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第1話
リビドーの鍵。
それが実在するとは三枝賢人 思っていなかった。
だが賢人の掌にはリビドーの鍵がある。
SM倶楽部名無し の客の間で噂になっていたリビドーの鍵。
肉欲と希望を叶える鍵だ。
その鍵はごく普通の一軒家に使われる鍵だった。
高い塀に囲われた、住宅街から離れた場所に建つごく普通の一軒家。
けれどその鍵を使い門扉を開いた先は、身も心も自由になれるのだ。
鍵を開けた向こう側は肉欲の世界になるという。
常識の柵や理性の頸木から解き放たれ、肉欲と欲望の限りを尽くしてもいい。
庭でも玄関でも廊下でも階段でもどこででも。
好きな場所で好きなだけ貪婪に快楽を得ても構わなかった。
賢人は三日間、このリビドーの鍵の向こう側に行く。
高鳴る心臓の音を鼓膜で拾いながら、賢人はゆっくりと門扉の鍵を開ける。
一般家庭でよく見るありふれた鍵なのに、賢人にとっては黄金の鍵以上に価値があった。
この鍵を得るのは容易くない。
まずは会員制SM倶楽部名無し の優良会員にならなくてはならないし、客だろうがキャストだろうが、オーナーから信頼される必要がある。
しかし例えオーナーの信頼を得ても、すぐに鍵が与えられるというわけにはいかなかった。
自分の好みとプレイ内容とNGを詳細に報告し、S側とM側の希望が運良く合致した場合のみ、その鍵を受け取ることができるのだ。
教師である賢人の好みと秘めた希望は、自らの人格否定を含む被虐プレイだった。
人間扱いされなくてもいい。性欲処理のように扱われてもいい。
普段は有名な私立高校の教師というお堅い立場であり、生徒の規範となる態度を心掛けてきた。責任ある職務のストレスは計り知れず、そのストレスを自分が他人から全否定されることで発散したかったのだ。
『自分を解放なさって』と艶やかに微笑んだ女装家のオーナーから鍵を渡されたとき、賢人はそれだけでイきそうになるくらいの興奮を覚えてしまったほど。
門扉の中に入り、しっかりと門扉の鍵を掛け、賢人はついに現実の世界から乖離する。
先に来ている相手はどんな男なのか分からないが、名無し を通している以上は安心できる相手だと分かっていた。
喉を鳴らして家の玄関の扉を開けようとしたところで、頭に水の冷たさを感じて首をすくめてしまう。雨かと空を見上げた夏の空は雲一つなく、どこまでも澄み切った蒼穹が広がっていた。
「よぉ、こんんちは」
雨の代わりに軽めの声は頭の上から降ってきた。見上げれば二階のベランダから賢人を見下ろすように笑う、賢人と同年代くらいの青年がいる。
アッシュベージュの淡い色に髪を染め、耳にはピアスが幾つも並んだ容貌はどこか退廃的な艶めかしさがあった。
いかにも真面目な教師然とした賢人と違い、どちらかと言えば渋谷のクラブにでも居そうな風体だ。少なくとも生真面目な賢人が送る普段の生活圏内には見当たらない男だった。
「あ、あぁ……こんにちは」
まるで近所か隣人にでも接するような気安い口調と笑顔の男は、手にしていたカラフルな玩具を掲げて笑う。それは水の容量が大きなウォーターガンだった。
どうやら先ほどの水はウォーターガンによるものだったらしい。普段の教師としての賢人なら、人に向けて打ってはいけないと注意したことだろう。
けれど賢人はなにも言えなかった。
軽そうで人好きがしそうな甘い容貌が浮かべる表情の中で、その瞳だけは加虐の色を湛えていたからだ。
――淫らな呼気が漏れる。体の芯がカッと熱くなる。
ああ、この男が、この人がリビドーの相手なのだ。
「……ひ、ィッ……ッッ、いぃぃっ!」
太陽は中天を過ぎた頃。夏の空はどこまでも青く晴れ渡り、高い壁の向こうからは時おり車が走り去る気配がする昼下がり。
昼の日中で、壁一つ向こうには慣れ親しんだ規律に満ちた現実があるというのに――。
「んぁ、ア、アァァアァァッッ!」
綺麗に整えられた芝生の上、剥き出しの尻が芝生に触れてちくちくと刺激されていた。
