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閑話 月明かりの下の秘密

「ケチぃ!少しくらい見逃してくれてもいいじゃん!」 「今までどんだけ見逃してやってると思ってんだ!お子様は大人しく寝ろ!」 シャツの襟首を掴まれて、木崎先生は容赦なく僕を美鳥君の部屋から引っ張り出した。 離して欲しいと暴れてみても、先生は全て無視して僕を引きずっていく。 「ねぇ、一人で部屋まで戻れるってば。」 「信用ならんな。それにもうすぐ……」 先生が腕時計で時間を確認するのとほぼ同じタイミングでパチン、と廊下の電気が一斉に消えた。 突然暗闇に包まれた廊下に、月明かりの優しい光が差し込む。 「ったく、間に合わなかったじゃねぇか。」 先生はようやく僕を掴んでいた手を離すと、その手をスウェットのポケットに突っ込んだ。 取り出した小型の懐中電灯が僕達の足元を明るく照らす。 生徒達が夜中に出歩かないための対策として、この寮では消灯時間になると廊下の電気が自動で消えるようになっている。消灯前には先生達が当番制で点呼をとりにくるし、そもそも寮を抜け出したところでバスすらまともに来ないど田舎だ。羽目を外すのは中々に難しい。 まぁ、それでも僕の場合は一人部屋なので好き勝手やらせてもらってるけど。 「ほら、行くぞ。」 「はーい。」 懐中電灯片手に再び歩き出した木崎先生に、今度は黙って半歩後ろからついて行く。 暗い廊下に二人きり。まるでホラー映画のワンシーンみたいな状況にちょっとだけワクワクしたなんて事は、絶賛お仕事中の先生には言わないでおく。 僕の部屋は色達の部屋より一つ上の階にある。長い廊下をぬけて、階段を登って廊下を折り返して。普段はそんなこと感じないのに、この暗闇の中ではすごく長い道のりに思えた。 「ねぇ、点呼ってもう全部終わったの?」 沈黙に耐えられずに口を開けば先生は歩みを止めることなく一瞬だけチラリとこちらを見た。 「こんな事だろうと思ったからな。念の為あいつらの部屋も後回しにしたんだよ。」 「やっさしー。」 「問題児の部屋を最後にしとかないと時間内に回りきれないだろうが。」 過去にまぁ、色々ありまして。先生は見回りの時は必ず最後に僕の部屋に来るようにしているらしい。 絶対抜け出すな、誰も呼ぶな。毎回部屋に来るたびそう念押しされれば、木崎先生の当番の日はどうにも「そういう事」はしづらい。 「色達とはさすがにそういうことはしないって。」 「どーだか。」 向けられる視線と懐中電灯が痛い。眩しい。 「……失恋記念、だったんだろ?」 ぽつりと漏らされた声が、暗闇に溶けていった。 見上げた横顔が苦しそうに見えたのは、月明かりのせいだろうか。 「一年も前に別れてたらしいよ。」 「だったらチャンスもあるんじゃねぇの?」 「応援してた僕に気を使って、別れた事を隠されてたような関係なのに?」 笑って言えば先生は対照的に口をへの字に曲げて、自らの髪をかき乱した。 チャンスなんてあるはずない。緑ちゃんと終わったって告げられた時も、僕はちゃんとそう思えた。ありもしない望みに縋らなくなったのは、僕自身が成長したからか、それとも…… 「……案外早く、その日は来るかもしれないよ?」 言葉の意味がわからず先生は眉をひそめたけど、僕はそれ以上話す事はしなかった。 これはきっと、僕だけが気づいた確信に近い予感だ。 だからまだ、誰にも。本人達にも教えてあげない。 ようやく辿り着いた部屋の前で、僕はくるりと先生に向き直って笑った。 「ねぇ、コーヒーの一杯くらい付き合ってよ。ノンカフェインのやつ買ってあるんだ。」 月明かりは僕の顔をどんな風に映しているんだろう。 一人でいたくないなんて子供みたいな感情は上手く消してくれてるといいな。 先生ははぁ、とため息をつくと手にしていた懐中電灯の明かりを落として、スウェットのポケットにしまい込んだ。 「一杯だけな。」 互いの表情が見えない暗闇の中、ぽん、と僕の頭に乗せられた大きな手がくしゃりと髪を撫ぜる。 その手の温もりが妙に心地よくて。 僕は込み上げてくる何かを誤魔化すように、鍵を開けるふりをして先生に背を向けた。

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