10 / 111
【第1部 竜の爪を磨く】10.雲の底
「大将が自分で出るなんていっていいのか。参謀本部ってのはいったい……」
〈黒〉の兵舎に足を踏み入れたとたん、俺はうっかりそう吐いてしまい、たちまち後悔した。イヒカがにやにやして俺をみた。
「いや、黄金のホープでも全方位から大将と呼ばれるにはまだまだ足りないだろう。いくら由緒正しい帝国軍貴族の出身でも、われらがアーロンは実践指揮で功績をあげてここにいるんだ。通信機であれこれいってるだけじゃ、紅や萌黄の連中を感心させるには及ばないってことさ」
「まったく、いったいどうして『われらがアーロン』ですか」
俺はイヒカを睨みつける。
「おや、間違ってるかい?」
のほほんと答えたイヒカを尻目に、一歩先を歩いていたシュウが俺をふりかえった。
「アーロンの編成、エシュの他に誰が入るんだ? 僕は?」
「明日はひとまず俺だけだ」
俺は仏頂面で答える。
「例の新種が出た地区には新規の行政官が着任している。反乱軍の記録がどのくらい整理されているかにもよるが、まずは現況調査だ」
「それで足りる?」
「第三段階を控えているんだ。気軽に人員は割けない」
「当面、エシュには人身御供になってもらうさ」
イヒカがのんきな口調でいう。彼のこんな様子は慎重に隠された神経質さの偽装にすぎないのだが、わかっていてもいささか癪に障った。
「私はむろん、こっちでみてる」
「エシュも難儀だな」シュウはわざとらしく肩をすくめた。
「僕のいったとおり新種が飛び出したらそのときは素早く呼んでくれ。次の変異体も前のと同様、ごくわずか――僕の予想では一頭しかいないはずだ。おそらく生殖能力もない。〈地図〉から直接作られ〈法〉で生まれた変異種なら、そうなる。地図を弄った法術師はどこかへ消えたにしてもね」
「いや、消えているとは限らない」俺はすかさずいった。「だからアーロンは追うことにした」
「どうしてわかる」
「あっちは新種を作ったんだ。単に戦力として竜を増強するだけなら既存の竜種を強化した亜種を作ればいい。新種は再地図化しないと意味がない。その前に帝国軍に渡すなんて、我慢できるか」
シュウがまた俺をふりむく。妙に楽しそうな眼つきだ。
「なんだよ?」
「エシュ、反帝国を代弁してるみたいだぜ。でもどうして新種を作るだけじゃだめなんだ? 下手な地図師がやると再地図化に失敗することもある」
「それは単純な話だ」イヒカが穏やかにいった。「この世界の勝者は〈地図〉をより多く集める者だから。それだけだ」
どういうわけかその瞬間、俺は作戦室で感じた違和感を思い出した。
(反乱側に腕のいい地図師がいるらしい。元地図をいじられているという情報がある――警備のな)
(新種にあたるかの判断も任せる)
そう、新種がいる可能性を最初に知らせてきたのはイヒカだった。しかし〈紅〉にその情報はまったく流れていなかったようだ。いったい団長はどこからこれを知ったのだろう?
しかし俺の疑念はシュウの無邪気な言葉ですぐにさえぎられた。
「あ、そうそう、黄金のアーロンとエシュって、知り合いなの?」
「はあ?」
イヒカの肩が小さく揺れた。笑いをこらえているのだ。馬鹿馬鹿しい。〈黒〉で俺とアーロンの因縁を知っているのはイヒカしかいない。知らぬ存ぜぬを決めこんでほしいと心の底から願いつつ、俺は適当な答えをさがす。
「帝都の養父がアーロンの父と親しいんだ。士官学校では同級生だった」
「へえ」シュウは感心したような口ぶりだった。「『だからアーロンは追うことにした』って、なるほどね」
「何の話だ?」
「いや、ずいぶんと――向こうのことをわかってると思ったもんだから」
イヒカが吹き出した。我慢できないといった様子だ。上官の足を蹴りたい衝動にかられつつ、俺はポーカーフェイスを保った。
「まあな。古いつきあいなんだ」
古い友を大切に。何年も前、帝都のどこかで辻占いにそういわれたことがある。古いつきあいか。くそくらえだ。
会議が長引いたので、気を利かせたフィルが夕食を俺たちの分までまとめて運んでくれていた。食事のあとはカードで遊ぶつもりらしい。毎度のことながらシュウとフィルの仲の良さは特筆すべき事柄だと俺はなかば感心する。シュウは一見ひとあたりがいいが、童顔の見た眼から予想されるよりずっときつい性格である。
俺は彼らに最後までつきあわなかった。さっさと食事をすませると厩舎へ向かう。出動、帰投、作戦室で報告会議、さらに明日また出動とあって、いまさらのように疲労がこたえてくる。ツェットの世話は厩舎の人間にまかせてしまったが、顔を出さないとひがむだろう。それに厩舎にはアルヴァがいるかもしれない。
そう思ったのだが、アルヴァは見当たらなかった。ツェットはまだ起きていた。低い止まり木の上で鉤爪をせっせと手入れしていたが、俺の気配は厩舎に入った時から察していたようだ。竜には人間の血流が聴こえるから、遠距離から個人を識別するのは造作もない。俺が区画へ入った途端、どさっと音を立てて床に降りると、クウクウ唸りながら首をのばす。頭を掻いてほしいのだ。
