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第89話 咲耶さんの尋問

僕は、日がよく差す窓辺に腰かけて、 咲耶さんと対面していた。 まぁ君の事について話し合いたかったからだ。 夕べは大変だった。 僕と矢野君と佐々木君の間で大きな討論となり、 僕たちは一晩中話し合った。 でも僕が粘り勝ちし、結局二人は折れてくれた。 でも二人も僕に協力してくれることで話はまとまった。 それ以外は認めないと言う事だった。 それは僕にとっても嬉しい提案だったけど、 僕の我儘に巻き込んでしまった二人には申し訳ない。 僕は朝一でΩ専門の 総合病院にやって来た。 ここには僕一人で来ることをお願いした。 裏を返せば、矢野君と咲耶さんを会わせたくなかったという 僕のどす黒い感情が混じっていたことも否めない。 僕と佐々木君だけで行くと、絶対矢野君がついてくるのは目に見えている。 それに少しだけ個人的に咲耶さんという人を 僕の視点から分析してみたかった。 病室に案内されドアを開けると、 咲耶さんはベッドの横にある椅子に座り本を読んでいた。 彼はチラッと僕の方を見ると、 少しガックリとしたようにしてまた持っていた本に目を落とした。 きっと矢野君だと思ったのかもしれない。 「おはようございます。 あの…… 前に一度お会いしたんですけど、 僕の事……」 そう言いかけた時、 「長谷川陽向君でしょう? 覚えてるよ」 そう言うと、窓際に出してあった折りたたみいすに座るよう誘った。 変だけど、僕と咲耶さんはベッドを挟んで座るような形になった。 それも対角線で。 今更椅子を直して咲耶さんのそばに持っていくこともちょっと気が引ける。 それに今日の彼は、少し近寄りがたい雰囲気があった。 僕はお見舞いの挨拶をすると、 早速本題に取り掛かった。 「あの…… まぁ君の事なんですけど……」 そう言うと、彼はチラッとだけ僕の方を向いて、 呼んでいた本をテーブルの上に置いた。 僕は咲耶さんが退院するまで、 まぁ君を僕に任せてほしいという言葉をずっと頭の中で反芻していた。 咲耶さんにとって、おこがましくなく、 安心して僕に任せられるように、 一つ一つ言葉を選んで一晩中考えていた言葉だ。 でも彼の口から出た言葉は、 まぁ君の事ではなかった。 「光の好きな人って君でしょう?」 少し青白い顔をした咲耶さんがそっぽを向いてそう尋ねた。 “え?” まさか咲耶さんの口から その質問が出てくるとはちっとも思っていなかった。 僕は一息置いて、 「どうしてそう思うんですか?」 僕は咲耶さんの方をまっすぐ見て答えた。 でも彼は僕の方を一度も見てくれなかった。 「初めて君たちを見た時から何となくね…… あの頃の光の事を考えると…… 光は何時までも僕の事を思っていてくれると思ったんだけどな……」 そう言って咲耶さんが俯いた。 「それにさ、この前君…… 城之内にも来てたでしょう? ずっと僕たちの後をついてきてたよね?」 咲耶さんのそのセリフに、 少し恥ずかしい気持ちがした。 “気付かれてたんだ!” 「あの……別にストーカーと言う訳では…… 気付かれて……たんですね……」 恥ずかしそうにそう言うと、 「癪だけど、一つだけいい事教えてあげるよ」 と咲耶さんがぽつりと言った。 僕は咲耶さんの方を見つめると、 「気付いたのは僕じゃないんだよ。 光だよ。 君の匂いがするって……」 その時僕は “えっ?” と思った。 今までそれらしいことを矢野君から聞いたことは無かった。 その事がずっと不思議だった。 僕は矢野君の匂いが分かるのに、 何故だろう?何故だろう?とずっと思っていた。 やっぱり矢野君にも香っていたんだ…… そして続けて、 「その時にね、確信に変わったんだよ。 光が惹かれてるのは……って」 嬉しい言葉の筈なのに、 僕は少し変な感覚がした。 背筋に冷や汗がしたたり落ちるような、 寒気がするような感覚だった。 僕はその感覚が何なのかその時はまだ分からなかった。 咲耶さんの方を見つめると、 彼は俯いたままで自分の手をジッと見つめていた。 俯いた咲耶さんのまつげは濡れているようで、 変な色気が漂った。 僕はグッと息を飲み込んだ。 “この人…… 良く見ればすごく綺麗な人だ……” 僕は他人事のように咲耶さんのその濡れたようなまつ毛を見ていた。 暫く気まずい沈黙が続居ていたけど、 咲耶さんが伏し目がちになった瞼をきゅっと開けると、 濡れたようなそのまつげがクルっと眉毛にまで届くように伸びた。 僕はその美しさに更に目を奪われた。 “矢野君はこんな綺麗な人と恋愛してたんだ……” 咲耶さんの美しさに気付いた僕は、 何だか自分が味噌っかすのように思えてきた。 ボーっとしてそんなことを考えていると、 「ねえ、もう僕が過去に、 光にどんな仕打ちをしたか知ってるんでしょう?」 と、いう問いに、ハッと我に返った。 僕はグッと息をのむと、 「記憶を失くす前の矢野君に聞きました」 とそう答えた。 記憶を失くす前の矢野君には、 咲耶さんだけでなく、 僕の存在も彼の中に在ったのだと言う事を、 咲耶さんに認めさせたかった。 「光が記憶を失くしたのって高校生の時だよね?」 「そうですね…… 高校3年生の時の夏休みですね……」 そう会話は淡々と続いて行った。 「ねえ、光とはどうやって知り合ったの?」 咲耶さんは相変わらずに僕から目をそらしたままそう尋ねた。 「どうして僕と矢野君の事が知りたいのですか? 咲耶さんには関係なくないですか?」 なぜそう言った話になったのか僕には全く分からなかった。 まぁ君の事を話しに来たのに、 その流れはいつの間にか僕と矢野君の事に切り替わっていた。 そして彼はボソッと、 「もう光と寝たんだよね?」 そう尋ねた。 “な……な……” 僕はワナワナとしてきた。 「それこそ、咲耶さんには関係なくないですか?! プライベートに割り込んで来られる謂れは無いんですけど?!」 僕の声が上ずった。 そう言うと、咲耶さんは僕の方をまっすぐに見たけど、 彼の瞳は僕の姿なと映してはいなかった。 彼の瞳はそこに座る僕の姿を通り越して窓から遠くを見ると、 光を仰ぐようにして、 「僕も光を愛してるから……」 と思いもしなかった言葉を吐いた。 そしてその言葉はとても真摯で、体が震えるような力が込められていた。

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