102 / 102
第102話 Endress Summer Night ~終わらない夏~ 最終話
「俺が、目覚めたらまず最初に……」
矢野君が言いかけて、
「陽向! オイ! お前、寝てしまったのか?
風邪をひくぞ!
ホラ、起きろよ!」
という声が僕の頭の中に響き渡った。
矢野君の方を見ると、
彼が戸惑ったような顔をしている。
「ちょっと待って!
矢野君が何か言いかけて……
何? 目覚めたらまず最初に何?!
矢野君! 聞こえないよ!」
矢野君の顔を覗き込むと、
もう彼の輪郭はボンヤリとして、
パクパクとする口だけが
何かを言おうとしていることを物語っている。
「ねえ、何を言ってるの!」
段々と薄れていく矢野君の顔を最後に僕は目覚めた。
後ろを振り返ると、
佐々木君が心配そうに僕を覗き込んでいた。
「疲れたんだろ?
最近眠れてなさそうだったからな」
佐々木君にそう言われ、
僕は矢野君の顔を覗き込んだ。
矢野君は眉毛一つ動かさずに、
スースー眠っている。
つい先ほどまで、僕はこの腕の中に居た。
矢野君はあの頃のように笑って、話をしていた。
そしてこの腕で僕を抱いてくれた。
夢の中で起きたことを全て覚えている。
彼の吐息の一つまでも覚えている!
僕は自分の両手を広げてみると、
そのまま思いっきり顔をふさいで泣き始めた。
後ろでは佐々木君が、
静かに僕の背をさすっていてくれた。
「おい、大丈夫か?
何か夢でも見てたのか?」
僕はハッとして佐々木君を見上げた。
そして静に微笑むと、
「ううん、大丈夫、
ただ、明日の事が心配なだけ」
そう言うと佐々木君は
「そうか……」
とぽつりと言った。
きっと佐々木君にも一杯心配かけている。
僕は矢野君の手を取ると、
僕の頬に当てた。
そして僕の顔を彼の耳に近づけると、
“矢野君、約束だよ、
待ってるからね。
絶対、絶対、帰って来てね。
そこから抜け出すんだよ。
僕はここにいるからね!”
そう言うと、佐々木君が、
「もう面会時間終わる頃だぞ。
飯食いに行ってそれから明日に備えるか?」
と僕の肩をポンと叩いて手を差し出した。
というのが昨日までの事で、
今日はいよいよ矢野君の脳にショックを与える日だ。
僕は朝一で病院に駆け付けた。
矢野君はまだいつものように眠ったままだ。
「矢野君、いよいよ今日だね。
どう? 緊張してる?
僕もちゃんとここにいるからね。
安心して戻っておいで」
そう話しかけると、
「ひ……な……た……」
と矢野君が僕の名を言ったような気がした。
「矢野君? 聞こえる?
僕の声が聞こえる?
今日は一緒に頑張ろうね!」
そう言って矢野君と会話をしていると、
ゾクゾクとご両親や佐々木君、
また咲耶さんもやって来てくれた。
ここまで来ると、ご両親にも、
咲耶さんとの経緯は説明してあった。
でもやっぱり溝は深く、
咲耶さんは遠慮がちに、
部屋の隅っこで静かにちょこんと座っていた。
咲耶さんも咲耶さんなりに矢野君が心配なのだ。
彼のやり方は間違っていたけど、
矢野君が目覚めたときに、
咲耶さんとのすべての柵にピリオドが打たれればいい。
皆で雑談をしていると、
ドクターがやって来た。
そして今日の説明が再度行われ、
看護婦さんが来て矢野君は施術室に連れていかれた。
僕の心臓はこれまでになく脈打っていた。
これまでの治療の甲斐なく、
思い出さないというのであればまだいいけど、
電気ショックに体が耐えきらずにもしもの事を考えると、
生きた心地がしなかった。
でも一時間もすると、
矢野君は病室に運ばれてきた。
「すべては順調に行われましたよ。
バイタルも正常で、
麻酔が切れ次第すぐに目覚めるでしょう。
先生が後ほど説明に来られますので」
そう言ってもう一度バイタルをチェックすると、
看護婦さんはステーションに戻って行った。
「ほら、ほら、陽向君、
光の所にすわって!
光が目覚めたときに一番に陽向君が見えるようにしないとね!」
そう言いて茉莉花さんが僕を一番前に押しやって、
折り畳みの椅子をお父さんが矢野君の顔の前に置いてくれた。
「僕よりも、ご両親が……」
そう言いあっていると、ドクターが病室にやって来た。
僕は立ち上がり一例をすると、
「すべては予定通りに順調にいきましたよ。
脳波も正常ですので後は彼が目覚めるだけですね。
前に説明しました通り、
結果は彼が起きてからでないと分かりません。
バイタルも安定しているし、
しばらくすれば目覚めるでしょう。
もしかしたら記憶の混乱で魘される事があるかもしれませんが、
そこはご心配なさらずに。
では彼が起きましたら、
ナースを呼んでください」
そう言ってドクターは去って行った。
それから30分くらいしてナースがまた戻って来た。
バイタルを図りに来たようだ。
「どうですか?
