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第8話

 あれから数日が経った。  ルーシスは元に戻ったようだった。相変わらず、俺を見ると愛想よく笑いかけてくるし、たまにパーティに誘って来るけど、それだけだ。  俺だけに構っているわけではない。  ルーシスの周りはいつも人だかりができていたし、誰にでも優しく、明るく対応している。隣にはちゃっかりパウルが陣取って何だかんだと話しかけていた。  一方、俺は元の一人ぼっちに戻っていた。いや、前よりもギルド内での俺の評価は下がっていた。  俺がルーシスに惚れ薬を無理やり飲ませたという話はギルド内で広まったままだから、ルーシスのファンには恨まれっぱなしだ。  直接的な嫌がらせこそなかったものの、虫けらでも見るかのような視線が始終、突き刺さる。こそこそと叩かれる陰口は止まなかった。  そして、その日。  ギルドを後にしようとした俺は、入口で図体のデカい男に絡まれた。 「よぅ……あんたに話があるんだ。表に出てもらおうか?」  と、数人の男たちが俺の前に立ち塞がる。  どいつも見覚えがある。俺を裏通りに連れこんで、リンチにかけようとしてきた連中だ。その後ろでは、冒険者の女がにやにやと俺を見ていた。前にルーシスを飲みに誘おうとしていた女だ。  男たちの顔を見上げる。心が不思議なほどに冷え切っていた。  ああ、もうどうでもいいか……。ぼんやりとそう思う。  心にぽっかりと穴が空いてしまったかのようだった。もう痛いのも苦しいのも、全部、あふれて零れ落ちてしまっていて、後には何も残っていない。  呆然としながら、俺が男たちに誘われて、外へと出ようとした。  その時だ。  横から伸びた手が、男の腕をつかんだ。 「……クルトに、何の用?」  冷静な声に、俺の心臓が跳ねた。  もうこれ以上の苦しいことは起きないと思っていたのに……何でだよ。何でここでルーシスが口を挟んでくるんだよ。  歪んだ目元を誰にも見られないように、俺はフードをぎゅっと引っぱった。 「ルーシス……! いや、これは……俺たちは、こいつと話があるだけだからさ」 「そうそう、ちょっとここではできない話をな……」  いきなり現れたルーシスに、男たちはしどろもどろになる。ルーシスは鋭い眼差しで彼らを見据えている。  すると、パウルがやって来て、機嫌よさそうにルーシスの腕に抱き着いた。 「ルーシスさん、放っておきなよ♪ その人たち、お兄ちゃんのお友達だよ~」  ルーシスが横目でパウルを見る。  次の瞬間、信じられないようなことが起こった。 「うるさい。お前には聞いてない」  ぞんざいな台詞と共に、ルーシスがパウルの手を振り払う。パウルはよろめいて、後ろのテーブルにぶつかった。  周りの温度が急低下する。  それほどの冷めた声だったのだ。 「え……? あれ……?」  信じられないといった様子で、パウルは目をぱちくりさせる。  そして、呆然とルーシスを見返した。 「ねえ……嘘でしょ……? ルーシスさん、僕のことをどうしての?」  混乱しているのか、とんでもないことを口走った。 「ああ……」  ルーシスは静かに笑った。どこか含みのある笑みだった。 「もしかして、また俺に薬を盛ろうとした?」 「だって……だって、お兄ちゃんの時はあんなに効果があったから……だから……!」  と、目じりに涙をにじませながら、パウルが叫ぶ。  パウルたちが先ほどまで座っていたテーブルに視線を向ける。そこには空になったジョッキが置いてあった。  そこで俺は理解した。パウルはまた『チャームリリー』をルーシスに飲ませたんだ。でも、それならどうしてルーシスはいつも通りでいるんだ……?  ルーシスとパウルのやりとりで、周りがざわめき始める。 「どういうこと……? またって……。ルーシスさんに無理やり惚れ薬を飲ませたのは、黒い方だったんじゃないの?」 「おいパウル、ルーシスに薬を盛ろうとしたって、どういうことだ」  周りから懐疑的な目を向けられて、パウルは青くなる。 「ち、ちがうよ! 僕のせいじゃない! 全部、お兄ちゃんが……!」 「あの……」  そこで控えめな手が上がる。  パウルの取り巻きの1人、ロべリオだった。 「それが前回……惚れ薬を用意してルーシスさんに飲ませようとしていたのは、パウルさんの方なんです……クルトさんはむしろ止めようとしていて……」 「ロべリオ! 何で言うの!?」  パウルの台詞が決定打となった。周りは一斉にパウルに冷めきった視線を向ける。 「全部、兄貴のせいにしてたってわけか……」 「じゃあ、お前が流していたアイツの悪い噂は……? それも全部、嘘か?」 「最低……」 「ち、ちがうよ……! 僕……僕じゃない!」  数人に詰め寄られて、パウルは大量の汗を流す。助けを求めるように視線をさ迷わせるが、なぜかギルド内に大量にいたはずのパウルの取り巻きたちは気まずそうに目を逸らすだけだった。  そちらの様子を歯牙にもかけず、ルーシスが俺の腕をとって歩き出す。俺は足をもつれさせながら、引っ張られた。 「待ってよ、ルーシスさん!」  すがるようにパウルが叫ぶ。 「何で薬の効果が出てないの? 何で僕のこと好きにならないの?」 「何でって……」  答える声は、どこか酷薄な響きを含んでいた。 「俺が、お前みたいな性悪を好きになるはずがないだろ?」 「なっ……」  パウルは唖然としたのちに、魂が抜けたようにその場にへたりこんだ。  ルーシスは俺を連れたままギルドを後にした。俺は放心して、引っ張られるがままだ。  途中で我に返って、 「ルーシス! ルーシス……!」  後ろから必死に声をかける。 