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第22話 矢野君の過去

「あいつの事は噛めなかった…… いや、噛ませてもらえなかったって言う方が正しいな…… その時は何故だろう?って……」 僕は矢野君の衝撃の告白に、 少し吐き気さえ覚えるような感覚だった。 それは彼の事を生理的に受け付けなくなったとか、 嫌いになったとかそんな事ではない。 嫉妬で胸が張り裂けそうになったからだ。 予想はしていた。 彼には過去に付き合った人がいる。 彼とのセックスの経験から、 決して初めてでは無いであろうことも分かった。 その時は、 “彼のこんな顔を知っている人が僕以外にもいるんだ…… 彼の体温を知っている人が僕以外にもいるんだ…… 嫌だ……  もう、僕以外の人を抱いてほしくない……” その時はそう言った、まだ可愛い嫉妬だった。 でも今回は、得体のしれない感情が僕自身を襲った。 “恋人が妊娠…… 彼の分身を分かち合った人がいる…… DNAのレベルで実際に彼と交わった人がいる…… そしてどこかにその人が居る…… それも僕の知らない誰かの中に……” そう思うと、嫉妬を通り越した 狂気にも似たような感情が生まれ、 僕は自分の中にそんな感情があったのだと嫌悪し、 吐きたくなるような気分に襲われた。 「お前、大丈夫か? 顔色が悪いぞ? やっぱりこの話はしない方がよかったか? やっぱり嫌だろう? こんな過去を持つ男なんて…… 気持ち悪いだろう? お前の気が変わっても、俺はそれを受け入れる……」 そう言われたとき、僕は彼に縋り付いて泣き出した。 「ごめん、勇気を振り絞って話してくれたのに、 矢野君にそんなこと言わせるつもりじゃなかったんだ。 でもやっぱりショックで…… 僕は大丈夫だから…… 辛いことを言わせてごめん…… 僕が聞きたいって言ったのに、 ショックを受けてごめん……」 僕が泣きじゃくると、矢野君は優しく僕の背をさすってくれた。 “彼はやっぱり優しい…… こんなに優しいのに……” 涙を拭いて呼吸を整えると、 「僕は大丈夫だから…… ごめん、取り乱して…… それで……赤ちゃんは無事生まれたの?」 そう訪ねると、彼はこくんと頷いた。 その瞬間、心臓が爆発したような感覚で脈打ったけど、 僕は目を閉じてもう一度呼吸を整えた。 「それで赤ちゃんはどうしたの? 矢野君の恋人だった人は?」 「俺は高校を中退して働いて二人を養うつもりでいたんだ…… でも……あいつにはめられた……」 「え? はめられた……?」 「高校・大学は行っていた方が後々の為になるからと、 俺もそう思い直したから中退は免れたんだ…… あいつも大学に通いながら働くから何とかやっていけるって…… 俺の両親にも、向こうの両親にも挨拶して…… まあ、お互いの父親達には殴られたけど、俺は幸せだった。 絶対二人を幸せにするって…… 俺の両親からのサポートもあり、うまくやっていた。 でも……その瞬間をあいつは待っていたんだ……」 彼の顔が険しさを増した。 そして苦痛に満ちたような表情をした。 「あれは高校2年になったときの俺の誕生日だった…… その誕生日の祝いに高級レストランで食事をして祝おうとあいつに誘われて…… 俺はそれに乗せられて陽気にワインなんて飲んで…… それが馬鹿だった……」 「何があったの?」 「気が付いたらホテルにいたのさ。 それも知らない奴と裸でな」 「それって……」 「タイミング良いだろ? その場にあいつが怒鳴り込んできたよ。 浮気者だって罵られて…… 裏切者って罵倒されて…… 裸で二人でいる所の写真も撮られたし、 絶体絶命だよな」 「そんな……」 「あいつの目的は最初からそれだったんだ。 俺から金を巻き上げることがあいつの狙いだったのさ。 妊娠して、外堀から固めて俺を逃げられないようにして、 浮気をしたから慰謝料をもらってハイ、さよなら…… あいつには莫大な慰謝料を巻き取られて俺たちは別れた」 「それって、いわば事故でしょ? 矢野君の意思ではなかったんでしょ? 彼女に言い訳はしなかったの?」 「あのワインには薬が盛られてたんだ……」 「えっ? それって彼女が仕組んだことなの?」 そう言うと彼は頷きながら、 「彼女じゃなくて、彼な……」 とぼそっと言った。 それは僕の思った通りだった。 「じゃあ、君の恋人ってΩの男性だったんだ…… 赤ちゃんはどうしたの?」 彼は僕を見た後、 「生まれたのは俺が高校2年の時の夏前だけど、 俺が引き取ると願い出たさ…… あんなだまし討ちをする奴に育てられるなんて子供がかわいそうだ」 「それで?」 「子供は俺の種じゃなかった……」 「え~?! そんなことってあるの?!」 「あいつってしたたかだったんだよな。 俺と付き合ってる間もずっと本命にアプローチしててさ。 噛ませてくれないはずだよな…… どんな手を使って本命を手に入れたか知らないけど、 生まれた子はそいつの子だったんだ。 俺が親権を持つって言った時、 俺の子じゃないから親権はとれないって…… まさかと思ったよ。 DNAテストをしたらやっぱり俺の子じゃ無かった」 「そんな…… 慰謝料まで払ったのに? 慰謝料は取り返さなかったの?」 「俺にはもう二度と近づかないって誓約書を書かせてそれ以来会ってない。 まあ、手切れ金だな……」 「じゃあ、彼とは……」 そう尋ねると彼は首を横に振って静かになった。 「話してくれてありがとう……」 僕は何と言っていいのか分からなかった。 それ以上何も言えなかった。 頭が回らなくて、うまい言葉が出てこなかった。 しばらく沈黙が続いたあと、 「俺って情けないだろ? 幻滅したか?」 矢野君が悲しそうなほほえみを浮かべてそう尋ねた。 「全然だよ! 矢野君、 僕は矢野君の事絶対だましたりしないから! 陥れたりしないから! 僕の気持ちは本物だから絶対疑ったりしないで。 僕は矢野君が凄く好きだから、 凄く、凄く好きだから!」 そう言うのが精一杯だった。 彼は真っ赤な目をして僕を見た後、 膝で顔を抱えると、 俯いて声を殺してずっと泣いていた。 でも僕の彼に呼びかける “好きだよ” という言葉には、ずっとコクコクと頷いていた。

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