未だ目覚めませんか?」
そう尋ねて、僕が首を振ると、
看護婦さんは
「矢野君~ 気分はどう?」
そう言って肩をポンポンとゆすった。
すると矢野君が目をうっすらと開けた。
看護婦さんは矢野君に付いた点滴を止めると、
「矢野君~ 起きた~?」
ともう一度声を掛けた。
僕はハラハラ、ドキドキとしてその行方を眺めていた。
そしてまだ虚ろに目を開け閉めしている矢野君の目と会った。
でも矢野君の目は又すぐに閉じた。
僕はドキドキ・ドキドキする中で
祈る様な思いで矢野君に話しかけた。
「や……矢野君……?
未だ眠いの? 気分はどう?」
凄く怖かった。
又、
“お前、誰?”
って言われたら……
そう言う思いがグルグルと頭の中を反芻していた。
実際に僕と目が合った時の矢野君は何の反応も無かった。
確かにまだ麻酔の影響下にあるんだろうけど、
矢野君のそう言った少しの動作にも敏感になっている。
矢野君の手を取りたかったけど、
目覚めたときに振り払われるのが怖かった。
茉莉花さんは、
「ほら、ほら、ホッペにチューの一つでもしてやりなさいよ!
きっと直ぐに目覚めるわよ!」
だの、佐々木君は
「手ぐらい握ってやってたらどうだ?
目覚めたとき安心するんじゃないか?」
なんて行ってたけど、後ろを振り向いて目に入った咲耶さんの表情は
少し複雑そうだった。
僕は咲耶さんの目が目見れず、
さっと矢野君の方を振り返った。
そしてドキドキしながら顔を覗き込むと、
矢野君の目がまた開いて何度か瞬きをした後、
腕が急に僕の目の前に伸びてきた。
ビクッとして顔をのけ反ると、
そのまま目だけを動かして矢野君を見下ろした。
そして矢野君と目が合って気まずくなって顔をそらした。
「ここは……」
か細く話し出した矢野君にハッとして彼の方を見た。
矢野君は優しそうに微笑んでこっちを見ていたけど、
彼の視線の先に居たのは僕では無かった。
矢野君の視線を追うと、
その先に居たのは咲耶さんだった。
勿論、咲耶さんを見ていたのは僕だけではない。
佐々木君も、矢野君の両親も、
矢野君が見ているのは咲耶さんだと気付いた。
“やっぱり駄目だったか……”
そう思って僕は静かに椅子から立ち上がり
その場を去ろうとした。
すると矢野君は僕の腕をつかんだ。
そして僕に椅子に座るよう促した。
“何? 何かあるの?
矢野君、僕が誰かわかってる?”
居た堪れない気持ちになった。
矢野君は僕の腕からその手を離すと、
咲耶さんに向かってその手を伸ばした。
咲耶さんは
“え? 僕?”
というような顔をしていたけど、
照れたようにしてその手を取った。
僕はこの場から逃げたい気持ちでいっぱいだった。
苦しくて胸が痛いくらいに悲しかった。
そんな中、咲耶さんは少し軽やかなステップで僕の前に出てきた。
でも誰も何も言わず、その光景を沈黙の中見守っていた。
「咲耶……」
矢野君が彼の名を呼んだ。
僕は矢野君の優しそうに咲耶さんの名を呼ぶ声に
耳をふさいだようにして横を向いて俯いた。
「咲耶…… お前とは色々あって苦労掛けたと思う。
陽向から全て事情は聴いた」
“僕の名前……
僕の事…… 覚えてるんだ……”
そして矢野君の話は続いた。
「咲耶…… 本当にごめん」
そこまで矢野君が言った時、
咲耶さんの顔色が変わった。
皆の様子も変わった。
「光……」
咲耶さんは先がもう分かったようにしてうなだれた。
「お前の気持ちは痛いほどよくわかる。
あの時、俺たちはもっと言葉を交わしておくべきだった。
俺にも至らない部分はあったと思うが、
きっとこれが俺たちの運命だったんだろう……
俺たちはいくら愛し合っていても、
俺たちの運命は交わることは無かったんだんだ。
だからこれで良いんだよ。
お前も今度は良い奴を見つけろ」
そう言うと、矢野君は今度は僕の手を取った。
ドキッとした。
この上なくドキッとした。
僕がこの上なくドキドキ・ドキドキする中、
矢野君はニコリとほほ笑むと、
僕をグイッと口元まで引き寄せて、
「陽向、お前、年長さんでしっかり者なんだろ?
嫁に来いよ」
そう僕の耳元で囁いた後、
項の痕にそっと触れた。
―――――終ーーーーー
長い間お付き合い下さりありがとうございました。
コメントや、応援ボタン、とても嬉しかったです。
このお話は、思うような表現が中々出来ず、
何度も、何度も書き換えたのですが、
ちゃんと最終話を迎えられてホッとしています。
皆様もご健康に気を付けてこの冬を乗り切ってください。
有難うございました。
ともだちにシェアしよう!