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第9話
不意に背に投げつけられた声に、身体が大きく震える。俺は慌てて振り返ると、思わず体制を崩して、その場に尻餅をついた。すぐ真後ろにいたそいつの上履きが、半歩俺へと近づく。
ゆっくりと顔を上げて、その月も星もない、明かりの乏しい闇の中でうっすらと見えてくる顔のおうとつに潜む陰影を追いかけた。彼は俺の顔を見るなり、しっかりとした眉の間に深い溝を刻み、明らかな敵意のこもる眼差しで、俺を睨み据えた。その眼光に、思わず身体が竦み、筋肉が硬直する。
どうして、こいつは、サブのはずなのに。
体中に張り巡らされた操り糸を締め上げるような、自由を奪う緊張感は、東の放つそれに似ている。いわゆる、ドムの放つグレイだ。
しかし、彼は違う。ドムじゃない。
「何してんだよ」
「あ、ぁ……」
理由を話そうにも、奪われた力にそんな気力は残っておらず、俺は言葉になり損ねた声を、ただ垂れ流すだけの壊れた機械のようになっていた。
怖い、怖い怖い、逃げたい。
何処からともなく湧き上がってくる恐怖心に、生理的な涙が浮かんでくる。
――志村。
「あ、悪い」
俺の様子を察したのか、志村は何かに気付いたように、はっと眉間の皺を解くと、その眼光から放たれる目に見えない力を身体の奥底へと引っ込めた。その瞬間、喉に詰まっていた何かが消え去り、一気に肺に酸素が雪崩れ込む。突然消えた圧力と、ようやく供給された酸素に、心臓がばくばくと激しく脈打ち、思わず咽て、俺は激しく咳き込んだ。
両手を床に突いて、肺の奥で突っ掛かっているそれを取り除こうと、大きな咳を繰り返す。じわりと滲んだ涙が零れて、唇の端から唾液が滴った。無様なんてものじゃない、屈辱なんてものじゃない。ただ、意味が分からなかった。志村から放たれたそれらしい気配。そして、その強力さは、明らかに東を陵駕していた。その事実全てが混沌と脳裏を不快にめぐっては、俺を圧倒する。
あいつはサブじゃなかった?
何度か深呼吸をしていると、何か温かいものが俺の丸めた背中を行き来する。志村の手だ。
「大丈夫か?」
そう声を掛けられた瞬間、俺はその手を撥ね退けて、立ち上がる事ができないまま、後退る。しゃがみ込んでいた志村が、表情の読めない眼差しで俺を見つめていた。目の前に差し出された獲物の狩り方を、吟味しているような色さえ宿っていた。
「お前、何……? なんで」
そう問いかけると、背後の窓の外で、雲が流れたのか、ゆっくりと月明かりが差し込んでくる。板張りの木目を照らし、上履きの足元、制服のズボンの皺、それら全てがはっきりと、克明に夜の縁で明らかになって行く。
やがて月明かりは志村の顔を照らした。いつも目を逸らしていたせいか、はっきりと顔を見るのは初めてかもしれない。筆先ですっと描いたような鼻梁に、小さな小鼻。尖りのある顎に、何より印象的な堀の深い、整ったアーモンド形の双眸。髪型こそやぼったいものを感じる黒髪だし、今は傷つき赤く腫れている口元や額が痛々しいが、それを差し引いても、彼は精悍で整った顔立ちをしている。
初めて認識する志村の存在感に、圧倒されていると、
「伊波、どうしてここにいる」
低く唸るように、志村が呟いた。
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