「おいおい、いいかげんにしろよ。まったくこの甘えん坊」
叱るような言葉も、俺が笑ってしまうから説得力のかけらもなかった。ツェットも俺がなにをいおうと知らん顔で、ここを掻けと頭をつきだしてくる。俺は笑いながらうろこを軽くカリカリやって、眼のまわりもそっと擦った。厩舎の人間はツェットをきちんと手入れしていた。うろこも鉤爪も磨かれたように清潔だ。竜が俺に掻けと要求するのはたんにじゃれているだけなのだ。
地上でこうして甘えてくるとはいえ、空を飛ぶ彼は俺に完全服従だった。アルヴァが俺に興味を持ったのはこの落差のせいだった。多くの乗り手は竜を甘えさせたりしない。厩舎で甘える竜は服従しないと思われているのもあるし、そこまで竜と接触できない乗り手も多かった。〈地図〉で支配し、乗って飛べても、友となれるとは限らない。
そういえばアーロンの竜は妙な格好で寝ていた――ふと俺は思い出した。ツェットは瞼を閉じている。掻いてもらって眠くなったのだろう。竜の頭を俺は鉤爪のあいだにそっと置く。ツェットは本能的に奥へ頭をおしこんだ。止まり木にとまったまま足のあいだに頭をつっこんで寝るのは、騎乗竜にはよくある姿勢だ。アーロンの竜の寝相は破天荒だった。大丈夫なのか、あの竜。
好奇心にかられた俺はアーロンの竜がいる区画へ足をむけたが、すぐにそれがまずい選択だったとわかった。声が聞こえてきたからだ。
「ああ、問題ないよ。たまには辺境基地も悪くない――」
アーロンの声だった。俺はあわてて通路の脇にそれる。そういえばあいつも竜キチだった。俺は自分の判断能力の低さを呪いながら厩舎の空いた区画へすべりこんだ。ブーツが床を蹴る音が響き、アーロンは喋りながら歩いてくるが、話し相手の声は聞こえない。
「何だって?」
アーロンは俺がひっこんだ区画の前にさしかかったが、俺には気づかない。首にひっかけた通信機で話している。くだけたやわらかい口調で、個人的な通話だとわかった。宿舎ではなくこんなところでいちいち話すなんて、と不思議に思った直後、謎が解けた。「セラン、大丈夫なのか?」とアーロンがいったからだ。
セラン――なるほど。フィルが読み上げたジャーナルの社交欄ならはっきり記憶に残っていた。宿舎には〈黄金〉の部下もいるし、恋人との会話を聞かれたくなかったのだろう。アーロンらしい。まったく、アーロンらしかった。暑苦しいくらいきちんとやってるにちがいない。
「それはわかるが――ああ。かまわない。基本はこっちで……」
アーロンは話しながら通り過ぎて行った。まったく気づかれなかったことに安堵とからっぽな気分を味わいながら、俺はしばらくそのまま厩舎の壁にもたれていた。隣の区画の竜が小声で鳴いたので、首をのばしてみると、眼をつぶったままブツブツとつぶやくような音を漏らしているのだった。
竜も寝言をいうし、竜も夢をみる。昔アーロンにそういったら、あいつは俺が本気なのか冗談なのか、慎重に確認したものだった。やれやれ、くそ真面目め。おまえと俺がまったく違う世界にいれば、わけのわからない神に踊らされずにすむ。
アーロンが厩舎から出ていくまで俺は十分に待った。通路に出た時、タイミングよくアルヴァの声が聞こえた。
「エシュ?」
「いたのか」
ひょっとしたらアルヴァはタイミングを見計らっていたのかもしれない。つまり、アーロンが出ていくのを待ったのかもしれないと、汚れた作業着の彼をみて俺は考えた。アルヴァは俺の横に並び、俺たちは自然と休憩部屋の方へ向かった。
「こんな時間まで? 遅いな」
「怪我をした子についていたもんで」アルヴァはぼそっとつぶやく。
「大丈夫だったのか?」
「ああ。もう終わった。ちょいと疲れた」
武骨な頬に疲労の影が浮かんでいた。珍しいこともあるものだが、アーロンが到着してから連日出動が続いていたから、厩舎の作業も増えていたにちがいない。
「俺も今日は疲れたよ。明日も早いし」
「あんたのツェット、あの寝相の悪い黄金と出るんだってな。こっちにも札が回ってきたよ」
早出の竜は前日のうちに厩舎に知らされるし、竜の出入りは作戦や異動を意味するから、一般に思われているよりずっと、厩舎で働く人間は基地内の動きに通じている。もっともアルヴァの興味は竜にあって、竜に乗る人間にはほとんどないのが普通だ。
そんなアルヴァが「あの黄金、腕はいいのか」と続けたので、不意打ちをくらった俺はびくっと腕を振るわせてしまった。アルヴァが妙な表情で俺をみた。
「知り合いなんだろ?」
「ああ、アーロンは――かなりの腕だ。昔から何につけても優秀で知られてる」
「そんなやつがあの竜の寝方を許してるのか。珍しいな。あんたみたいだ」
また意外なことをいう。俺は首をふった。
「アーロンと俺は真逆だよ」
「そうか?」
みあげるとアルヴァの顔が俺の顔の真上にあった。俺の袖を指でつまみながら「俺はシャワーに行く。エシュも来るか?」という。
「ああ」
俺はうなずいた。彼の誘いがありがたかった。今夜は邪魔は入らないだろうし、朝までよく眠れるにちがいない。
ともだちにシェアしよう!