賢人は真っ昼間でありながら、あろうことか全裸で芝生に尻を置き、ベランダに向けて大きくM字開脚状態で股ぐらを晒していた。
「的が動くんじゃねえよ、メス豚が。そら、今度も当ててやる!」
飛距離がある加圧式のウォーターガンをベランダ越しに構えた男が、先ほどからしきりに賢人を狙っていた。
ウォーターガンの標的は賢人自身。
乳首と陰茎とアナル、この三カ所を当たりと評して男はウォーターガンで狙い続けているのだ。
ウォーターガンを扱う男の腕は確かなようで、賢人の乳首や陰茎は何度も何度もウォーターガンの水流に当てられて刺激を受けていた。
ベランダで挨拶を交わしたあとににこやかに賢人に告げられたのは、『メス豚狩り』の的になれという男の嬉々とした言葉だった。
その言葉に腰砕けになった賢人は、自ら股間を晒して的になったものだ。
興奮して勃起した陰茎を見た男は嘲り笑いながら、執拗にウォーターガンの水で叩いていやらしい的を刺激する。
「チンポに水をぶっ掛けられてヨガりやがって……おら、ケツ向けろ。的が見えねえんだよ!」
ウォーターガンでびしょ濡れになった賢人がベランダに尻を向けて四つん這いになる。標的 が見えるよう、尻たぶを自分でつかんで大きく拡げると、不様な格好に大きな嘲笑が聞こえた。
明るい太陽を浴びながら、賢人は始まったリビドーの三日間に脳が痺れる期待に目が眩みそうになっていた。
賢人の両親は、賢人と同じ厳格な教師だった。
教師には社会の規範となるように、本人にも時には家族にも強い倫理観が求められる。賢人は子供の頃から、親にも教師にも同様の倫理観を求められ、知らず知らずに抑圧され強いストレスを感じていた。
他人に肯定されることが正しいとされるその抑圧が、他人に否定されることで喜びを感じる被虐傾向になったと言ってもいい。
社会の規範となる賢人が高い壁と樹木に囲われているとはいえ、真っ昼間から庭で裸になって尻を晒し、玩具のようにウォーターガンの的になっているとは誰が信じるだろう。
「真ん中に当たるようにケツを振れ、ケツを。使えねえ的だな!」
男の失笑に盛りの付いたメス犬のように尻を振る。ウォーターガンの水がアナル周辺に当たるたびに声が溢れ、全身が淫らな快楽に浸されていく。
もっと当ててくれと更に尻を振って強請れば、哄笑したベランダの男は加圧式のウォーターガンを操作して水流を強めていく。
「ひぃ、ひぃぃぃッッ!」
ひくつくアナルの中央に強められたウォーターガンの水がまともに当たった。その刺激はもちろん、水が直腸に入り込んだ衝撃に腰が跳ねる。自分で尻肉を拡げたまま賢人は仰け反って悲鳴を上げてしまった。
悲鳴をあげた理由は、賢人の股間から溢れる液体のせいだ。
――賢人は失禁したのだ。
倫理観が強い賢人が真っ昼間の庭で、アナルに水を当てられた刺激に漏らしてしまい、その姿をベランダの男に観察される――ぶわりと羞恥が込み上げてきた。
「……あ、……ぁ……」
背徳の快楽と昼間の庭で粗相をしたという恐怖感。子供の頃から戒められてきた禁忌を容易く破った自分自身にパニックを起こしそうだ。
だが賢人の状態を見計らったように、残忍で、けれども内実は優しい声がそれを押しとどめる。
「だらしねえ水鉄砲だな。なぁーんにもしねえうちから壊れて漏らしやがった」
賢人を追い込む言葉に見えるが、嬲る声を聞いたことで逆にパニックは治まってしまう。男の言葉責めに心のどこかで「これはプレイの一環なのだ」と理解できたからだ。
ひどい真似に見えるが、ここは安全な場所で安全な相手と共に楽しむSMプレイ。
賢人が居る場所はそんなところだ。
笑っていた男の姿がベランダから消え、しばらく後に玄関から賢人の前に現れた。
片手にリードの着いた首輪を持って。
男の容姿は背徳的な色香がある。派手な服装と胸元を開けた柄のシャツが、本業は水商売をしているような雰囲気を思わせた。
「俺がお前のご主人様だ。お前の良識人ぶった化けの皮を剥がしてやるご主人様にちゃんと挨拶をしな」
冷笑を浮かべた男は傲慢な態度で上下の差を態度を示し、賢人の目の前へ赤いエナメル質の首輪を晒した。首輪にはタグが付いており、そこには『変態家畜』の文字がある。
