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第2話

 数日後のことだった。  冒険者ギルドを訪れた俺は、室内を見て、顔をしかめた。  最悪だ。ルーシスと、パウルがいやがる。  丸テーブルで向かい合って、話していた。  パウルは子犬みたいな無邪気な笑みを惜しみなく振りまいている。ルーシスはいつも通り爽やかな笑顔で、聞き役に徹していた。  俺は2人に気付かれないように、テーブルを大きく迂回して、奥へと向かった。  資料室へと入っていく。  この世界のいたるところには、モンスターが生息している。モンスターの体の一部は、木材や鉱石となっていて、製作ギルドにとっては貴重な資源となる。そのため、製作ギルドは必要な素材があると、冒険者ギルドにモンスター討伐の依頼を出す。  また、モンスターの中には人間を襲う危険な種類のものが存在する。そういった危険モンスターは国がリストを作成していて、該当のモンスターを討伐することで、冒険者ギルドへと報酬が入る仕組みとなっている。  冒険者ギルドはそういった依頼を取りまとめて、冒険者に仕事を斡旋する。モンスターを討伐し、ギルドから報酬を受け取る、それが俺たち冒険者の仕事だ。  ギルド内には、モンスターの詳細な生体情報を集めた資料がある。羊皮紙を束ねて、モンスターの種別ごとに棚に保存されている。  俺が討伐対象のモンスターのページを探して、資料をあさっていると。  ぱたんと、扉が開閉する音。  誰かが部屋に入って来た。振り返るが、モンスターの資料棚は部屋の奥まったところに設置されている。室内には所狭しと本棚が並んでいるので、ここからでは入口が見えなかった。 「……本当に、やるんですか……?」  ひそやかな声が聞こえてくる。  誰かと話をしているらしい。 「もちろんやるよ。ロべリオも、僕に協力してくれるよね?」  と、答えたのはもう1人。  聞き覚えのある声に、俺は眉を寄せた。  このやたらと甘ったるい声音はパウルのものだった。  パウルと話しているのは剣士のロべリオだ。自称、パウルのファン第一号の男。  パウルは愛らしい見た目と、甘え上手な性格なために、ギルド内でも取り巻きが多い。パウルに言わせれば、「僕の言うことを何でも聞いてくれる愉快な下僕」とのことだが。 「でも……いいんですかね? ルーシスさんの飲み物に、薬を入れるなんて……」 「大丈夫だよぉ! 薬って言っても、これは効果のうすーい自白剤。ちょっとだけ自分の心に素直になるだけのものだから。効果もすぐ切れるしね」 「でも……もしばれたら……」 「ね、ね、ロべリオ、お願い! だって、僕、ルーシスにどうしても聞きたいことがあるんだもん……」  最後の台詞は、か弱げに震えていた。聞く人によっては「何ていじらしいんだ!」と感激するかもしれない。  実際、ロべリオはその類の人間だったらしい。 「パウルさん……! わかりました! 俺に任せてください! 薬を入れた飲み物を、ルーシスさんに渡してくればいいんですね!」 「わー、ロべリオ、ありがとう! 大好きだよ~」 「え、えっへへへへ……お任せください! パウルさんのためなら、俺、何だってしますから!」  話を聞き流しながら、俺は口の中で呪文を唱えた。光を屈折させて、入口の光景を眼前に映す。別にロべリオのにやけた面や、パウルの甘ったるい顔が見たいわけではないが……。  何となく気になったので、パウルがどういった薬をルーシスに飲ませようとしているのか、確認してみることにした。  パウルが手に持っているのは、黄色の液体がつまった瓶だった。中身を水と一緒にジョッキに入れて、かき混ぜている。  解析の呪文を唱え、成分を覗いてみる。  そして、驚愕した。  自白剤なんてとんでもない。それは「惚れ薬」だったのだ。それを飲むと、最初に見た者に恋をしてしまうという代物だ。  「惚れ薬」にはいくつか種類がある。その中でも最も質の悪い「チャームリリー」という名の薬だった。  パウルが長いことルーシスに片想いしているのは知っていたが……まさか、こんな薬にまで手を出そうとするなんて。放っておこうかとも思った。しかし、「チャームリリー」だけはいろいろとまずい。  2人が資料室の扉を開けようとした寸前で、 「待て、パウル」  俺は本棚の影から姿を出して、パウルの手首をつかんだ。  パウルはハッとして、俺の顔を見る。 「く、クルト……! ……お兄ちゃん」  呼び捨てにしてから、ロべリオの方をちらっと窺って、慌てて「お兄ちゃん」と付け加えた。  それから取り繕うような笑顔を浮かべる。 「わ、いきなり出てくるからびっくりしちゃった~。どうしたの?」 「その薬を使うのはやめろ」  俺はパウルの持っていたジョッキをつかむ。  すると、パウルはむっとしながら、手を反対方向へと引っ張った。 「ちょっと、お兄ちゃんには関係ないでしょ? これは僕とルーシスさんの問題なの」 「少し成分を分析させてもらったが、その『自白剤』はまずい」  自白剤、という単語をわざと強調して告げる。