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第98話 一緒に帰ろう?
「矢野君、今どんな夢見てる?
僕の事、少しは思い出してくれたかな?」
そう言って僕は矢野君の頬を指で触った。
そして目にかかった前髪を少し払いのけると、
矢野君の綺麗な寝顔が僕の目に飛び込んだ。
前髪を撫でながら顔を覗き込んでいると、
閉じた目が少しピクッと動いて、
眉間にしわが寄った。
“クスッ……
僕にじーっと見られてるの、分かるのかな?”
僕はクスクスと笑いながら、矢野君の眉間を親指でなぞると、
彼はリラックスしたようにして、
又スーッと寝息を立てた。
窓の方を見ると、サ~っと温かい風が入り込んだ。
でも外は紅葉ももうすぐ終わろうとしている。
「気持ちのいい風が入ったね?
矢野君も感じた?
今日はね、昨日に比べたら少し暖かいんだよ。
だから少し窓を開けてるんだ。
こんな日は気持ちいいね。
最近は急に冷え込んできたからね……
あっ、知ってるか……
矢野君が眠りについたの、
昨日だもんね。
僕ね、ドクターからね、
矢野君との思い出を沢山語ってあげてねって言われたんだ~
時間がある限りここに来るからね」
僕は昨日ドクターに説明された通り、
矢野君の所に来て僕との思い出を語り始めた。
今矢野君の脳は、微量の電気の出るワイヤーで繋がれている。
脳の活性化を促すみたいだ。
一週間この状態で、電力を上げながら、
最後に高圧電気でショックを促し、
脳のリセットを行う様だ。
その後は直ぐに目覚めるらしいけど、
今まで治験があまり行われていないので、
副反応がまだまだ分からないらしい。
眠りにつく前は一週間ほど入院して事前検査が綿密に行われたらしい。
矢野君は心身ともに健康で、
投薬される薬のアレルギー反応も見つからず、
此処までに至ったらしい。
「矢野君、今日もカッコいいよ。
じゃあ、何処から僕達の事を話そうか?
そうだね~ じゃあ、少し僕の身の上の事聞いてくれる?
矢野君には少し話したんだけどね、
僕は施設で育ったんだよ。
βの母親から生まれてね、
お父さんの事は全然知らないんだけど、
シングルだったお母さんには、
僕の事は少し荷が重かったみたい。
今ではさ、第二次性って早く分かるようになったじゃない?
僕が10歳の時だったかな……
第二次性が分かったのは……
お母さんが凄く泣く様になったんだ……
僕、どうしたんだろうって思ってさ……
元気付けようと近くの土手に咲いている花を摘んできたり、
お手伝い頑張ったりしてたんだよ。
でもある日、荷物持って一緒に出掛けたんだ。
旅行に行くのかな?
ってワクワクして付いて行ったのを今でも覚えてるな~
でも言った先は施設でさ、
直ぐに迎えに来るからってそのままさ……
矢野君さ、僕にお母さんの事探さないのか?って尋ねたじゃない?
僕、お金ないから探せないよ~って笑ってたけど、
あの後ね、戸籍を頼りに親戚を探し当てたんだ。
お母さんは見つからなかったけど、
家族が見つかったんだよ!
凄いよね。
あの時はさ~ 矢野君の居所が分からなくなった後だったから
凄くうれしくてさ~
まさか事故に遭って記憶を失くしてるなんて思いもしなかったよ。
やっぱり僕の事は遊びだったのかな?とかさ、
気が変わったのかな?とかさ、
家族に大反対されて~なんて考えてたけど、
違ったんだね……
もっと早くに見つけに行けばよかったよ……
でもね、覚えてる?
僕達の出会いは最悪だったんだよ。
まぁ、僕にとってはだけどね……クスッ」
そう言って笑うと、
矢野君の口の端が少し上がったような気がした。
「何? 何?
矢野君もそう思ったの?」
僕は続けて話しかけた。
「ホラ、ホラ、僕達初めて会った時、沖縄だったじゃない?
空港で矢野君が僕を探しに来てくれて……
僕を見るなり、
“なんだ男か”
ってがっかりしてたよね……
“チッ”
って舌打ちばかりしてたしさ。
僕も、なんて奴!ってムッカーってしてたんだよ。
知らなかったでしょ?
いや? 知ってたかな?
懐かしいよね。
僕達、高校3年生だったんだよ。
うん、高校3年生の夏休みだったんだ。
僕達、暑い夏をあの場所で過ごしたんだ……
一緒に海辺を歩いたよね?
覚えてる?
僕は……
あの一瞬一瞬を覚えてる!
矢野君の起こった顔も……
泣いた夜も……
初めて笑顔を見せてくれた日も……
ジョークを言ってくれた日だって……
そして初めて僕に心を開いてくれた日……
僕に愛を囁いてくれた日……
幾夜も、幾夜も月の光の中で僕達は愛を語りあったんだよ。
ねえ、覚えてる?
矢野君が、どんなに僕を愛してくれたか!
僕はすべてを覚えている!
矢野君の中に溶けてしまいたいと思ったあの熱かった夜も、
静けさの中で僕の肌に感じる矢野君の甘い吐息も、
君の胸に寄り添って聞いた君の鼓動も、
この世が消え去った感覚の中、僕の耳元で、
“愛してる”
と囁く優しい声も!
全て、全て覚えている!
矢野君、矢野君は僕達の記憶を
あそこに留めたままにして成長しちゃったんだね。
きっと矢野君の僕達の記憶はあの場所で迷子になってるんだよ……
何処で遊んでるんだろうね。
一人でいるの?
寂しくない?
孤独じゃない?
ちゃんと僕の声が届いてる?
君の記憶が大きな傷を負っていることも分かってるよ。
もしかしたら帰ってきたくないのかもしれない……
でも思い出して!
君の記憶の中には、ちゃんと僕もいるんだよ?
僕がちゃんと君の手を取ってあげるから!
ねえ矢野君、僕、矢野君の記憶の中に迎えに行くから……
だから……
戻っておいで?
一緒に帰ろう?」
そう言って矢野君の手を握ると、
彼はツーっと閉じた瞳から涙を流した。
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