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第1話 運命の出会いは嵐の中で (1/2)

 フォルトゥーナの森で、リオは、突然の雨に降られた。とどろく雷鳴が鼓膜を震わせる。耳を抑える隙もないまま、稲光が目を焼く。大粒の雨が、薄い上着一枚だけの彼の体を容赦なく叩く。 「雨に打たれて痛いなんて、初めてだよ……」  冷えた二の腕をさすりながら彼は(ひと)()ちる。緩く波打ち、頬を隠す長さのある緑色の髪は、既にたっぷりと雨水を含んで重い。前髪の下から不安げに空を見上げる大きな瞳もエメラルドのような鮮やかな緑色だ。  雨脚が弱まり視界が良くなるや、少しでも雨を避けられそうな場所がないか、薄暗い中に目を凝らす。明かりは付いていないが、小屋のようなものが見えた。雷がやんだ瞬間、入り口に突進し体当たりすると、あっさり扉は開き、したたかに床に肩を打ち付けた。痛みに彼は呻いたが、小屋の中は乾いており、雨風はしのげそうだ。真っ暗で詳しくは分からないが穀物倉庫らしい。床には空の袋も落ちている。匂いで何の穀物かを当てようとしたが、鼻が全く利かない。風邪を引きかけているようだ。  リオは諦めて身体に張り付いた衣服をどうにか脱ぎ、下着の上から、空の麻袋を履いた。ちくちくした硬い手触りだが温かい。壁にもたれて座り込むと、森の中での雨宿りよりも遥かに快適で、彼は安堵の溜め息を漏らした。  今日は他の貴族たちと狩りに来ていた。狩猟は、貴族にとってスポーツであると同時に社交だ。リオの狩猟服にも、繊細で美しい刺繍が施されている。本来丁寧に扱わなければいけないのだが、今は早く乾かしたい。生地や刺繍を傷めない程度に服を絞った。  ひと心地付いた頃には、外は真っ暗になっていた。なおも吹き荒れている嵐に、ここで夜を明かす覚悟をリオが決めた瞬間、扉が激しい音を立てて開き、何者かが小屋に入ってきた。リオ同様、勢いよく扉に体当たりして、床に叩きつけられたのだろう。倒れ込んだ音は重く、呻き声も低い。真っ暗で相手の姿は見えないが、きっと大人の男性だ。リオは緊張に身を(すく)めた。 「……誰かいるのか」  低く押し殺した声で呟き、男は足音を立てず近付いてくる。 「いるなら、いると言え。何も答えなければ、敵とみなすぞ」 「い、います! ここに。雨宿りしたくて、この小屋に入っただけなんです!」  慌てて答えたリオの声は、緊張で上擦った。リオは軍役につき、戦場で実際に戦った経験もある。武芸のたしなみから、目の前の男が放つ殺気が尋常ではないことに気付いた。 「なぜ、こんな山奥にいた?」  リオの怯えは男に伝わったようだ。少し口調が優しくなった。最初の一声で、リオが『ならず者』ではないと踏んだのだろう。 「……(きのこ)を取りに来たんです」  身分を明かすのは危険かもしれない。とっさに農民のふりをすると、男の気配は明らかに和らいだ。 「そうか。この辺は、あまり人が寄り付かないから、茸も多いかもしれないな」 「あなたは何をしていたのですか?」 「俺は猟師で、この辺を管理している」  おずおずと尋ねたリオに、男は静かに答えた。軍人らしく訓練された動きや、威厳のある物腰は、ずっと猟師をしていたとは思えない。軍役経験者だろうかと、リオは推測した。退役した後の平民が猟師を営むことはよくある。しかも、ここは王家直轄の狩り場だ。その管理者ともなれば、軍で功労のあった人物だろう。 「脅かして、悪かった」  男は素直に謝った。ぽた、ぽた。静けさの中に、彼の身体から垂れる水滴の音が響く。直後に、彼は盛大なくしゃみをした。 「ここに空の穀物袋があります。服を脱いで、下着の上から袋を着ると、かなり温かいですよ。そっちに放ります。もし良かったら」  リオは余っていた袋を手に取り、くしゃみのした方向に放り投げた。ごそごそ服を脱ぐような音がする。 「ほんとだ! あったかいな、これ! ありがとう。……えーっと」  嬉しそうな無邪気な声に、リオもつられて微笑みながら答えた。 「リオと言います」 「ありがとう、リオ。俺は、アーロンだ」  アーロンは、リオから少し距離を置いて床に座った。彼も、ずず、と鼻をすすっている。 「元はと言えば、俺が後から入って来たのに、凄んだりして悪かった」 「いえ、良いですよ。でも、こんな天気です。ここはノアの方舟だと思って、嵐が過ぎるまで平和に待ちませんか? 私たちは、この時代の人々の中で、主の前で正しい人である」  リオが教典の言葉を(そら)んじると、アーロンは驚きの声をあげた。 「『創世記』第七章。リオ、学があるんだなぁ」 「そうですか? 司教様に教わったんです」 「あぁ、なるほど」  束の間、山小屋には沈黙が訪れた。不思議なほど心は凪いでおり、心地良かった。少し離れて座っているアーロンからも、さっきまで放たれていた物騒な殺気はなりをひそめ、むしろ温かみのある静けさが漂っている。  沈黙を破ったのは、アーロンの意外な提案だった。 「なぁ、リオ。ちょっと話でもしないか? しばらくここから出られそうにないし」 「ええ、いいですよ」  戸惑いつつ了承すると、アーロンは、なぜか少し照れくさそうに訊いてきた。 「リオ、年齢(とし)幾つ?」 「二十歳(はたち)です」 「うおっ、俺と同い年じゃん!」 「ええっ?」 「何だよ。俺が二十歳じゃ悪いかよ?」  拗ねたような口振りだが、同い年と分かって、アーロンは嬉しそうだ。 「だって、小屋に入って来た時、すごく怖かったから。てっきり、もっと大人なのかと」 「リオ、最初ビクビクしてたもんな」  くつくつと忍び笑いをしているアーロンに、リオは少しムッとして言い返した。 「当たり前じゃないか! 一人静かに雨宿りしてたのに、突然大男が押し入ってきて、今にも僕を殺しそうな勢いで脅すんだもの」 「ごめん。俺も、まさか人がいると思わなかったから、びっくりしたんだよ。でも、なんで大男って分かった? 俺には全くリオの姿が見えないんだけど」 「僕は床に座ってたけど、声が、ずいぶん上のほうから聞こえたから。背が高いんだろうなって」 「百八十五センチあるよ。リオは?」 「……百七十五センチ」  実際は百七十センチくらいだが、少しさばを読んだ。迫力で負けているうえ体格でも圧倒され、何となく悔しかったからだ。それに、貴族の男子としては小柄で細身の体形は、密かなコンプレックスだった。

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