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「悪いな、遅くなっちまった」 そう言うと、龍の体は光に包まれた。その目映い光の中から現れたのは、人の姿をした正真正銘スズナリだった。 「お前、どうして、体は!」 「何、大した事ないさ、周りが大げさなだけだ」 いつもの様に笑ってスズナリが背を向ける。嘘だと、ゼンは思った。 何故、そんな辛そうに肩で息をしている、龍の姿だって保てない程、辛いんだろう。 そう思っても、声が出なかった。 「いいか?死ぬんじゃないぞ、死んだら春翔(はると)は守れないからな」 必死に立って、必死に息をして、それを悟られないよう、ゼンが安心出来るように笑って、今、守ろうとしてくれている。 それに気づいてしまえば、胸が途端に苦しくなって、熱くて、ゼンは唇をぎゅっと噛みしめた。 「おい君達、人の留守中にうちのもんに手を出されちゃ困るんだよね。帰ってくれないかなー」 「な、何を死に損ないが…!」 「天狗の子よ」 カゲの言葉には耳を貸さず、スズナリは天狗の青年に目を向ける。身構えたその姿を見て、小さく息を吐いた。 「何故、カゲの側にいる」 しかし、天狗は何も答えず、再びその翼を大きくはためかせる。同時に黒い影が、空を地面を埋めつくし、猛スピードで這うように向かってくる。 「スズナリ…!」 「いいか、川に投げるよ」 「え、」 再び巨大な龍が姿を現し、ゼンと|春翔《はると》の体を口で掬うと、本当に二人の体を川へ投げ入れてしまった。 「スズナリ…!」 龍の咆哮が聞こえる。大きな水飛沫を上げて、ゼン達の体は水中に落ちた。水中から見上げた空には、無数の雷が飛び交い、この川の中にも、地面に落ちた雷の振動が響いてくる。スズナリの力だ。 ゼンは不安を覚えながらも、共に落ちた春翔を探した。数メートル先に春翔の体がある。痛みに顔を歪めながら、片腕で水を掻き、春翔の元へ向かった。 春翔…! 心の中で呼び掛け、その体に触れる。ぐったりとした体からは何の反応もない。 すぐに陸へ上がろうにも、雷の雨はまだ続いている。ゼンは迷う事なく春翔に口づけた。空気を送り、それと共に、残っているであろう妖力を出来る限り送り込む。 頼む、生きてくれ。 願いは淡い光となり、ゼンを春翔を包んでいく。パリン、と音を立てて腕輪が割れれば、ゼンはその容姿を変えていく。 銀色に変色した髪は長く伸び、瞳は深い緑へ色を変える。その時、春翔の瞼がうっすらと開いた。ゼンは咄嗟に唇を放し、その頬に触れたが、春翔の瞼はすぐに閉じてしまった。 春翔…。 ゼンは表情を歪めたが、すぐに春翔の体を抱え、陸を目指し水を掻き分ける。水上に顔を出し、大きく息を吸い込むと、春翔の片腕を肩に引っかけるように抱え、春翔の顔も水上へ出させた。 「春翔、陸に上がれるぞ、息しろよ…!」 春翔の体を陸に上げ、自分もどうにか這い上がる。 「春翔!春翔…!」 「っは、」 ケホ、と小さな咳と共に、春翔の口が息を吸い込み、ゼンはようやく安堵してその体を抱きしめた。 「大丈夫、俺が絶対守るから」 まだ春翔の意識は戻らずぐったりとしているが、心臓が動き呼吸が出来れば、一先ず安心だ。ゼンは静かに春翔を地面に横たえると、顔を上げた。少し遠くに桜千の木があり、その幹が先程と違い生命力に満ちているのを見て、ゼンはハッとして辺りを見渡した。 ほんの数分の内に、川原は姿を変えていた。 焼けただれた河川敷の上に、スズナリと桜千(おうせん)、それから飛び立とうとする天狗の姿がある。 「待て!」 「よせ、ゼン!」 追いかけようとした足は縺れ、転んでしまう。 「お前、ぼろぼろじゃないか…!」 ふわりと舞う桜千も、その体に傷を負っている。 「桜千、お前だって傷が、」 「大した事ないが、ざまあないな。慌てて加勢に入ったが、あの天狗にやられたよ。だが、奴も手負いの身、これ以上は何もしてこないだろう。天狗自身の置かれている状況も分からないし、お前も子供の姿のままだしな」  ゼンはその言葉に自身の体を見下ろした。腕輪は外れており、普段は秘められている力を解放したのは明らかだが、ゼンは子供の姿のままだった。 「すまない」 「何を謝っている。あんな腕輪で力を抑える事自体おかしな話だ。いつだって力はコントロールできていた。だから彼を癒し、その命を守れたんだろう?」 「…いや、救ってくれたのはスズナリだ。スズナリは…?」 「眠っている。ちょっと無茶しすぎたな」 横たわるスズナリに視線を送る桜千は、困った様子で微笑んでいたが、それは今にも泣きそうに見えた。スズナリの体は淡い桜の光に包まれている、桜千の力で守られ傷を癒しているのだろう。それでも、透けて見える体は、過去の物と合わせ傷だらけで、ゼンは目の前が暗くなった。 「…俺のせいだ」 「違うよ。スズナリは昔から無茶をするんだ、それに、お前を守るのは奴の仕事でもある。それ以前に、お前の事が可愛いんだ、だから体を張ってカゲを追い払った。それ程スズナリはお前を守りたかった、それだけだ、だから自分を責めるな」 それをスズナリは望まない。 子供のゼンの頭を撫で、桜千は小さく息を吸いしっかりと顔を上げた。 「スズナリはひとまず大丈夫だ、すぐにユキ達も来てくれる。そうだ、神社の者達も呼ばなくては、人の子の対応は、人にして貰った方が安心だ」 「あぁ…頼む」 「…ゼン?」 「…すまない頼む」 「…あぁ大丈夫だ、大丈夫だからな」 声を震わせて頭を下げたゼンに、桜千は微笑んで、しっかりと手を握った。 スズナリがきっとこの世から居なくなってしまう事、桜千はそれを分かった上で自分を責めずに寄り添ってくれた事。 ゼンは、自分のせいだと自身を責める言葉を必死に喉奥に押し込めて、せめてスズナリが与えてくれた、春翔を守る役割を全うしなくてはと、何の為にスズナリが守ってくれたこの命があるのかと、必死に言い聞かせた。 カゲの目的がなければ、スズナリは新たに傷を負う事はなかった。カゲの目的を作らせた自分がいなければ、こんな事にならなかった、その思いを必死に押し込めて、ゼンは桜千の手を握った。 スズナリは、ゼンが責任を負う事を望んでいない、それは桜千も同じだ。その上で、ゼンの気持ちも嫌という程分かっているから、ただ大丈夫と繰り返し、その手を強く握り返していた。ここで、しっかりと立っていなければ。今ゼンを守れるのは、自分だけなのだからと。

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