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言えない一言
「俺、クルトから『好き』って言ってもらったことない」
「え……?」
突然、何を言い出すんだ。と、俺は面食らった。
夕暮れ時の大通り。で、買い物帰り。ルーシスが荷物を持ち、ついでに俺の手を離してくれないので、ずっと手を握っている。俺は恥ずかしさのあまり消えたくなりながら道を歩いていた。
「そんなはずは……」
一度くらいはあるだろう。
と、思い返してみたが、いくら記憶を掘り起こしても、確かにその類の言葉を口にしたことはなかった。「近寄るな」「話しかけるな」「放っておいてくれ」のような言葉なら、何度も言ったことあるけれど。
……途端に自分が薄情な人間に思えて来た。
俺は自分の感情を表に出すことが苦手だ。
その上、俺に好意を持たれて喜ぶ人間なんて、この世に存在しないと思っている。困らせてしまうどころか、「気持ち悪い」と思われるのが関の山――
「ちょっと待って」
と、ルーシスが俺の手を引っぱって、思考を中断してくる。
「今、何だか自虐的なことを考えてそうな気がしたから」
「う……」
なぜわかる……!?
俺は考えがあまり顔に出ないタイプと思っていたのだが。
なぜかルーシスといると、考えが全部読まれているのでは? と思うことが多々ある。これも勇者の能力なのか……? というか、考えが読めているのなら、俺の気持ちだってとっくにわかっていそうなもので、ということはわざわざ俺が口にしなくてもいいのでは?
「よくないよ」
ルーシスは眉をひそめて言った。
――やっぱり俺の考えを読んでやがる。
ちょっと怖い。
「俺、クルトの口から言ってもらいたいな」
「それは……その」
体温が上昇していくのがわかる。こそばゆさに耐えられなくなって、俺はフードを目深にかぶって、顔を隠した。
「……す…………」
その一言を口にしようとしただけで、心臓がドキドキとうるさい。
目の前がぐるぐるとしてきて、俺は眩暈を起こしそうになった。
「……こ、ここでは言いたくない……」
俺は逃げの一手を打つことにした。
というか、ここ外だし。大通りだから人目があるわけで。そんなところで、その一言を口にするなんて俺には敷居が高すぎる。
「そっか。うん、じゃあ、いいよ」
と、ルーシスが言ったので、ほっと胸をなで下ろしたのも束の間……。
「それなら後でお願いするから、ね?」
俺の手をぎゅっと握って、ルーシスはにこりとほほ笑んだ。
ルーシスの笑顔に少しだけ黒いものを感じて、
――やっぱりがんばれません!
って言って、今さら聞いてくれるだろうか……?
俺は頭を抱えながら、家までの重い一歩を踏み出した。
それからが、まあ、大変だった。
家に着くなり、「じゃあ、さっきの話……」とルーシスが言いかけたのを、「先にご飯にしよう」とかわして、夕飯中に「クルト、」と言いかけたところで、「今は、食べてるから」で振り切って。
もう自分でも、どうしようない悪あがきだとわかっている。でも、恥ずかしさに耐えきれずに、そうして逃げ回ってしまった。
その結果が、これである。
「もういい加減、いいよね?」
俺の対面で、ルーシスがにこっと笑う。事情を知らない人が見たら、その清らかすぎる笑みに涙を流して拝んでしまうかもしれない。
それくらい綺麗な笑顔なのだが。
俺にはそこに、何か黒いものがにじみ出ているようにしか思えなかった。
びくりと体を震わせて、俺は縮こまった。ルーシスのまっすぐな視線から逃れようと試みる。
いや、どうやったってもう逃げきれないのはわかってるんだけど!
なぜこんなになるまで放っておいたんだ、俺!!
夜、ベッドの上で、2人きりで、とか。
こんなシチュエーションで告白しろと? 無理すぎる。どうして、もっと早くに済ませておかなかったんだ。
そんなことを悔やんでももう遅い。
ええい、こうなればやけだ! 開き直って、言ってしまえ、俺!
「る、ルーシス……」
「うん?」
俺の呼びかけに、ルーシスはやわらかく首を傾げる。くそ、こういう仕草は憎らしいほどにかわいいな!
