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第14話
木崎が暴れる晃の首根っこを捕まえて強制的に連れ出したことで歓迎会兼失恋記念というなんともカオスな集まりはあっという間に解散となった。
俺は当たり前のように一人で片付けをはじめた美鳥を手伝って部屋の掃除をした後、二人で食堂に返却する食器類を簡易キッチンで洗っていた。
既に消灯時間を過ぎてしまっていたが、そこはまぁご愛嬌だろう。
美鳥の明日の練習に響かなければいいがと一瞬不安になったが、そこは本人が楽しそうに皿を洗っているのでよしとしよう。
美鳥が洗った皿を受け取って、布巾で拭きあげれば片付け完了だ。
「おつかれ。遅くまで付き合わせて悪かったな。」
「とんでもない、すごく楽しかったよ。まだ心臓がドキドキしてて、今日は眠れないかも。」
その声はこちらに気を使っているのではなく本当に楽しそうに弾んでいて、思わずこちらも口角が上がる。
だから、つい声をかけてしまった。
「……じゃあ、何か弾くけど。聴くか?」
色々やらかした今日の詫びも兼ねて、子守唄代わりにでも。
俺としてはそんな軽い気持ちだったのだけれど、美鳥は瞬時に顔を強ばらせ一歩後ずさった。
「そ、そそそそそそんな、コンサートなんて夢のまた夢だと思ってたsikiのえ、演奏を……ぼ、ぼぼく一人が聴くなんて…」
腕と首をぶんぶん振って全力で遠慮されてしまえば苦笑いしか出てこない。
「いや、まぁ無理にとは言わないけどさ。」
強制するようなもんでもないし、そもそも消灯時間は過ぎてるわけだし。
それじゃあ寝るかと部屋へ戻ろうとしたのだが、美鳥に背を向けたところでぐっ、とシャツの裾を掴まれた。
「どうした?」
「う、あの……」
振り返れば美鳥は俯いて視線を彷徨わせ、もごもごと言葉にならない音を発していて。あまりにわかりやすすぎる反応に俺は思わずふきだした。
「減るもんじゃないんだし、聴きたいなら素直に言えばいいだろ。」
「うぅ、」
俯くその耳が朱を帯びているのは気のせいだろうか。
言葉の代わりにシャツの裾をぎゅっと掴むその様はまるで小さな子供で。俺は気がつけばその手を掴んでしまっていた。
そのまま手を引けば、美鳥は大人しくついてくる。
「お、お邪魔します。」
楽器と機材で圧迫された部屋は当然くつろぐスペースなどなく、俺は美鳥にベッドに座るよう促すと壁にかけていたヘッドフォンを手に取り投げ渡した。
電子ピアノの電源を入れ、ヘッドフォンの端子を接続する。
美鳥に音の聞こえを確認してから、壁にかけていたもうひとつのヘッドフォンも接続して首にかけた。
「リクエストあるか?」
「そ、そそそんな厚かましい事は。もう、ここにいるだけで緊張で死にそう、なので。」
ヘッドフォンを抱えて何とか落ち着こうと息を吐く美鳥は俯き身を固くしてしまっていて。
さてと、どうしたものか。
考えて、俺は腕につけていた時計を確認した。あと約二時間、少しばかりフライングだがこいつにならいいだろう。
「じゃあ、協力してくれよ。」
「協力?」
「あんまり作ったことの無いタイプの曲があってさ。どんなふうに聞こえるのか他人の意見を聞いてみたい。」
あえてそんな風に言ってみれば、お人好しさんは案の定、僕にできることならとこくこくと頷いた。
美鳥がヘッドフォンを耳にあて瞳を閉じたのを確認して、俺はゆっくりと鍵盤に指を滑らせる。
分散和音 からのスタッカート。
不規則に、軽やかに跳ねる音が緩やかなテンポで流れていく。
ホ長調のやわらかな音色がポツポツと跳ねては消えていき、主旋律がじんわりと広がって空気を優しく震わせる。
山も谷もなく終始穏やかに流れる音は、最後にまた分散和音 を響かせながらゆっくりと小さくなっていく。
かろうじて聞き取れるようなスタッカートを響かせて、俺は鍵盤から指を離し振り返った。
ヘッドフォンを下ろし、ゆっくりと瞳を開いた美鳥と視線がぶつかる。
目の前の男はふわりと優しく微笑んだ。
「……優しい曲、だね。」
小さな拍手と共に漏らされた感想は曲以上に優しい声だった。
「雨、かな。小雨の天気雨。傘をさして、きらきら光る雨粒を見ながらちょっと遠くに出かけて。憂鬱なはずの雨なのに、ちょっと心が弾んでる。……そんな、曲。」
やっぱりこいつ、耳がいい。曲の意図を美鳥はほとんど正確に読み取っていた。
どうかな、と不安そうな目で見つめられれば、俺としてはもう笑うしかない。
「百貨店の催事場でかけるBGMなんだ。」
「催事?」
「そ。ブランド物のレイングッズを集めたコーナーを全国で一ヶ月展開するんだと。その店内BGMとテレビCMに使えそうな曲って依頼。」
俺の言葉に、美鳥は瞳を輝かせる。
「っ、だから、こんなに優しい音なんだ。」
メインは音楽ではなく商品。音に気を取られないよう音楽を聞かせるにはどうしたらいいか。
いつもとは勝手が違う依頼に多少悩んだが、俺の出した答えは、少なくとも目の前の存在にとっては間違ってなかったらしい。
「……やっぱりsikiは、櫻井君は凄い人だね。」
その視線も言葉も真っ直ぐ受け取るには気恥しすぎて。俺は直視出来ずに、誤魔化すように美鳥背を向け電子ピアノの電源を落とした。
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