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第1話

 自分にとって、大した変化もない平凡すぎる日常がずっと続いていくことに対して、何の疑問も抱かなかった。  将来なんてこれっぽっちも考えたことのない、中身のない未熟な男だった。  だからこそ俺は心底馬鹿なことをしでかした。  今だからこそわかる。  誰より大事な人に、死んでも償いきれない罪を犯して、そして、犯させるまでに至ってしまった──。  それは、長い炎天下がようやく終わり、これから本格的に受験シーズンが始まるという大切な秋の出来事だった。  俺、松田遥希(まつだはるき)が住むのは、山に囲まれ、街へ繰り出すには車が必須である片田舎だ。  東京はまだまだ暑い日も多いようだが、こちらは天候の変動も多い。その日は既に冬服にセーターを着ていた。 「誠二」  そう廊下で声を掛けただけで、呼ばれた方の高峰誠二(たかみねせいじ)は驚いた顔をしていた。  俺は、学校でも家でも極力誰とも話さず、パッと思いつくような趣味もなく、世の中に希望も見出せず、適当に授業を聞いて暮らしていることの方が多い、いわゆる暗いタイプの人間だ。  真っ黒な直毛と三白眼のせいで、そういうつもりはないのに「目つきが悪い」「喧嘩売ってるのか」とか言われることも多い。  昔は決してそうではない普通の子供だったが、成長や環境と共にそうなってしまったのだ。  誠二とは一応は幼なじみだが、それは小学校低学年までであって、父の転勤を境に俺は東京で暮らすこととなった。  そうして中学を卒業する頃にまた転勤になり、昔暮らしていた久しい場所に戻ってきた俺は公立高校に進学し、誠二とも再会を果たした。  だが、その頃には、誠二はすっかり変わってしまっていた。  俺の方が大きかった背は伸び、俺は百七十センチにも届かないが、誠二は百八十センチ超えの長身。バスケットボールをかじった時期があったらしく、ずいぶんガタイも良くなった。  校則も何のそのといった若者らしく髪を金色に染めていて、そして、何が最も変化したかと言えば、その立ち振る舞いだ。誰に対しても、かなり横柄な態度になっていたのだ。  一目で不良になってしまったのだなとわかる彼は、やはり普段から良くない輩とたむろしていて、一部の女生徒以外は、誰も彼と話すどころかうかつに近づけやしない。難癖をつけられては困るからだ。  もっとも、彼としても、俺がどこか都会に染まってしまったというような変化は感じたのかもしれないが。  今では俺と誠二は、いじめられっ子といじめっ子の関係なのだ。だから俺が恐怖の対象である誠二の名を呼ぶこと自体、本来は非常にリスキーなのである。 「あぁ? 誰かと思ったらクソ陰キャの遥希じゃねーか。なに気安く話しかけて来てんだよウッゼ」 「ごめん……。少し話があって。誠二も興味がある話題だと思ったから、つい」 「俺の興味ねぇ……」  完全にパシリのようにへこへこと頭を下げる俺と、それを嘲笑うかのように腕組みをする誠二。 「誠二、ラブホテルって行ったことある?」 「は? ラブホ? 童貞遥希が何言っちゃってんの。あわかった、俺にアドバイスが欲しいって? 無理無理、この辺田舎なの知ってるだろ? 大人しく遠出するか、どっちかの家でこっそりヤるか……」 「質問に答えてよ。行ったこと、あるの」 「な、なんだよ……そりゃあ……この俺だぜ? あるよ」 「良かった! なら心強い」  俺はここぞとばかりに、パッと顔を明るくした。 「昔、秘密基地にしてた廃墟のラブホがあっただろ。あそこ、久しぶりに行きたくて。それで、どうせなら夜、肝試しも含めて行ったら面白そうだなって」 「あー……そういやなんかあった気がする。人数決まってんの?」 「いや。俺と誠二」 「は。なんで野郎と、しかもお前なんだよ」 「……覚えてないかな、誠二。あそこはさ、俺と誠二の思い出の場所だから」  そこはいくら廃墟になっているとはいえ、親からは建物が建物なだけに、絶対に行くなと釘を刺されていた。  