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第1話

   どうしてこんなことになってしまったんだ……。  もう何度目かわからない後悔を、俺は心中で吐き出した。  何で自分がこの状況に置かれているのか。未だに理解が追いつかない。  薄暗い部屋の中。ベッドの上で、俺を大事そうに抱きしめているアイツ。お互い薄着のため、体温や肌の感触がはっきりと感じられてしまう。  居心地が悪いとはこのことだ。  今すぐにでもこの場から逃げ出したい……!  しかし、俺を逃さないとばかりに、ひしと抱きしめているアイツ――勇者のルーシス。  心地よさそうに息を吐くな、馬鹿。俺の髪を愛しそうに撫でるんじゃない、ぞわぞわする。  極めつけは、 「クルト……好きだよ」  と、耳にぞっとするようなセリフを吹き込んできやがる。  ものすごくやめてほしい。  本当に鳥肌が立つんだよ。そういうことをお前が言うと!  どうして、こんなことになってしまったんだ。  なぜ、こいつが俺に愛なんぞささやいている。  なぜ、俺がこいつに大事そうに抱きしめられている。  何で俺が、大嫌いなコイツに、今から抱かれなきゃならないんだ……?  こんな状況になってしまった発端はというと。  話は数日ほど前へと遡る。  + + + + + +  扉を開くと、ちょうど中から人が出てくるところだった。体がぶつかりそうになってしまう。  対面からやって来たのは、屈強な体つきの男だ。俺の姿を見るなり、 「うわっ」  と、大げさなくらいに跳びのいて、首を引っ込めている。  そして、わざわざ大回りをして、外へと出ていった。  俺は気にしないことにして、冒険者ギルドへと足を踏み入れた。中はざわざわと騒がしい。冒険者たちが丸テーブルに集まって、情報交換や雑談に興じている。窓からは明るい日差しが入りこんで、人々の晴れやかな顔を照らしていた。  明るい雰囲気に満ちた、冒険者ギルド。  その中を俺は黙然と突っ切っていく。  向こう側から、新米らしき冒険者が2人やって来る。何がそんなにおもしろいのか、互いを肘でつつき合いながら、大声で笑っていた。  俺とすれちがう寸前、爆笑していた2人はぴたりと口つぐんで、さっと退いた。片方が俺のことをじろじろと見て、もう片方の男が慌てたように「やめとけよ!」と、腕を引っぱっていく。俺から距離をとると、2人はこそこそとささやき合った。  ギルド内で、俺の扱いはいつもこんな感じだ。  怖がられ、避けられている。  何で俺が周りからこんな風に扱われているのかというと。  1つ目の原因は、俺の見た目。  服装は、野暮ったくて真っ黒なローブ。髪は重くて暗い印象の闇色。その上、常にフードを目深にかぶっているせいで、薄気味悪い雰囲気が出てしまっているのだろう。目つきは悪いし、毎日のように魔術書を読みあさっているせいで、目の下には隈ができてしまっている。肌の色は青白い。  どこからどう見ても、不健康で根暗の塊。それが俺だ。  2つ目の原因は、俺の性格。  俺は受注カウンターへと近づいて、受付嬢へと声をかけた。 「『ビッグオーガ』討伐の依頼(クエスト)を受注したい」  すると、中にいた若そうな娘が、びくりと震える。 「は、はいぃ! か、確認します!」  と、びくびくしながら、カウンターの奥へと引っ込んでいった。  そんなに怯えなくてもいいだろう、と思いつつも、それが自分の愛想のなさのせいだということもわかっている。  俺はいつでも不機嫌そうな顔つきをしている。声を出せば、「怒っているのか?」と勘違いされることの方が多い。  暗い見た目と相まって、相手を怯えさせてしまうことがある。  そして、俺が嫌われる3つ目の理由。それは俺にまつわるある噂だ。俺に関わると呪われる、なんていう話がギルド内で広まっている。こんな噂話が流れるようになったのは、半年前のある出来事が原因なんだけど、それはともかくとして。  この冒険者ギルドで俺は嫌われ者だ。俺に話しかけてくる人間なんて滅多にいない。  危険なモンスターの討伐は、普通は複数人(パーティ)で組んで挑むものだが、俺には仲間がいない。自分から他人を誘うわけないし、俺を誘って来るような酔狂な人間なんていない。いや、正確には1人だけ鬱陶しいのがいるんだが、俺はそいつのことが大嫌いなので、どれだけ誘われても必ず断っている。  だから、俺はいつでも1人(ソロ)で依頼をこなす。  その方が気が楽だ。俺は喋るのがうまくないし、他人と接するのが苦手だ。親しくもない他人に気を遣うより、1人で自由に過ごす方が性に合っている。  常に1人でいる俺のことを馬鹿にしてくるような奴もいるけど、俺は気にしないことにしていた。  幸いなことに俺の魔術師ランクは、最高ランクのS。1人で依頼をこなしても、たいていは何とかなる。  俺がカウンターで依頼内容の確認を行っていた、その時だった。  からんからん、と扉が開く音。  「あ」と誰かが声を漏らした。熱のこもった声だった。肌でわかるくらいにはっきりと、ギルド内の空気が変わった。 「ルーシス! おはよう!」  誰かが大きな声で言う。  それに答えたのは、耳にするだけで爽やかな気持ちになれそうな明るい声音だった。 「トーマス、おはよう。もう足のケガはいいのか?」 「ああ、おかげさまで完治したよ」 「ルーシス~、また俺と組もうぜ。