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第11話 月明りの照らす道
なんとも言えない温もりに包まれ、俺はフワフワと揺れている。
暖かい……余りの心地よさに、俺はしばらく夢見心地でぼんやりしていた。
ぼそぼそと聞き覚えのある声がする。
やがて意識がはっきりしてくると、自分が誰かの背中におんぶされていることに気づいた。
げ!
広い背中、微かな汗と煙草の匂い。
隆之だ。
「ほんと助かったよ、こっちに帰ってきてて。」
おまけに一緒に歩いているのは裕樹だ。
どういうわけだ?
隆之と裕樹が上手く行くように取りはからうことが、俺にできる唯一の償いだというのに、これじゃ二人の荷物になっているとしか思えない。
俺は気まずくなって、そのまま狸寝入りを決め込んだ。
「本当は昨日帰ってくるはずだったんだ。それが積み荷のトラブルの上に、あの玉突き事故だろ。参ったよ。」
隆之は仕事で少し疲れているようだった。
「酔っぱらって高いびきなんて、もう子供みたい。」
「ま、でも何ごともなくて良かったよ。こいつ酔っぱらうと妙に色っぽくなるし、しかも自分じゃさっぱり分かってないし。」
「ほーんと。俺の気持ちも隆之さんの気持ちもぜんっぜん分かってなかったんだよ。しかもあんなバカオンナに引っかかったりするし、真壁さんみたいなのに付け入るスキを見せたりするし…。」
「いまどき珍しいよな、ここまで鈍いのって。」
「もう、絶滅寸前のレッドゾーンアニマルってやつ?!」
こいつら、人が眠ってると思って言いたい放題……。
ふわりとした甘い香りとともに、優しい手つきで髪が撫でられる。
大きくてごつい隆之の手ではない。
もっと華奢で女のような……裕樹の手だ。
「無邪気な顏しちゃってさー。これだけみんなをやきもきさせて、自覚ないよね。」
「よく『魔性の女』とか言うだろ。アレって、確信犯的フェロモン全開な女よりも、むしろこういう天然で自分がフェロモン撒き散らしてるの気づいていないタイプなのかもな。」
「『確信犯的フェロモン全開』ってアタシのことかしら?」
絡む裕樹に、隆之はただ黙って笑ってる。
なんか良く分からないけれど、どうも二人の会話を聞いていると、俺はそんなに鈍くて天然でエロくて魔性なのか?
俺は寝たふりを続けながら頭を整理する。
「隆之さんの背中ってよっぽど気持ち良いんじゃない?俺にはこんな可愛い寝顔、見せたことないよ。」
「お前ら、まさか寝室一緒なのか?」
「なわけないじゃん。でも毎晩兄貴が寝付いてるの見計らって忍び込んでは、寝顔を拝んでチューしてた。」
「つまみ食いしてないだろうな。」
「してないよ、約束したじゃん、こいつのこと守るって。もっとも結局変なバカ女にかっ攫われちゃったけどね。」
裕樹は相当リカのことが嫌いだったらしい、バカ女を連発している。ひどいもんだ。
しかしそれよりも今、恐ろしいことを言わなかったか?
俺の寝顔を拝んでちゅー?
なんで俺に?!
