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プロローグ
桜の木が満開になり、また新しい春がやってきた。高校1年生になった一ノ瀬七海は大きな瞳をキラキラと輝かせ、これから3年間通う校舎を遠くから眺めていた。
春は好きだ。空も風も人も、みんなウキウキしてるから。
少し強めの風が吹き、七海の柔らかい髪がふわりと揺れる。両耳には瞳の色と同じ瑠璃色のピアス。七海はいとおしげに、少し悲しげにピアスに触れると、思いっきり息を吸い込み
「楽しいことがいっぱいありますように!」
そう空に向かって叫び、両手を大きく広げて坂道を駆け下りた。
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入学式が終わり、新入生達は教師に誘導されてそれぞれのクラスへと別れていく。七海はA組となり、同中の友達とはことごとくクラスが別れてしまったが、ちっとも凹んではいない。何せ、七海の高校での目標は『新しい友達100人作ること』だったから。
「おっまえ、小学生かよー!」
そう友達に失笑されたが、七海は無邪気に笑って答える。
「いーんだよっ!オレ、本気だかんなー!」
それぞれが期待と不安を胸に抱き、これから1年間過ごす教室へと向かっていくのだった。
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「席はとりあえず出席番号順なー。机の右端に名前が書いたシールが貼ってあるから、自分の名前のところに座るように」
教室に入ると、生徒達は担任の岡田の指示に従って自分の名前の書いてある席に座っていく。
岡田は野球部の顧問で、見るからの熱血教師。声もでかけりゃ身体もでかい。豪快に笑う姿が妙に可愛くて親しみが持てた。
「うわーっ、オレ1番じゃん!」
自分の席を見つけた七海は、驚きと嬉しさで思わず声を上げた。今までも出席番号は早い方だったが、いつも『青木』や『秋本』に1番を譲ってきた七海としては、この『出席番号1番』というのはかなりテンションの上がる事だったのだ。
(幸先イイー!)
心の中でガッツポーズをし、七海は席に着いてからもキョロキョロと落ち着きなく周りを見回していた。
皆がそれぞれの席に着いたところで軽く自己紹介をした岡田は、続けてこれから共に学んでいく生徒たちに向けて熱いメッセージを送る。人生の大先輩の言葉に、若人たちは真剣に耳を傾けていた。もちろん七海も。
「これからこの学校で過ごす日々を、かけがえのないものにしてほしい」
高校の3年間はあっという間だ。たくさんの出会いを、経験を大切にしていきたい‥岡田の話を聞きながら、七海はそんな風に思うのだった。
「よーし、それじゃあ出席を取るぞー」
話を終えた岡田は、黒表紙の出席簿を開いてそこに書かれた32名の名前を順に呼んでいく‥のだが。
「えー、いちの‥」
「はいはいはーい!一ノ瀬です!一ノ瀬七海!!趣味は絵を描くことで‥あ!星ヶ丘中出身です!それから‥」
名前を呼ばれるのとほぼ同時‥というか少し食い気味に返事をする七海。おまけに勝手に自己紹介まで始めるもんだから、教室の至るところからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
「あのなぁ一ノ瀬‥自己紹介は別の時間にとってやるから、とりあえず座れ」
「えっ、あっ!スンマセ‥うわっ!!」
興奮して椅子から転げ落ちそうになる七海の姿に、ついには教室中からドッと笑いが起きた。岡田が小さくため息をつき再び出席をとり始めると、七海の後ろの席に座っている男子生徒が頬に手をついたまま眉間にシワを寄せて不機嫌そうに返事をした。
出席をとり終えると、岡田は今後の予定を黒板に書いていく。オリエンテーション、校舎見学、委員会決め、部活見学‥入学してすぐは行事が目白押しで、七海はそのどれもが楽しみで仕方なかった。
「せんせー!鳥海くんがジャマで黒板が見えませーん!」
黒板に全ての文字を書き終える前に、一人の生徒がそう岡田に訴えた。‥どうやら座席が出席番号順の為、長身の生徒が前方に座ってしまい支障をきたしているらしい。「俺も」「私も」という声があちこちから聞こえ、あっという間に『席替え!』の大合唱。岡田が「分かった分かった」と生徒達を宥めると、教室からは歓声があがった。 ‥何故だろう、席替えはいくつになっても特別なイベントでとてもココロが踊る。
岡田は教壇近くの席の生徒に席替え用のくじ作成を頼み、残りの生徒達はその間、渡されたプリントを読んだり雑談をしたりして各々時間を過ごしていく。七海も隣の席の香川と最近ハマっているゲームの話ですっかり盛り上がっていた。
「よーし、それじゃあ始めるぞー。くじの箱を回すから、引いたら後ろにまわすように。後ろまで行ったら今度は前な。全員引き終わったら黒板に数字書いていくから、それから移動ー。あ、鳥海は窓際の一番後ろな。他に背ぇ高い奴いるかー?」
岡田が教室の後ろまで通る声でそう尋ねると、数名の生徒が手を上げた。
高身長メンバーの座席が決まると、いよいよくじ引き開始となる。七海はくじの箱を渡されるとペロリと舌を出し、中身を思いっきりかき回して奥の奥から数字の書かれた紙を取り出した。
「オレ窓際の後ろの方の席がいいなー!」
「そう言ってっと、ぜってー先生の真ん前になるわ」
「えっマジ?!それやだー!」
七海はケラケラと笑いながら、くじの箱を隣の香川に渡した。‥後ろの席の生徒が箱を受け取ろうと手を伸ばしている事に気づかずに。
「おい一ノ瀬、何で横にまわしてるんだ?」
「え?‥わぁ!スンマセン!」
「全くお前は‥」
岡田はいい加減もう諦めた‥と言わんばかりに大きなため息をつくと、早く箱をまわすように生徒たちを急かした。
早々にトラブルがあったものの、全員がくじを引き終えたのを確認すると、岡田は先程黒板に書いておいた座席図に数字を書き込んでいく。書き込まれる数字と自分の手元にある数字を見比べてガッツポーズをする者、ガックリと肩を落とす者様々で、まるで受験の合格発表のようである。
(あ、ラッキー!窓際だ!!)