あるいは心霊スポットだとか、祟りがあるとか、そういった噂まで誰が流したのだか、曰くのある場所だった。  だが、子供とは駄目だと言われれば俄然興味が湧いてしまうものだ。それで、学校帰りや休みの日、こっそり家を抜け出しては、誠二と遊んでいたのはもっぱらあそこだった。  まるで自分たちしか知らない秘密基地のようで、あの頃は純粋で、誠二といるだけで本当に楽しかった。 「俺は……ここを卒業したら、たぶんまた、東京の大学に行く。それで、向こうで就職して、将来的には家族を持ったり、両親も呼んで生活したりするかも……だから、きっともう、ここに戻ってくることは一生ない。最後くらい、ちゃんと誠二と向き合いたいんだ」  真面目な顔つきと口調で言うと、さすがの誠二も俺が冗談で言っている訳ではないとわかったらしい。 「あっそ。思い出とか最後とかそういう感傷的な言い方はムカつくけど、ま、肝試しは確かにちょっと面白そうかな。いいぜ、行ってやるよ」  仕方がないな、というようにため息をつきながらも、承諾してくれた。 「……くそが。行ってやる、だと。どこまでも俺を馬鹿にしやがって。今に二度とそんな口聞けなくしてやるからな、誠二……」  誰もいないトイレの洗面台で顔を洗い、俺は鏡の中の自分を見つめた。あまりの怒りに顔全体が引きつっていて、まるで鬼面のようだった。  誠二が幼なじみであることは事実だ。でも仲が良かったのは、引っ越す前の話だ。  東京から出戻った俺を前にして、誠二はとても冷たかった。「久しぶりだな」だとか「元気にしてたか」とか、そういった感慨深い言葉を期待していたのに、再会して開口一番、「何しに帰って来たんだよ、よそ者」と言われた。当然俺は唖然とし、混乱の極みに達した。  確かに田舎は地域関係が密接であるから、都会とは良くも悪くも違うことは頭ではわかっていた。  でもあの優しかった誠二からそんなことを言われるなんてありえない、親からの刷り込みではないのかとも思った。  だが、この学校で約ニ年半を過ごしてきて、俺は無情な現実をその身でひしひしと感じたのだ。  どうしてか彼の気に障ったらしい俺の高校生活は、孤独に染まった。誠二による“からかい”という名のいじめだ。それは周りの生徒も教師にも黙認され、なにか妙な連帯感すら生まれていた。  机や教科書は定番みたいな悪口の数々が書かれているし、クラスメイトには日によって集団無視されたり、誠二をリーダーとして呼び出されて散々に暴言を吐かれたり。ロッカーからかなり大きな個体のウシガエルが勢いよく飛び出てきて腰を抜かしたこともある。  何も知らない両親からは、「また誠二くんが仲良くしてくれて良かった」「誠二くんに比べてお前は鈍臭い」などといちいち比べられ、劣等感にまで満ちた。  噂では、誠二が変わったのは母親が病気で死んだ時期──まさに、俺が東京に行ってしまった時からだと聞いた。  当時はまだ子供だ、親族以外で心の拠り所であった俺達家族が引っ越すことは、裏切り行為とでも思ったのだろうか。それはあくまで推測に過ぎないが。  だからと言って執拗に他人の心を傷付ける今の誠二はおかしい。仮に公に訴えようとしても、誠二の父は地主で村長という地位もあり、地域中で守られるだろう。みな、自分が可愛いからだ。  俺は何も悪いことをしていないのに、それではあまりにも不条理じゃないか。  誠二の友達でいてやったじゃないか。  なのに恩を仇で返す気か。  そんな醜い感情がフツフツと沸き上がり、俺は一人、とある計画を実行する為に着実に準備を進めていったのだ。  それが成功するか否かはわからないが、誠二と約束を取りつけた以上は、実行日は今日だ。  そう。今日で全てが変わる。  離れていた歳月の中で、変わったのは誠二だけではないのだから。

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