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「もう一度会いたいと思った。スズナリの意志を受け継いで、この境界を守る守番を引き継ぐと決心した。ここに居れば、お前にも会える。二度も争いに巻き込んでいるのに勝手な話だが…俺は、お前にきっと救われていた。何も知らないくせに勝手にくっついてきて、俺に怖がる素振りも見せず笑ってるお前に救われていたんだ。だから、お前の居る世界なら、生きていけると思った」
ゼンの少しかさついた指先が春翔の頬を辿り、垂れた髪をそっと耳に掛けられる。甘く揺れる瞳に胸が強く鳴り響いて、春翔 は緊張で固まってしまう。
境界が再び開き、ゼン達は春翔に会おうと町中を探したという。
ただ一目その姿を確認したかった。怖くて会えないというなら、遠目から元気な姿を見れたらそれで良かった、それだけで、ゼンがこの世界で生きる価値がある。
けれど、春翔はどこにもいなかった。まだ通院してるかもと病院にも行った、学校や、春翔の話に出てきた場所を必死に思い出し、毎日駆け回ったが、春翔を見つける事が出来なかった。
それもその筈だ、記憶を失ったまま、春翔はこの町から引っ越してしまっていた。
でも、それでもいつかを夢見て、ゼンは毎日この鈴鳴 川で春翔を待っていた。
「ただ、一目会いたかっただけだったんだ。だが、再びカゲが動いている事を知って、お前を見つける為に俺は小説家になった」
待つだけでは守れない、鈴鳴川や妖という言葉が話題になれば、春翔の耳にさえ届けば、会えるのではと。本を読んでさえくれれば、こちらからの訴えを感じ取ってくれるのではと、春翔が何らかのアクションを起こしてくれるのを願っていた。
だが、春翔が神社や川原にやって来る事はなく、何の情報も得られない。それでより人目に触れさせる為に、リュウジが役者になり、情報を広く発信させようとした。
「だが結局お前を見つけたのは、レイジだったな」
その言葉に、春翔はふと頭に疑問が沸き口を開いた。
「じゃあ、僕が社長に声を掛けられたのはゼンさん達の事情を知ってたからですか…?」
少し戸惑いを含んだ問いに、ゼンは少し困り顔で微笑んだ。
「いや、レイジは勿論俺達の目的を知っていたが、春翔の顔までは分からない。お前に声を掛けたのは、妖に取り憑かれている事を見抜いたからだ」
それで、側に置いた方が安全だと考え、レイジは春翔に声を掛けたようだ。仕事をさせたのは二の次だったが、会社にとっても春翔は真面目に働いてくれるので、隼人 達には歓迎されたようだ。
「その話を聞いたユキが、お前を春翔だと判断した。あれだけ探しても見つからなかったお前を、レイジが見つけてくれたっていうのにな…」
そこで言葉を切ったゼンからは、春翔を見つけてからの二年間の思いが感じとれた。
春翔をようやく見つける事が出来た、カゲが目覚めるカウントダウンは始まっているのに、それでも会いに行く事が出来なかった。
それを不甲斐ないと思っているかもしれない、でも、春翔を思っての行動であった事も間違いではない筈だ。
春翔は忘れてしまったのか、それは何故か。何度考えても答えは一つ、春翔が過去を思い出したくないからだと、ゼンはそう考えていた。ゼンが会いに行けば、再び恐怖を思い出させてしまうかもしれない。
そんな事ゼンには出来なかった、春翔に否定される程、怖いものはないからだ。
春翔は、後悔に見えるその横顔を、再びその手を握る事で上げさせた。
「僕、ゼンさんが僕を思ってしてくれた事って分かってます。探してくれていた事も、会わずにいてくれた事も、僕の事を、全て忘れてしまった僕の事を考えてくれて、嬉しいです。だから、だからこそ、今こうして再会出来た事が嬉しいです。こうして話してくれたことも。僕、ずっと怖かったんです、失った記憶に何があるのか。それを知る事ができて良かった。…ゼンさんの事も」
照れくさそうに笑んだ春翔だが、でも、と続けながら困ったように笑った。
「まさか、大ファンの藤波 先生とこんなご縁があったとは思いもしませんでした…!それに、スズナリ様とも会っていたなんて。遠い昔の神様だとばかり」
「生きながらに長い事、神として祀られていたな。妖と人との境界を治めたスズナリを、二つの世の平和のシンボルとしようと、当時の人々や妖が神社を建てたそうだ。
今でこそ神社らしくあろうと、ユキが催事と称して舞を舞ってるが、本来の目的は、妖と妖を知る人間達が秘密を守り受け継ぎ、情報を共有する為だ。あの神社には、元々祀る神などない、見かけ倒しの神社で、催事も偽物だ。
だが、今は見守ってくれている気がする」
あの神社で、この川原で、きっとスズナリは見守ってくれている。
スズナリが守る鈴鳴川、そよそよと風に揺れる水面は穏やかで、争いが起きた事など、到底信じられない。ましてやここが、妖の世の入り口だなんて。
「…この川原で、僕は何度も命を助けて貰いました。鈴鳴神社の正体も、鈴鳴川の由来も、お化け桜の正体も、僕は全部知っていたんですね…」
それから春翔はゼンを見つめていた目を伏せ、照れくさそうに笑んだ。
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