Sランクのモンスターを狩りに行きたくてさー」 「ルーシスさん、今日の夜は空いている? よかったら私たちと飲みに行かない?」  と、いろいろな人間から矢継ぎ早に話しかけられている。  しかし、そいつは嫌な顔1つせずに、ニコニコと人好きのする笑顔で対応していた。  Sランク剣士のルーシス。通称は『光の勇者』。このギルドの人気者だ。  太陽の光を束ねたかのような綺麗な金髪。空色の透き通った瞳。すらりとして見える体は、つくべきところにしっかりと筋肉がついていて、意外とたくましい体躯をしている。  遠目から見ているだけで、ため息をつきたくなるほど秀麗な顔立ちをしているのに、愛想もよくて、性格もいい。こんな人間がモテないわけがない。  ルーシスが冒険者ギルドに訪れると、周囲の様子が変わる。男は気さくな様子で、女は目をハートに変えながら、何とか彼に気に入ってもらおうと話しかける。だから、アイツの周りは常に人だかりが絶えない。  俺とは何から何まで正反対な男だ。  俺はフード下で思い切り顔をしかめた。ルーシスとギルドで鉢合わせするなんて、最悪だ。俺はこの男のことが嫌いなんだ。  なぜかというと―― 「クルト! 久しぶり。最近、ギルドで顔を合わせないから、どうしてるのかと思ったよ」  カウンターまでやって来ると、ルーシスは俺を見て、にこりとほほ笑んだ。眩しすぎる笑顔だ。  その瞬間、周りの温度が少し下がった。ある者は眉をひそめ、ある者はひそひそとささやき合って。俺に刺すような視線を向けてくる。  俺は内心でイライラとした。  なぜ、いちいち俺に声をかけてくるんだ? こいつは?  人気者のお前が、不人気者の俺に話しかけると、周りからの視線が痛い。「どうしてお前なんかが、ルーシスさんと!」と恨み全開の眼差しを向けられる。  いい加減、気づけ、馬鹿! 最近、会わなかったのはお前のことを避けてるからだよ、馬鹿!  俺のことは放っておけ、大馬鹿野郎!  しかし、能天気お人よしさ満点のこの男は、何も気付いていないようだった。  ルーシスは遠慮なしに俺の隣にやって来て、手元を覗きこむ。 「へー、『ビッグオーガ』の討伐に行くんだ。『ビッグオーガ』ってけっこう危険度高いけど、1人で大丈夫? 俺も一緒に行こうか?」  呑気そのものな声に、俺のイライラは限界を突破した。 「俺に話しかけるな」  フードの端をグイッと引っぱって、目元を隠す。そして、ルーシスに背を向けた。  周りの視線が痛い。痛すぎる。「あんな奴がルーシスさんと仲良くしてるのはムカつくけど、ルーシスさんを無下にするのもそれはそれでムカつく!」といったところだろう。  すべてから逃げ出したくて、俺はギルドの外へと出ようとした。  取手へ手を伸ばそうとすると、勝手に扉が開く。  室内に飛びこんで来たのは、息を切らした少年だった。 「もー、ルーシスさんー! 僕のこと、置いていかないでよー!」  ぷんぷん、という擬音が似合うほどにかわいらしく怒っている。ぷっくりほっぺは、りんご色に上気していた。  奇跡か? と問いかけたくなるほどに、見目麗しい少年だった。  先が巻き毛になっていて、やわらかそうな茶髪。睫毛は長くて、くるんとカールがかかっている。肌はすべすべで透き通るほどに色が白い。  着ているローブは白を基調に、金の刺繍が入っている。丈の短いローブで、裾がひらひらとスカートみたいにはためいていた。  俺は内心で舌打ちした。  冒険者ギルドで顔を合わせたくない、ナンバーツー。  白魔術師のパウルだ。  パウルは俺を見て、愛らしい顔立ちをパッと輝かせた。 「あ、クルトお兄ちゃん! 来てたんだ! 久しぶり~」  と、俺の腕に抱き着いてくる。  無邪気にはしゃぐコイツ。何を隠そう、俺の実の弟だった。  似てない? そんなセリフはもう耳にタコができるくらいに聞いた。  入り口で弟に絡まれていると、ルーシスがなぜか俺の後を追ってきた(追うな馬鹿! 空気を読め、馬鹿!)。 「待ってよ、クルト。俺……」  と、何かを言いかけるが、それにかぶせるようにパウルが、 「え? どうしたの、お兄ちゃん? 用事があるの? それは大変! ごめんね、ルーシスさん。クルトお兄ちゃんはこれから、どうしても外せない用事があるんだって~」  大きな声で言いながら、俺に腕をからませたまま歩き出す。  引っ張られるようにして、俺はギルドの外へと連れ出された。  ばたんと扉が閉まる。  すると、それまで俺に無邪気な笑顔を向けていたパウルの雰囲気が一気に変わった。半眼で、唇を歪める。見下したような顔付きだ。 「お兄ちゃん、またルーシスさんに付きまとってるんだ?」  と、冷めきった声で言う。 「いい? わかってないようだから、親切に忠告しておいてあげるけど、ルーシスさんがアンタのことを気にかけているのは、あの人がとっても優しい人だからだよ? 妙な勘違いしないでね」  俺はしかめ面で、パウルの手を振り払った。 「誰が付きまとってるか。俺はあいつのことが大嫌いなんだよ」 「ふーん……ま、それならいいんだけど?」  にこりと笑ってから、パウルは俺から離れる。  そして、ギルドの中へと戻っていった。 「ルーシスさん! 討伐に出掛けるんだよね? 僕も連れてってよ~!」  無邪気な声が、室内から漏れ出る。  俺は吹っ切るように冒険者ギルドに背を向けるのだった。

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