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第15話
何となく視線を合わせづらくて、俺はわざと美鳥の隣に腰掛ける。
「……そんなに褒められるような大層な人間じゃねぇよ。ピアノが好きで、周り巻き込んで好き勝手やってるだけだし。」
表に顔は出したくない。親の七光りなんて御免だ。それでも曲は作りたい。
こんなわがまま放題の人間、いつ見放されたっておかしくないのに。恵まれた環境にいるんだなと、こいつの隣にいると痛感する。凄いなんて純粋な眼差しで言われてしまえば、照れもあるがなんというか、罪悪感みたいなものが込み上げてくる。
「でも、……嫌になったりしない?自分の弾きたい曲が作れないって。」
それは、考えた事も無い言葉だった。
「…………制約のある中で表現するって、苦しくない?」
避けていたはずの視線を向けずにはいられなかった。
ヘッドフォンをぎゅっと手にしたままおずおずとこちらを見上げるその瞳は、どこか縋るような、助けを求めるような、そんな色を宿していて、俺は言葉に詰まる。
苦しいって、それは誰の話だよ。
そんな苦しそうに口元を歪めるような経験、俺には――
そういえば、あったな。
「……昔さ、通ってたピアノ教室で強制的にコンクールに出場させられたことがあった。」
全然違う話を始めた俺に、美鳥は一瞬キョトンとした顔をうかべる。
でも多分、今の美鳥はあの頃の俺なんじゃないかとふと思ってしまったんだ。
「他の誰かが作った曲なんて、それこそ制約だらけなんだよ。速度や表現がほとんど決まってる。しかもそれに優劣つけようなんて、俺には意味がわからなかった。」
小学校に上がったばかりの頃の話だ。
音楽は幼い頃からやらないと芽は出ない。あの頃周りの大人達は、大人達なりのやり方で俺の芽を育てようと必死だったんだろう。
俺が、親父の息子だったから。
子供心に全てわかっていて、けれど子供だから何も言えなくて。
「……それで、櫻井君はどうしたの?」
「断れなくて出たんだけどさ……つまんなかった。」
はっきり言えば、美鳥はくすりと笑う。
「わかるんだよ、ここをこう弾きゃ審査員の受けがいいとか、この小節のここをみてるとか。そういう弾き方をしなきゃいけないのが苦痛でしかなかった。」
あの時のステージは今でも覚えている。あんなにも無感情にピアノを弾いたのは、後にも先にもこの一回だけだ。
「一応優勝はしたんだけどさ、全く嬉しくなくて。次の日から部屋にこもってずーっと曲作りするようになった。」
誰かの作った曲を使って誰かの心を動かしても楽しくない。
速度記号も表現記号もクソ喰らえだ。自分の好きなように、自分の表現で誰かの心に刺さるような曲が作りたい。
そうだ。俺はあの時、確かにそう思った。誰か一人でもいい、誰かに聴いてもらえたら。
そうして俺は今ここにいる。
真っ直ぐに向けられる視線を、俺は笑って受け止めた。
「だから、今の環境に文句なんてねぇよ。制約っていうか、新しい発想を貰ってる感じ。」
「新しい…発想、」
「さっきの曲も、絶対俺一人じゃ作れない曲だったしな。楽しんでやらせてもらってるよ。」
こんな事、気恥ずかしくて誰にも話したことがなかったのに。不安そうに揺れる亜麻色を見ていると、どうにも何か言わなきゃという気になる。
何か、してやりたくなる。
もしかしたらあの頃の自分を重ねているのかもしれない。
『色はやりたいようにやればいいのよ。私に出来ることは協力するよ。』
俺の背中を押してくれた誰かさんがいたように、俺も。
「……参考になったか?」
「ぁ、」
答えは分からないけど、きっと美鳥は何か言葉が欲しいんだろう。自身の背中を押してくれる何かが。
美鳥の手が、俺のシャツの裾を掴んだ。
「……あの、」
俯いて、もごもごと言葉にならない声を発して。
だから俺は、さっきと同じようにその手をとった。
「俺に出来る事、何かあるのか?」
俺の手の中でぴくりと小さく跳ねた手をぎゅっと握りしめる。
小さく震えるその手の温もりを感じながら、俺はただ黙って言葉を待った。
「…………見て、欲しいんだ。」
「スケート?」
こくりと小さく、けれどはっきりと頷いたのを確認して俺は言葉を続ける。
「いつ?」
「……出来るなら…明日にでも。……だめ、かな?」
不安そうに顔を上げた美鳥に、俺は返事の代わりに握っていた手をするりと解いて互いの小指を絡ませた。
「……朝早いの苦手なんだ。ちゃんと起こせよ?」
小指を離してその手で頭を撫ぜてやれば、突然の事に驚いて固まった表情が、次の瞬間には優しくほころんだ。
「うん。……ありがとう。」
ぽん、と最後に軽くその頭に触れてから手を離せば、美鳥はその場に立ち上がり、ぺこりと一礼する。
「本当に、あの、色々ありがとう。おかげで眠れそう、かも。」
少しだけ憂いの晴れたその表情に、俺は気づかれないようほっと息を吐いた。
「ならよかった。またいつでもピアノ聴きたい時は言えよ。」
それで誰かさんの気が少しでも晴れるなら。
純粋にそう思って言葉にしたのだけれど。
「っ、」
そんな俺の言葉とは裏腹に、ほころんでいた美鳥の表情は一瞬にして強ばった。
あ、しまった。
「あ、の、そそそれはそのっ…」
そうだった、忘れてた。
俺のピアノが地雷って、これもうどうしたらいいんだよ。
手にしたままだったヘッドフォンを壊さんばかりに握りしめ固まってしまった美鳥に、俺はこめかみを押さえた。
あー、しかも、こんな状態の奴にこれを言わなきゃいけないのか。
「あと、な。……さっきの曲なんだけど、まだ世間に公表してないんだ。情報解禁は一応あと約二時間後だから、それまで他言無用でたの…」
ヘッドフォンが美鳥の手から滑り落ち、カシャンと音を立てる。
「み、未発表の新曲!?そ、そそそそんな、き、貴重な!ぼ、ぼぼくはどうしたら…」
「落ち着け!どうもしなくていいから落ち着け!」
口元を押えてガタガタと震える美鳥に
俺は大丈夫だ気にするなと背中をさすり、なだめながら隣の部屋へと送り届けることとなったわけだが……果たしてこいつちゃんと眠れるんだろうか。
とりあえず安眠のために、商品購入のノベルティとしてCDが配られるって話は今は黙っておこう。
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