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第6話 嵐を呼ぶ男

 会社からいつものように帰宅すると、中年の男が一人、玄関先に立っていた。 温厚そうだがちょっとくたびれた感じのオヤジだ。 手に菓子折りを持っている。 俺の姿を認めると、 「こんばんは。」と声をかけてきた。 誰だろう、といぶかしげに思いながら俺も挨拶を返す。 「あの、どちらさまでしょう。なにか…?」 少なくとも近所の人ではない。 「ああ、近くに来たついでに、線香でも上げさせてもらおうかなって思って立ち寄ったんですけれどね。いやあ、いつもこんなに遅いお帰りですか?」 と言うことは、たぶん親父の知り合いか。 わざわざ尋ねてくれたのに、だいぶ待たせてしまったのだろう、と少し申し訳ない気持ちになる。 「すみません、ちょうどこの時期は忙しくて…。どうぞお入りください、両親も喜びます。」 俺は男を家へ上げた。 「裕樹君はまだお帰りにならないのですか?」 男は仏壇に手を合わせ、俺の出したお茶を啜りながら尋ねてきた。 「ああ、あの子は俺よりも帰りが遅いんですよ。こんな遅い時間にお待たせして申し訳ないです。」 そう言いながら、俺は目の前の客に、できるなら裕樹には会わずに帰ってもらいたいと思っていた。 相手はけっこういい歳したオヤジだ、 知り合いの息子がいきなりギャルの恰好をして現れた日には、相当なショックを受けるに違いない。 「兄弟で一緒に暮らしているわけですね。」 「ええ、そうですが。」 「あなたはお兄さんの、洋介さんですね?たしか瀬戸隆之さんのお友だちでもいらっしゃいましたよね。」 会話がどうも変だ、嚼み合っていない。 「裕樹さんに2、3確認したいことがあるんですよ。お兄さん、夜分で恐れ入りますが、もうしばらく待たせていただきます。」 「あの、すみませんが、両親とはどういうおつきあい…」 「まったく面識ありません。」 なんだと? 「だってあんた、線香あげに来たって…」 「ああ、言いましたよ。部屋に上がる口実です。まったく不用心ですよ。最近は男性だって油断できない世の中なんですからね。」 人を騙した上に、なんと説教まで垂れ始める。 「何なんですか、あんたは?!」 「申し送れました、私は県警に勤めております、上杉と申します。用件は先ほども申し上げた通り、弟さんに確認したいことがあるんですよ。まあ、勤務時間外ではありますが。」 黒い警察手帳を目の前に突き付けられる。まるで安っぽいドラマのようだ。 なんてことだ、裕樹はいったい何をやらかしたんだ、結婚詐欺で男でも騙くらかしのだろうか?! 俺は頭が真っ白になる。 警察はイヤだ、俺は数年前に隆之が連れていかれたことを思い出す。 この上今度は弟まで俺から取り上げる気なのか? いやだ。 裕樹を匿わなくては。どうやってこのオヤジを誤魔化そう。 男が温厚そうなのは最初の印象だけで、よくよく見れば目なんてちっとも笑ってない。 ものすごく鋭い眼差しだ。  とその時、そんな俺の緊張感を粉砕するように玄関の鍵を開ける音が聞こた。 「たっだいま〜♪」としたたかに酔いのまわった裕樹が、現れる。 最悪だ。 「ねえねえ、誰?お客さま〜?」 上杉はちょっと驚いたように目を見張る。 「あ…ガールフレンドですか?もしかして一緒に暮らしてるとか…」 いかにも水商売風な裕樹の外見では、さすがに『妻』に間違えられることはないようだ。 どうやら上杉は裕樹がオカマになったことは知らないらしい。 「ええ、そうなんです。彼女も帰ってきたことだし、今日はどうかお引き取りを…」 慌てて答える俺を嘲笑うかのごとく、 「え〜、ガールフレンドだって〜、ぎゃはははははっ。」 ヨッパライ裕樹が陽気に言い放つ。 「どうも、上杉と申します。今日は洋介さんではなく、弟の裕樹さんに用事があってお邪魔したのですが……。」 そうだ、邪魔邪魔。さっさと帰ってくれ。 「え〜、俺に何の用?」 俺の願いは、酔っぱらい裕樹の前で虚しく崩れ去る。 「いや、だから弟さんの方に…」 「上杉さん!!!今日はお引き取りねがいま…」 「弟の裕樹で〜す。うふん、御用件はなにかしら?」 裕樹〜〜。 俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込む。 「ですから、用があるのは後藤裕樹さんです、ここの家の次男の。」 「だ〜か〜ら〜、俺が弟の裕樹だって言ってんだろ〜。」 「しかし君は、その、女、お、おとこっ?」 鳩が豆鉄砲でも喰らったような顔つきの上杉を、面白そうににやにやと見やる裕樹は、まるで悪魔だ。 「なんならチンコ見せたろか?」 もう勝手にしてくれ。 この日後藤家を直撃した台風は戦後最大レベルのものであり、後藤家は崩壊寸前となったのだった。

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