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「え?僕にですか?」
「うん、オーディション受けてみない?先方が是非にと言って下さってるんだ」
ある日、ダンスレッスンが終わった後、春翔 は真尋 にドラマ出演のオーディションがある事を伝えた。オーディションだから合格しないとその先は無いが、先日受けたジュエリー広告、そのウェブCMを見て、一度会ってみたいと声がかかったのだ。端役だから出番はそう多くないが、これはバッカスとしても名前を売るチャンスであり、真尋個人としても、世間や業界に顔を売るチャンスだ。
「スゲーじゃん!もしかしたら主役食っちまったりして!」
「やめてよ、和 、僕には無理だよ」
「え?」
「春 さん、僕、和喜 と一緒に歌えればそれで良いですから」
思いがけない返答に、春翔と和喜は二人揃ってきょとんとしてしまった。
「ちょ、ちょっと待って!お芝居嫌だった?でも、CMの時の真尋君、凄く良かったよ!」
その撮影時、春翔も様子を見守っていたが、真尋に撮影を嫌がる素振りはなかったのだ。
「これが上手くいけば、二人が歌える場所も増えるし、バッカスとしてのデビューも近づくと思う、スケジュールも、もうちょっと調整して、負担ないようにするし!」
そう言い募れば、真尋は複雑な表情を浮かべたが、やがて頷いてくれた。
「…わかった、受けてみる」
「…うん、ありがとう」
シャワー浴びてくると言ってレッスン室を出た真尋に、春翔は不安気に和喜を見上げた。
「真尋君、オーディション嫌なのかな」
「分かんねー、さっきまでいつも通りだったのに」
「和と歌うの、本当に好きなんだよ」
「俺も、あいつと歌って踊るの好き」
「見てるとよく分かる」
微笑めば、和喜は照れくさそうに頬を緩めた。
「だからさ、バッカス一緒にやってくってのは真尋も同じ気持ちだと思うんだよ。あんま、自分の事話してくれないからさ、たまに分かんなくなるけど、でもそれは同じだと思う」
「うん、和がそう思うなら、僕もそうだと思う。僕も頑張るよ」
「兄貴も?」
「うん!苦手な仕事も増えていくかもしれないけど、その分、楽しいと思って貰える場所を沢山作れるようにする。バッカスの活動をしっかり出来るように」
拳を握れば、和喜も笑顔で頷いてくれた。
「真尋君とも、もう一度ちゃんと話さないと…」
言いながら、レッスン室のドアノブに伸ばした手が、空を掻く。突然視界が黒い靄に覆われ、頭がくらりと揺らいだ。
「兄貴!?」
傾いた体は、和喜が咄嗟に支えてくれたお陰で転倒する事は無かったが、春翔は足に力が入らなかった。
「大丈夫かよ」
和喜が気遣いながら春翔をその場に座らせると、春翔からは「ありがとう」と、どこか弱々しい声が返ってくる。
「ちょっと目が回っただけ、心配しないで」
ごめんね、と眉を下げて微笑めば、和喜は不安そうに表情を歪めた。
「兄貴、大丈夫って言うけど、本当に大丈夫なのか?」
「ん?」
「こうやってフラフラしてるの最近多くね?今までこんな事なかったのに」
「うーん、ちゃんと食事もとって寝てるし、体調は万全の筈なんだけど…、心配させちゃってごめんね、次からはもっと気をつけるから」
「…でも、」
「大丈夫大丈夫。それより、和も早くシャワー浴びておいで。今日は真尋君とご飯作ってくれるんでしょ?僕は少し休んだら行くから」
「…分かった」
和喜は渋々頷いて、それでも心配そうに兄を振り返りつつレッスン室を出て行った。遠ざかる足音を聞いて、春翔はふぅと大きく息を吐き、床にぱたりと体を横たえた。
和喜にあんな顔させてちゃ、ダメだよね。
反省を心の中で呟いて、ぐるぐる回る頭の中が、早く収まる事を静かに待つ。
和喜の言う通り、最近春翔の体はおかしい。目眩や立ちくらみが多く、この間はそのせいで寮の階段から転げ落ちた。
幸い足や腕を軽く打っただけで済んだが、和喜には不安な思いをさせてしまった。今まで病気らしい病気をした事もなく、風邪を引いたって長引く事はなかった。今だって、春翔自身は、健康だと思っている。
貧血か、寝不足が原因だろうか。
和喜には寝てると言ったが、本当は眠れない夜が続いている。眠ると、必ずといっていい程ゼンの夢を見る。ゼンが誰かを傷つける夢、そんな姿見たくないのに、そんな人だって思ってもないのに、春翔の頭は、ゼンを悪者に仕立てようとする。そんなゼンの姿を見たくなくて、見るのが怖くて、眠る事が出来ないのだ。
「…ゼンさん、」
会いに行ってみようか。ゼンに会って怖い人じゃないと改めて感じられたら、あんな夢見なくてすむかもしれない。
春翔はごろりと体を横向きから仰向けに変え、そっと目を閉じた。
「…それができたら、もうとっくに」
ゼンに会いに行く勇気がない。
時間がたてばたつ程、振り返らない背中が、自分を拒絶しているように思えて、手が伸ばせない。
会わない方がいい、傷つけるから。その言葉は時間が経つにつれ、本当は、ただ会いたくないと言われたのではないかと思い、胸が苦しくなる。だって春翔は、足手まといでしかない。何かが起きても守られるしかない、面倒事を持ち込む存在でしかないと。
そう思えば思うだけ更に苦しくて、どうしてこんな気持ちになるんだろうと、泣きたくなる。
ゼンが憧れの作家だからだろうか。守ってくれたからだろうか。
縋るような腕の温もりを感じたからだろうか。大事な人と、そう言われた気がしたからだろうか。
「…なんで何も思い出せないんだろう」
こんなにも思いが募るのは、自分にとってゼンが大事な存在だったから、なのだろうか。
「…小説の読みすぎかな」
自嘲気味に笑って、春翔はゆっくりと体を起こした。もう目眩は治まったようだ。
「…会いたいな」
悪夢として毎日ゼンの夢を見ているのに、怖いと思うのは、ゼン自身に対してだけではない。ゼンにもし拒絶されたら、ただそれだけが怖くて、会いにも行けないなんて。これではまるで、恋する少女のようだ。
「…ん?」
恋する少女?僕が?
まさか、と否定しようとして、春翔は強く抱きしめられた事を思い出し、途端に胸がどきりと震え、真っ赤に顔を染め上げた。
いや待てと、春翔は急いで頭を振った。ゼンに対する思いは、尊敬や憧れで、そんな人が自分を探してくれていたからで、守ってくれたからで。それに、ゼンが自分を大事にしてくれたのは、過去の事や、危険な目に合わせてしまったという負い目もあったのかもしれない。強く抱きしめられた事も、心配そうに見つめる瞳も、ゼンにとっては、守る対象だっただけで。
そう考えたら、何だか胸が苦しくて、それだけの存在の自分が何だか悲しくて、寂しくて。恋という言葉がどうにもしっくり胸に収まってしまい、春翔は再び床に、今度は頭を抱えて倒れ込んだ。
「…どうしよ、これじゃますます、」
会いになんて行けない。
赤くなる頬、膨らむ心音に、最後に目にしたゼンの背中が浮かぶ。
恋と気づいて、更に拒絶されたりしたら、そう思うと、ますます怖かった。
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