パウルは顔を歪めた。 「え……勝手に中を覗いたの? ひどいよ……」  と、目に涙をにじませて、俺を睨む。健全な男が見れば守ってあげたくなるような、か弱い表情だ。  それが引き金となった。  次の瞬間、同時に2つのことが起こった。 「貴様……! パウルさんに何をする!」  1つめは激昂するロべリオが俺に、掴みかかってきたこと。  そして、2つめは…… 「パウル? 探してた資料は見つかった?」  資料室の扉が開く。  顔を出したのは、まさかのルーシスだった。なぜこのタイミングで……と、考える間もなく。  俺はロべリオに突き飛ばされる。  魔術師であるがゆえに、俺は体の方はあまり鍛えていない。体つきも平均より小柄だ。そのため、ぽーんと軽々とすっ飛んでしまった。  扉側へと向かって。勢いのあまり、パウルの持っていたジョッキを奪い取る形で。 「わっ」  目の前が回る。ばしゃあ、と液体が飛び散る音。  床に激突すると思って、俺は目をつぶる。しかし、体を包んだ衝撃は、想像に反して、やわらかいものだった。 「あいたたた……。クルト、大丈夫?」  ルーシスの声が聞こえる。なぜか俺の下側から。  ゆっくりと目を開くと、至近距離でルーシスと視線が交わった。俺はルーシスの体を下敷きにしていた。押し倒しているような状態だ。  視界が明瞭なのは、いつも目深にかぶっているフードが倒れた拍子に外れてしまったからだった。  何という体勢だ……。  じわじわと羞恥心が襲って来て、顔が熱くなるのがわかる。  そして、気付いた。俺の持っていたジョッキが空になっている。中身はどこに……?  ルーシスの顔が濡れてるんだけど、もしかして……?  パウルが俺たちの姿を見て、放心状態となっている。 「ほ、惚れ薬が……」  パウルの馬鹿野郎……。自分からネタばらしをしてどうするんだよ。  それは小さな声だったが、ルーシスは聞き洩らしてはくれなかった。 「……惚れ薬?」 「え、あ……」  パウルはハッとして、自分の失言に気付くが、もう遅い。  顔を青くさせて、慌てて弁解を始めた。 「そ、そうなの! 僕は止めようとしたんだけど、クルトお兄ちゃんがどうしてもこれをルーシスさんに飲ませたいって、言ってきかなくて!」 「なっ……」  なぜそこで俺に罪を着せる!  ロべリオが「え?」という顔をしていたが、パウルは軽く睨んで、彼を黙らせた。 「そうか……惚れ薬……。クルトが、俺に、ねえ……」  パウルの苦し紛れの嘘を、ルーシスは何の疑いもなく信じている……。  こいつはお人よし天然の塊だから、誰かの言葉を疑うなんて行為ができるわけがないが。  俺は弁解しようと思ったが、うまく言葉が出てこない。そうこうしているうちに、勝手に話が進んでしまう。 「ルーシスさん、大丈夫? もしかして今の、飲んじゃった? 効果が出ちゃったり……」 「ああ……少し飲んだけど。俺は、たいていの状態異常に耐性を持ってるから、効果は出ないと思うよ」  何気なくルーシスが告げる。  俺は心の底から安堵した。  よかった……! だって、もし効果が出てしまったとしたら、こいつが初めに見た人間は俺ということになってしまう。  ルーシスが俺に……なんてことを想像するだけで、ぞっとしてしまうからな。  安心して、俺はルーシスの上から降りようとした。  が。  なぜかルーシスがすばやく俺の腰に手を回して、がっちりホールド。 「えっ……」  いきなり動きを封じられて、俺は目を瞬かせる。 「何をしている……離してくれ」 「……綺麗だな」  ぼそりとルーシスが言った台詞。  それがいったい「何」に向けられた言葉なのか、俺はわからずに首を傾げた。  綺麗? 何を見て、言ったんだ? ルーシスの顔を見返すと、まっすぐな視線が俺を射抜く。 「クルト、何でいつもフードをかぶってるんだ? そうやって顔を見せている方がずっといいよ。そんなにかわいい顔をしているんだから」 「なっ……何を言っているんだ、お前は……?」 「あ。その顔もかわいい」 「はあ!?」  俺は酸欠でも起こしたかのように口をパクパクとさせてから、 「あ、頭でも打ったのか……?」 「俺はいたって正常だよ」  ルーシスは真面目な顔で言う。  真面目に――馬鹿としか思えないような、戯言を。 「恋している相手の顔がかわいく見えることは、普通のことだろ?」  唖然。  ルーシスの空色の目を見つめ返した。真摯で熱のこもった眼差しだった。俺は恥ずかしくなって、盛大に顔を逸らした。  そして―― 「しっかり薬が効いてるじゃないか!?」  いつもは出さないような声量で、叫んでしまった。  「チャームリリー」。別名、悪魔の薬。  こいつの怖いところは、飲んだ者が自分の変化に気付かないくらいごく自然に、恋心を植え付けてしまうというところだった。

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