普段の自分とは相容れない4文字に、どうしようもなく体が疼いて火照ってしまうのは、度が過ぎた被虐嗜好のせいか。
生徒の、社会の規範となるべく身を慎んできた賢人が、教師の誇りを捨て、人間の尊厳を捨ててまで、惨めな変態家畜に堕とされようとしているのだ。
失禁で濡れた陰茎が堪えきれずに勃起しかかる。あの首輪を嵌められたら、自分はどうなってしまうのだろう。
晴れ渡った爽やかな空の下、気がつけば賢人は男の足下に平伏すようにして、『人間を辞めた変態家畜です。ご主人様には絶対服従しますので、どうかご主人様の性処理用として存分に玩んで下さい』と家畜の挨拶をしていた。
「いいか、これからお前は“家畜一号”だ。人間の名前は糞より価値がねえ。それに家畜に言葉はいらねえはずだが“はい”と“ご主人様”、あとは家畜のみっともねえ鳴き声くらいは許してやる。分かったか」
芝生の上で裸で土下座する賢人の後頭部を踏みながら、男は支配者然とした口調で傲慢に言い放つ。
「はい。ご主人様」
“賢人”と言う名前は、鍵が開いてしまったここでは必要なかった。それは人間らしい日常に置いてきた単なる記号だ。
後頭部に感じる靴裏の重みに肌を震わせながら、賢人は“主”の言葉を待つ。
「家畜一号、家畜に相応しい格好をさせてやるから顔を上げろ」
靴底の圧迫が消えておそるおそる顔を上げれば、“変態家畜”のタグが下がった赤いエナメル質の首輪が目の前にある。
「……あ、ぁ……」
鼻面にあるタグの文字を見て、だらりと唇が緩んで艶めかしい声が出てしまう。
「首輪を見ただけで涎垂らして鳴きやがって……この豚が! 首輪が嬉しいのか! 引き摺り回されてぇのか!?」
賢人の首に赤い首輪を装着しながら、男は蕩けた表情の賢人を罵る。軽く首が絞まる圧迫感と荒い言葉の数々。
だがそれすらも嬉しい。
「はい、ご、ご主人様……」
首に掛かる負荷に全身から喜びが芽生えてきた。
ずっと正しく、人の規範となるように生きてきた三枝賢人という人間。尊敬され、見上げられる存在になるように律してきた鍵を開ける前の自分。
でもここはそんな息苦しい規律は無用だ。
ただ獣になり、家畜になり、蔑み、見下される生き物でいいのだ。
教師である三枝賢人は、ただの家畜になった。
「んひぃィッ、ひ、ひぐッ、う、うぅぅぅぅッッッ」
「ほら、もっと鳴け! 不様に泣き叫べ、豚が!」
リビドーの鍵を開けてからかなりの時間が経ったのに、賢人は家に入ることなく未だに庭に居た。
正確には庇の下にある二人掛けのデッキチェアに居るのだが、デッキチェアには誰も座っていない。
デッキチェアに顔と上半身を預け、綺麗に磨かれたデッキチェアを涙と涎で汚しながら賢人は泣き喘いでいる。
賢人が来ていたスーツを膝の下に敷き、四つん這いに似た格好でデッキチェアに縋って尻を突き出す惨めな格好。それだけではない。男は賢人の背後に立っていきり立った陰茎を賢人の尻に押し込みつつ、長い片足を上げて賢人の頭を踏み躙っているのだ。
片足で立つ格好でも男の姿勢はしっかりとしていて崩れることはなさそうだが、さすがに自分が片足立ちのせいか賢人に尻を振ることを強要している。
「もっとケツを振れ、ケツを! ご主人様のチンポを気持ち良くさせるんだよ! ゆるゆるで締まりが悪い穴だと使うのをやめちまうぞ!」
「あ、ひぃ、ッッ、んぇッ、んんぅぅぅっっ」
頭を踏まれなから、家畜の交尾のように地面に近い格好で犯されながら自分で尻を振る――堪らない非日常が始まった。
牝豚のように鳴きながら媚びて尻を振り、極まった賢人は授業でも来ていたスーツに精液をぶっ掛けていた。
嬲られ、犯され、玩ばれ――ただ、ただ、狂気にも似た快楽に浸った、リビドーの鍵を開けた初日。
艶めかしい色気を持つ主は、その甘く整った顔と裏腹に賢人を日常や常識から引き剥がしてくれるサディスティックな男だった。彼は賢人の望みを熟知している。
この家で賢人は教師でも男でも人間でも無い。
