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第5話 思い出のプーさん

 穏やかな日々が続いていた。 裕樹は相変わらず身勝手に振舞っていたが、俺はそのことに一々腹を立てるのはやめた。 思えば裕樹の気紛れは今に始まったことではない。 かつて一緒に暮らしていた時、俺たちはそれなりに上手くいっていた。 なにかと拗ねたりいじけてみせたりする裕樹を、案外可愛く思ったりしたものだ。 自分の兄バカぶりを今さらになって思い出す。 良く考えてみると、裕樹は何一つ変わってないのかもしれない。 たとえ外見が女になっても、だ。 いや、変わってしまったのはむしろ俺の方だ。 仕事にかまけて、いつの間にか裕樹のことを思い遣ることを忘れ、苛ついた気持ちを裕樹にぶつけることしかしなくなっていた。 昔に戻れたらいいのに、と思った。 もちろん両親が揃っていた頃の、無邪気な兄弟に戻れるはずなどない。 だが、せめてこのギクシャクとした空気はどうにか変えたかった。  ある時、ふと立ち寄った店先で、俺は懐かしいものを見つけた。 くまのプーさんのぬいぐるみ。 子どもの頃裕樹は一人で寝ることができなかった。 俺がいつも添い寝していたが、俺が中学生になる頃には、勉強やらなんやらでいつまでも一緒に寝てやるわけにもいかず、寂しい思いをしないようにと買ってやったのだった。 裕樹はそれをえらく気にいってくれたのだったが、やがて自ら手放した。 俺たちの両親が死んだ時だ。 裕樹は、母親が安心して眠れるように、と棺にぬいぐるみを入れた。 それは、裕樹の子ども時代との決別だった。 深夜遅く帰宅した裕樹は、ソファの上に寝そべるプーさんを見て、一瞬目を見張った。 「これ……」 「ああ……いや、その。」 相変わらずぎこちない会話。 よく考えると、裕樹はもう成人男子(とは言い難いけれど違いない)なのだ。 今さらこんなもの、喜ぶかどうか分からない。 というよりハタチ過ぎてくまのぬいぐるみが許されるのは、某フィギュアスケート選手くらいなものだろう。 しばらく沈黙が続く。 俺の行為は反って裕樹を白けさせただけかもしれない、と危ぶんだ時だった。 「覚えててくれたんだ……。」 裕樹の表情がふっと綻ぶ。 「つーか、店で見つけて思い出した。でも、良く考えるとお前もうガキじゃないし、俺、つい懐かしくて買ってきちゃったけど……。」 「……ありがと。」 裕樹はプ−さんをぎゅっと抱きしめながら、小さく呟いた。 バービー人形みたいな顔でぬいぐるみを抱き締める姿は、犯罪的な可愛らしさだ。 落ち着け、と自分に言い聞かせる。 あれは男だ、弟なのだ。 「ね、洋介、今度いつお墓参りにいくの?」 裕樹が首をかしげて尋ねてくる。 両親の墓参り、そう言えば久しく行っていなかった。 俺は薄情な息子だ。 「ああ、行こう行こうと思いながら、なんかずっと行ってないな。近いうちに絶対行く。」 「俺も一緒に行っていい?」 「当たり前だろ、二人とも喜ぶよ。」 「ほんと?そう思う?」 裕樹が俯き加減に尋ねてくる。 「俺のこんな姿見たら、二人ともすごく哀しんだりしないかな。」 プーさんの毛並みに顔を埋めて頼りなげに呟く。 息子がオカマになったのだ、生きていればさぞかしショックを受けたことだろう。 だが、どんな姿をしていても裕樹は裕樹だ。 両親はきっと分かってくれる。案外天国で笑って見守ってくれているかもしれない。 「大丈夫だよ。お前の元気な姿を見れれば、二人ともそれだけでうれしいはずだよ。」 「…うん……」 二人で墓参りに行く約束をし、俺は心が軽くなるような気がした。 失くしてしまったものが戻ってくるような感覚。 俺は裕樹が部屋に戻ったあと、隆之に電話をかけた。 俺と裕樹の間のわだかまりが融けつつあることに、隆之は素直に喜んでくれる。 隆之は今、大阪にいるらしい。 「なあ、次に帰ってくるのはいつだよ?」 「明後日帰るけど、半日休んですぐまた出発なんだ。ゆっくりできるのは来週の半ばくらいかな。」 「さっさと帰ってこいよ。3人でメシでも食おうぜ、昔みたいに。」 俺は隆之に会いたくてたまらなかった。 隆之、裕樹——一度は俺から離れていった大切なものが、一つずつ自分の許に戻ってきたような気持ちだった。 わくわくするのとは違うけれど、心の奥底からゆっくりと暖かさが広まり満たされていくような感覚。 こんな日々がいつまでも続けばいいのに、と思った。 もちろん俺のそんな考えは甘いもので、それは嵐の前の静けさに過ぎなかったのだけれど。

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