「だから、その……す、……す……」
「あ、もう『好き』じゃダメだから。ここは『愛してる』にしてくれる?」
「なんで!?」
そこでどうして、更に難易度を跳ね上げてくるんですかね!?
「クルトが逃げ回るからだよ。俺はちゃんとクルトのお願いを聞いて、我慢してたよね? じゃあ、クルトも俺のお願いを聞いてくれるべきだよね?」
最後の「ね?」でまた天使のような笑顔をにこり。
それは人を追い詰める笑顔だった……! ちょっと怖い……!
「う……」
頬が熱い。じゅーって、湯気でも立ちそうなくらいだ。あまりの熱さに目の前がくらくらしてきた。
ぷしゅうう、って頭から何かが抜けていくのがわかる。
「クルト?」
ルーシスが気遣わしげに俺の名を呼んで、手をとった。
「大丈夫?」
「う、その……、」
ああ、自分でも情けないのはわかってるけど。目の端に涙までにじんできた。こんな顔、見られたくない。だけど、風呂上がりだから軽装で、フードがない! あったら今すぐにでも目深にかぶって、内に閉じこもりたい気分だ。
俺が半ばパニックに陥っていると、ルーシスが吹き出した。
「わかった、わかった。ごめん。ちょっと意地悪を言ってみただけだよ」
と、背中に手を回されて、ぎゅっと抱きしめられる。あやすようにポンポンと撫でられた。
ああ、どうしてこいつの手はこんなに優しいのだろう。その胸は居心地がよすぎる。ずっとこうしていたいと思うくらいだ。
優しくよしよしとされて、俺は少しだけ落ち着いて、息を吐いた。
「その……ごめん……。俺は、こういうのに慣れてなくて……」
「うん、大丈夫。わかってるよ」
と、今度は頭をよしよしとされる。その感触が心地よくて、俺は目を細めた。
「これから少しずつ慣れていけばいいから」
「う、うん……」
ふわふわとした気持ちがあふれて止まらない。全身がそのふわふわに浸りきってしまった。未だにこの幸福感には慣れない……。俺なんかがこんなに幸せな気持ちになっても、許されるのだろうかと思ってしまう。
こいつと付き合うようになってから、こうして抱き合うのはもう何度目になるのかわからないくらいなのに。俺はその背を抱き返すこともできなくて、恐る恐る服をつかむのがせいいっぱいだ。それなのに、ルーシスがそれをとがめたことは一度もない。
こいつは本当に、優しいんだか、意地悪なんだか、よくわからない男だ……。
しばらくそうして静かに抱き合っていた。ルーシスがふいに俺の耳元で言った。
「じゃあ、クルトが早く慣れるように。俺がお手本を見せてあげるね」
「え?」
とびきり甘いささやきだったのに。
なぜか、お腹の奥が、ひゅんってした。
俺が本能的な危機感を覚え、その腕から逃げ出そうと……できるはずもなく! 更にぎゅうと力強く抱きしめられて、逃げ場なし!
耳元に唇を寄せられる。そして、甘すぎる声が告げる。
「俺はクルトが好きだよ」
「え……いや、あの」
「好き。ずっと好きだったんだ」
「る、ルーシス……っ」
「愛してるよ」
「もういい! もういいから!」
俺の必死な声は、目の前の男には届かず。顔を合わせて、にこりとほほ笑まれた。
「まだまだ全然。言い足りないよ。今までずっと我慢していた分、今日は全部受け取ってね」
「なっ……!?」
俺はぼふんと音が出そうなくらいに勢いよく、全身を赤く染めた。
誰だ、こいつに「光の勇者」なんて清らかな二つ名を付けた奴は!
確かに笑顔はかわいいし、表情や声からは糖度が多すぎるくらいに甘さがにじみ出てるけど……!
こいつの本性は、やっぱり悪魔なんじゃないか!?
俺は今までこういうことに恵まれてこなかったから。許容量が少ないんだ。だからそこに押しこまれるほどに幸福感を注がれたら、あふれて、辺りがびちゃびちゃになって、ダメになる。その甘さは、人によっては致死量の毒になることもあるのだと。こいつは理解してくれる気配がない。
もうすでに死にそうになっているというのに。夜はまだまだ長い。
俺は無事に明日の朝日を拝むことができるのだろうか……!
と、天を仰ぎたくなるような気持ちになった。
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