「両親が死んだ時さ、洋介、全然泣かなかったんだ。親戚や葬儀会社の人たちなんかにテキパキ対応しちゃってさ。俺は泣きじゃくるだけで何の役にも立たないガキでさ。でも、そんな兄貴見て、親戚連中はみんな『頭はいいけど情緒は欠けている』って言ったんだ。」
知ってる。
両親が死んだというのに涙一つ見せない、冷たい子供だ、と面と向かって言って来た奴だっていた。
「でもさ、オレ、知ってたんだ。兄貴、夜中に一人で泣いてた。オレの前では何一つ言わずに気丈に振舞っていたけど、一番堪えていたのは兄貴だったんだ。独りぼっちで声を殺してひっそり泣いている姿を見て、オレ、絶対にこいつを守るって決意したんだ。でも兄貴は何があってもオレに弱い所を見せようとしないし、オレのやることっていつも空回りで、気づくと兄貴のこと傷つけてばっかりで……。」
俺は胸がきゅうっと痛くなった。
裕樹の気持ちなどこれまで考えたことがなかった。
一部理解不能な所はあるものの、裕樹が俺のことを気づかって心配してくれていたなんて、知らなかった。
裕樹に謝らなくてはいけない、だけど隆之におんぶされたこの状態で『ゴメン』というのはどうもかっこ悪すぎる。
どうしよう、と悩む俺の気持ちを見すかしたかのように、隆之が口を開いた。
「裕樹、洋介は馬鹿じゃない。お前の気持ち、ちゃんと分かってるよ。たとえ弟としてしか見ることができなくても、お前を一番大切に思っているのは事実だ。」
「兄弟なんて運命の皮肉だ。オレは血のつながりを呪うよ。」
裕樹はくすんと鼻を鳴らして呟く。
「そう言うな。お前はこいつにとって、かけがえのない唯一の肉親なんだ。お前を失ったら、こいつは生きてはいけない。」
しばらくすすり泣きが聞こえた。
裕樹、泣かないでくれ、俺はどうすればいいんだろう、裕樹……。
ちーん、と鼻をかむ音に続いて「わかってる。」という呟き声がした。
「兄貴のこと、よろしくね。これで我慢して諦めるよ。」
裕樹はそう言うと、チュッと音を立てて俺の頬を啄んだ。
柔らかい唇の感触に驚いて、思わず目を開けてしまう。
くるくるした金髪に縁取られた、バービー人形のようなキュートな顔。
今は鼻の頭がちょっと赤く、目も腫れぼったい。
裕樹はそのまま背を向けて、ぱたぱたと走り去って言った。
俺は何も言えず、隆之の背中に身体を預けたままその後ろ姿をぼんやりと見送った。
「洋介、やっぱり起きてたんだな。」
ばれてたか。
「うん、ゴメン、降ろして。俺、歩けるよ。」
「いいって。あとちょっとだから、このままおぶってく。」
「…うん。」
俺は小さな子供のように、おとなしく隆之の背中にもたれる。
俺は裕樹と隆之の今のやり取りと、裕樹の泣き濡れた顔を反芻して、その意味を考えた。
「あのさ、隆之……」
「なんだ?」
ぼんやりと空を見上げる。
「隆之は裕樹の気持ち、知ってたの?」
「ずっと前からな。」
月の輪郭がかすみ、柔らかな光を放っている。
「隆之、なんで裕樹のことあんなふうに庇ったんだ?」
「……お前が独りぼっちになって哀しむ姿、見たくなかった。お前、いつもつっぱって平気なふりしてるけど人一倍寂しがりやだしさ。でも、出過ぎたことだったのも分かってるよ。お前が腹立てるのは当然のことさ。」
「もう怒ってないよ。自分が情けないだけ。俺の方が子離れっていうか、裕樹から自立できてなかったんだね。あいつはとっくの昔に大人になってたんだ。何も知らずに守られていたんだな、俺。」
「それを望んだんだ、俺たちは。危なっかしいお前を見守るのがずっと好きだった。」
「……。」
「なあ、お前はこれからどうしたい?俺、そろそろ限界なんだ。裕樹と『紳士協定』結んでたからな、ずっと見守ってきたけど、いつまでもキレイごと言って誤魔化すこと、もうできないんだ。……俺はお前が欲しい。」
どきん、と心臓が跳ねた。
なんて答えればいいのか分からない。
ただ、隆之の傍にいたい。
この背中に身を寄せていたい、大きな手で撫でて欲しい。
低くざらついた声を聞いていたい。
俺は隆之のうなじに唇を寄せた。
隆之の表情は見えない。
ドキドキと胸が高鳴る。
隆之の肩にしがみつく指が震える。
限界なのは俺のほうだった。
「……隆之の部屋に連れていってくれ。」
人気のなくなった通りを、ぼんやりと霞んだ月が静かに照らしていた。
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