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第93話 甘美な拷問1
「さんきゅ」
買い置きの歯ブラシを渡すと、祥悟はごく自然な感じで受け取り、歯を磨き始めた。
このマンションに、彼が訪れるのは初めてではないが、そう頻繁に来るわけでもない。でも勝手知ったる様子で、ナチュラルに馴染んでいる感じが、すごく彼らしいなと思う。
祥悟にはそういう不思議な特技がある。
初めて訪れる場所でもまったく物怖じせず、自分の居心地のよいスペースを瞬時に見つけて、まるで以前からそこに居たみたいに馴染んでしまうのだ。
智也にしてみたら、彼が自分のマンションを訪ねてくれて、一緒に寝る……なんてシチュエーションは、ものすごく特別なことで、ずっとドキドキして落ち着かないでいるのに。
……っていうか、一緒に……寝るって。
とりあえず、祥悟をベッドに寝かせて、自分はソファーで眠ろうと思っていたのに、彼はそれを当然のことのように却下した。同じベッドで寝ればいいと。
……っ。いやいやいや。それは無理だから。
広めとは言っても、セミダブルなのだ。大の男2人が一緒に横になれば、触れ合うすれすれの距離で寝ることになる。
祥悟がすぐ隣で寝ているなんて……そんな甘美な拷問は、ありえない。
「おまえ、さっきからなに独りで百面相してるわけ?」
不意に下から顔を覗き込まれて、智也ははっと息をのんだ。いつの間にか歯磨きを終え洗顔も済ませて、頬の脇の癖っ毛に雫をつけた祥悟が、怪訝な表情でこちらを見つめている。
「あ。ああ。ええと……」
「寝室。先行ってるからな。おまえも歯磨いて早く来れば?」
祥悟は手に持ったタオルで顔をもうひと拭いすると、智也の手にそれを押し付けて、さっさと洗面所を出て行ってしまった。
「あ……」
声をかけそびれ、智也はため息をついて、鏡の中の自分を見つめた。
……一緒に……寝る……? 祥と?
祥悟の言葉に、特別な意味なんかない。
でも、彼の口から零れ落ちたそれは、ひどく甘い誘惑の呪文だ。
肩を寄せ合い、彼の体温を感じながら、綺麗な寝顔をすぐ間近で見つめる。
それは幸せ過ぎるひとときだが、今の自分にはちょっと酷な状況だろう。
アリサと濃厚な口付けを交わす、祥悟の艶めいた表情が浮かぶ。あの時ちらっとこちらに向けた、色っぽい流し目。あんなものを見てしまった後で、平然と隣で寝入ってしまえるほど、自分はストイックな男ではない。
彼との付き合いが長くなるほど、秘めた恋情と欲情は日々、強さを増しているのだ。
祥悟のことを想って、眠れない時間を過ごす夜もある。我ながら情けないことだが、あのベッドで祥悟の艶やかな肢体や表情を思い浮かべて……自分でしたことも、ある。
……いやっ。やっぱり無理だ。俺はソファーで寝よう。
智也は危うく妄想に陥りかけて、首を横に振ると、歯ブラシに手を伸ばした。
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