「どういうことだ……? パウルにまた薬を飲まされたんじゃないのか? だって、前の時はあんなに効果が出て……」  何でこいつはこんなに落ち着いているんだ?  俺の時は、あれほどおかしくなっていたのに……。  ルーシスはぴたりと足を止める。 「あれ、初めに言わなかったっけ?」  返って来たのは、いつも通りの呑気そうな言葉。  それなのに、その声はいつもとちがって飄々としている。  振り返ったルーシスは、すうっと目を細めた。 「俺、耐性があるから、あの手の薬はんだよね」  俺は固まった。  目の前の『光の勇者』が。お人よしで能天気だと信じこんでいた男が。見たこともない意地悪そうな表情を浮かべていたからだ。  その時、俺はすべての真実に気付いた。  まさか、こいつは最初から……? 「な……何でそんなことを……」  俺は呆然として、聞き返した。  嬉しさよりも、悪い想像ばかりが頭を駆けめぐる。  こちらの好意に気付いて、俺をからかうためか?  それとも、俺が落ちるかどうか、誰かと賭けていたとか?  最悪な想像ばかり湧き出てきて、胃の辺りが気持ち悪くなった。目の前がぐるぐるしてくる。  ルーシスがゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。た、叩かれる? 瞬間的に恐怖を感じてしまって、俺は目をつぶった。しかし、俺を包んだのは温かな感触だった。  目深にかぶっていたフードを外されて、頬を掌で優しく包まれる。  恐る恐る目を開くと。  ルーシスは熱のこもった視線で俺を見つめていた。 「前から好きなんだよ……。クルトのこと」 「え? ……なっ……は……?」  何を言われたのかわからなかった。言葉の意味が浸透するのに数秒。まっすぐな視線に気恥ずかしくなる。  次の瞬間、体全体が沸騰してしまったのかと思うほど、一気に発熱した。ぼん、と音が出るほどに顔が赤くなって、頭からは湯気まで出てるんじゃないかというくらい。  あまりの熱さに、呼吸の仕方まで忘れてしまった。 「騙すようなことをして、ごめん。でも、俺はクルトに避けられていたみたいだから……。近づくためにいいチャンスだと思ったんだ」  そう言いながら、ルーシスは俺の手をとり、その場に跪いた。 「本当に、好きなんだ……。だから、俺と付き合ってほしい」  全身の血が暴れ回って、このまま爆発でもしてしまいそうだ。  また都合のいい夢でも見てるんだろうか……?  でも、夢ならこんなに心臓がばくばく言わない。握られた手の感触がこんなにはっきりしているわけない。こんなに胸がぎゅっと苦しくなることもない。  あまりの出来事に俺がすっかりと目を回してると、 「ねえ、あれルーシスじゃない?」 「本当だ……何? こんなところで公開告白?」  その言葉で俺はハッとした。  ここ、外だった! しかも、街中の広場まで来ていた。通りかかった住人たちがじっとこちらを凝視している。  多くの視線にさらされていることを意識すると、急に怖くなった。 「お……俺なんかじゃ……」  手を引っこめようとすると。 「相手の子は誰? 見たことない顔だけど……」 「この街にあんなにかわいい子、いたか?」 「すげータイプ……」  え!? 何だ、その反応は! あ、そういえばフードが外れていた。  慌てて周りを見渡すと、意外にも温かな視線が俺たちを取り囲んでいる。  本当に……いいんだろうか……?  俺が、この手を握り返しても……。  望んでも、いいのだろうか。 「俺はクルトがいい。それとも、俺じゃダメかな……?」  ルーシスが小首を傾げて、切なそうに目を細める。  子犬めいたかわいさに完全ノックアウトされた。 「…………だ……ダメじゃ、ない……です……」  絞り出した小さな声。  同時に、手を恐々と握り返した。 「クルト……! ありがとう」  ルーシスが立ち上がって、そのまま俺を抱きしめる。 『おお!』  小さく歓声が沸いた。ぱちぱちと拍手の音まで聞こえてくる。 「おめでとう!」 「よかったね! 幸せに!」  夢みたいな祝福の声が聞こえてくる。  じわじわと暖かいものが胸を満たして、包み込んでいった。何だろう、これは、と少し考えて、答えが出た。  ああ、そうか。これは幸福感だ。今までの人生の中で、こんな気持ちになったことは初めてだった。  全身が痺れたようになって、涙までにじんできた。  ぼんやりとしながら、俺はルーシスの服をつかむ。  と、そこで気付いた。 「ま、待て……惚れ薬が効いていた間のことがすべて演技だったなら……その後のことは、どういうつもりだ。なぜ、忘れたふりをする必要まである……?」  ルーシスに忘れられたと思って、俺がこの数日間、どんな気持ちで過ごしていたか、わかっているのだろうか。  それだったら、体の関係を持った時にでも真実を教えてくれればよかったのでは……? 「ん?」  ルーシスはすっとぼけた様子で首を傾げる。それから、にっこりと笑った。 「クルトにそうして欲しいと頼まれたからもあるけど」  と、ルーシスは俺を力強く抱きしめる。  そして、聖者のような笑顔を浮かべたまま、悪魔のようなささやきを俺の耳に吹き込んだ。 「俺に忘れられたと思って、寂しそうにするクルトの姿も、かわいかったよ」 「なぁ――ッ」  顔が一気に熱くなっていくのがわかる。  俺が惚れてしまった『光の勇者』は。  どこまでも清いと見せかけて。  実際は、なかなかにいい性格の持ち主らしい。 『嫌われ黒魔術師は、光の勇者に惚れられる』終

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