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第10話

「帰れ」  言い訳を口にする前に、そう言い放たれると、俺自身の余計なお節介だという事を重々承知な上で、反抗心が湧き上がってきた。一方的であれど、気にして来たのに、たったの三文字で終わりだなんて、納得がいかなかない。 「どうせ良心の呵責なんだろうけど、帰れ」  俺は再び開けた口を、言葉を一つも放てないまま閉じた。彼の言う通り、今ここに居るのは気遣いと言う薄いベールを被せた、ただの利己主義。ただ、いつもに戻りたいという、己に忠実で利己的な本心を守る為の行動に過ぎない。 「あと、東と関わらない方が良いぞ」 「え?」 「まあ、もう無理だろうけど」  そう言いながら、志村は教室の隅に投げ捨てるように置かれている通学鞄を拾い上げた。  突然出て来た「東」という単語に、「恐怖」と言う文字が重なる。心臓をじっくりと握り込まれ、潰される瞬間まで締め上げられるような感覚が襲い掛かってきた。 「あいつはもうお前の事気に入ったから」 「は? 何言って……」  声が震えてうまく言葉が出せず、舌が滑る。こめかみ辺りで不協和音のような物が響いて、頭痛がする。 「あいつ、頭おかしいから」  そんなのは知ってる。  志村は肩に鞄を掛けると、もう一度俺を見下ろした。冷え切った青い双眸が、月の鈍い光を受けて、冷え冷えと凍てつき鋭利に研ぎ澄まされている。目の前の志村、そして内側から侵食するような、絡みついてくるような東の眼差しに、俺の唇が震え出した。 「伊波、お前……」  そう言いながら彼が一歩近寄る。俺はその分後退る。一歩二歩、ずりずり、と俺はその分距離を取った。そうしている内に、窓際まで追い詰められると、俺は浅くなる呼吸に縋るように、胸を抑えた。 「顔が青い」  そう言いながらしゃがみ込んだ志村の指先が頬に触れると、俺は力強く目を閉じた。目の端が痛くなる程強く目を瞑り、俯くと、 「伊波」  そう呼ばれ、志村の指先が俺の顎を持ち上げる。思わず目を開くと、彼の曇りない程真っ直ぐな眼差しにぶつかる。  恐怖がはっきりとした手触りを持って、俺の胸の奥底に落ちてくる。その瞬間、東の先の読めない笑みが、志村の凍てつく眼差しが、頭と胸の奥深くに沈めたはずの記憶の蓋をこじ開ける。  不愉快。  痛い。  怖い。  痛い、怖い、痛い怖い痛い怖い、痛い怖い怖い怖い。 「やめっ、触るな!」  俺は手を振り払った。けれど、あいつは笑った。あいつは笑いながら、コマンドを呟いた。身体の根底を支える自身が破壊される感覚。打ち砕かれた自尊心と、残された傷が、痛い。痛い痛いたいいたい痛い痛い。 「やだ、やめ……」 「伊波、おい」  伊波。おい。伊波。ニール。伊波、プレゼント。  ――良い眺めだ、もっと差し出せよ。伊波。 「伊波!」  鼓膜を劈く怒号に、身体がぶるりと震える。  我に返ると、そこには瞠目して俺を見つめる志村がいた。まだ雲に隠れないままの月明かりが、はっきりと彼の戸惑いを浮かび上がらせている。志村は俺の両頬を覆いながら、小さく伊波、と呟いた。しっかりとした親指の腹が、俺の頬を撫でると、湿ったものが頬に広がる。  俺は、いつの間にか泣いていた。 「……しっかりしろ」 「あ、ぅ……」  情けない呻きが喉から零れ、けれど、他に言葉を紡ぎようもなく、ただ零れそうな酸素を喉の奥に押し込めて、せり上がる喉の痛みを堪えた。 「伊波」  呼ばれていつの間にか下がっていた視線を上げる。ゆっくりと、彼の顎、唇、鼻先……と、丁寧に辿り、彼の青い眼差しを見つめた。 「……スイッチ」  ――え。

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