て話す二人の表情は、冴えなかった。

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