希望通りの場所を引き当て、七海は香川に向かってVサイン。一方の香川は教壇の真ん前の席。‥まあ、席替えとはそんなものだ。
香川にエールを送ると、七海は自分の荷物をヨイショと抱え満面の笑みを浮かべながら新しい席へと移動していく。
(窓際の後ろから2番目かー‥うん、いい席!‥あ、そういえば‥)
『鳥海は窓際の一番後ろなー』
ふと、くじ引き前の岡田の言葉を思い出す。
(鳥海ってどんな奴だろ‥超でけーのかな?ジャイアント馬場みたいだったらどーしよ‥うしろからババチョップとかされるかも‥!)
その後も想像だけがどんどん膨らんでいき、羽根が生え、火を吹き‥
何を隠そう、一ノ瀬七海はものすごく馬鹿なのである。成績は下の下、テストではいつも赤点を取っていて、今の高校に入学できたのも奇跡に近い。その代わり美術は大の得意で、その想像力は人並外れていた。‥その想像力のおかげで、“鳥海”はもはや人間ではなくなっているのだが。
クラスメイト達をかき分けて緊張した面持ちで自分の席へとたどり着いた七海だが、フッとその視界に入ってきたのはさっきまで自分がイメージしていたのとは全く違うものだった。
金髪で後ろ髪を刈り上げ、眠たげな目をしているがとても整った顔をした細身の男子生徒、それが鳥海だった。‥もちろん人間である。頬杖をつき、窓の外を眺める姿が驚くほど絵になっていたので、七海は思わず見入ってしまいポロッと心の声が漏れた。
「かーっこいー‥」
「えっ‥?」
「あっ、ちわ!オレここの席なんだ!えーっと名前は‥とりうみ‥い‥え?‥」
「えいた」
「えいた!ヨロシクな、えいた!オレ一ノ瀬七海!ななみでいいから!」
「うん、よろしくー」
マシンガントークの七海とおっとりの依伊汰。かなり温度差のある二人だが、波長が合うのか不思議と会話は成立していた。
七海と依伊汰が話をしていると、一人の生徒が近づいてくる。それはさっきまで七海の後ろの席に座っていた銀髪の男子生徒だった。
(げっ‥またコイツの近くかよ‥)
彼は七海の姿を見るとあからさまに不機嫌な顔をして、ドスンと七海の隣の席に腰を下ろした。逆に七海は、彼の姿に気づくと嬉しそうに声をかける。
「あ!また席近いな!オレ、いち‥」
「一ノ瀬七海。さっき出欠取ってる時に覚えた」
「おおおーすげー!ななみでいいから!ヨロシクな!そんで、こっちがえいた!」
「聞いてねーし、‥っつーか何でお前が紹介すんだよ」
この短いやり取りで“一ノ瀬七海”というのは自分とは全く別の部類の人間だと感じ取った彼は、(コイツぜってー無理‥!)と心の中で叫んでいた。
「あ、あと」
「まだ何かあんの?」
「さっきはゴメン!」
「‥何が?」
「くじの箱。オレ話に夢中になってて、間違えて隣の奴に渡しちゃったから‥だからゴメン!」
七海が謝ってきたことに、彼は少し驚いた表情を見せた。そんなの気にするタイプの奴じゃないと思っていたから。改めて七海を見ると本当に申し訳なさそうにしていたから、ただうるさいだけの奴じゃないのかも‥と少しだけ見直した。
「いーよ、別に」
「よかった、嫌われたかもってドキドキした!」
「は?嫌ってねぇし(‥まぁ好きではねーが)」
「よろしくな!‥‥っと、名前知らなかった」
「稲田穂輔」
「ほすけ!よろしくな、ほすけ!」
「おう」
眩しいくらいの笑顔を向けられて穂輔が小さく返事をすると、1限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「それじゃあ続きは次の時間なー!まだまだやることは山のようにあるから、気合入れろよ、新入生!」
岡田のでかい声も、チャイムに負けないくらい教室に響いた。
この教室で、この仲間達と、新しい学校生活が始まる。そう思うと七海の胸は希望に満ち溢れ、大きな瑠璃色の瞳は一層輝きを増していた。
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