“主”である男に飼われる、性欲処理のためにだけ存在を許される家畜であり道具だ。
そう扱われたい願望を満たしてくれる男だった。
「ん、ふ、ッ……うぅ……」
被虐志向が強い賢人には最高の相手なのだが、どんなにのめり込んでも、己の欲望のみを強制はしないちゃんとしたSMプレイの一環だ。
プレイ後に私生活に支障を来したり、病院沙汰になるような真似はしないと予め取り決めがある。
本当に賢人が無理だ、イヤだと思ったら、事前に取り決めしたセーフティワードを口にすればいい。そうすればどんなハードなプレイでもそこで中断するのがマナーなのだ。
庭でさんざんに玩ばれ、暗くなってからは牢獄のような地下室に場所を移して嬲られ、賢人は泣きながら許しを乞うて悶え狂ったが、セーフティワードは言わなかった。
男の責めと匙加減は絶妙だったし、枷や首輪の裏は肌を着付けないようにクッション生地が貼られていた。責め具も鞭は音が大きく響くがミミズ腫れさえ残らないように調整され、全てが安全に使用できるように配慮されていた。
きっと責めることに手慣れているのだろう。
初日の期待と興奮から賢人の疲れを察した男は、あまり負担にならないように早めに休ませてくれ、プレイ以外は気遣いを見せてくれる人だった。
だが体力が回復したであろう夜明け前に賢人は男に起こされ、二階にあるトイレへと連れて行かれた。
昨日首に提げられた“変態家畜” のタグを取った男は、賢人の前に別のタグをひらひらと翳して見せる。
そこにある文字は、“肉便器”だった。
昨日と同様、その文字を見ただけで腹腔が熱くなってくる。
「今日は俺の精子便器として働けよ」
ぞくぞくと震える賢人に、男は男性用の小便器に座るように命じる。
実は排泄用では無くプレイ用に設置された清潔な物とは言え、ちゃんとした本物の小便器だ。
受け口に尻を着け、本物の便器を椅子代わりに座った賢人は興奮で息が上がってしまう。
小便器に座り、両手足を拡げて鎖で繋がられた賢人の姿は、引っ繰り返って腹を晒すカエルにも似ていた。
もっとも惨めな格好も便器と一体化させられるのも、今の賢人には興奮の材料でしか無かったが。
最後に男は賢人に口枷を嵌める。
それは円状のシリコン製リングがあるタイプで、賢人の歯に当たるように口に嵌めれば、丸く開いた口はシリコンリングで閉じれなくする口枷だった。
しかも口腔部分の丸い穴にはそれを塞ぐ栓があり、使用するためだけの道具感が嫌でも増す。
最後は首輪に付け替えられた、“肉便器”のタグ。
便器に固定され、体を開き、口を開かされる、まさに肉便器だ。
興奮する賢人をよそに、男はもう一眠りするとさっさとトイレから去ってしまった。
小便器に固定され、放置された賢人はくぐもった呻きを漏らす。
――ひどい。
――ヒドイ。
――あんまりだ。
――使ってくれないなんて。
興奮で勃起した賢人の陰茎から、たらたらと先走りが溢れてうまい具合に小便器の中に垂れていく。
違うと思った。
自分は便器を使いたいのでは無く、肉便器として使って欲しいのだ。
早く、早く、俺を使って貶めて欲しい。
頭の中は肉便器になる期待感でいっぱいだった。
男が戻ってきたのは、一時間近くも経ってからだった。
朝だというのに外国産の瓶ビールを口にしながら、足でドアを蹴り開けてくる。
「は、肉便器が便器汚していやがる」
嘲笑を含んだ声。
嘲笑されても仕方ないだろう。プレイ用とは言え、小便器と一体化させられた賢人は、涙と涎だけではなく先走りまで溢して辺りを汚しているのだから。
「トイレはキレイに使いましょうってガキでも知っているんだぜ? ……まぁ汚ッたねえ公衆便器もあるが――ああ。そうか。汚い便器にはラクガキが必要だよな?」
疼く体を放置され、道具として使用しても貰えず、その切なさと物足りなさに泣いていた賢人と目を合わせる瞳は冷酷なのに艶めかしい、
賢人の目の前で男が取り出したマジックペンのキャップを外した。賢人は知らないが、子供の肌にも使える果実を原料とした水性インクだ。
「……ぅ、ふ……ッ、ふ……ッ」
素肌に触れるペン先の感覚に興奮が募る。顔や胸、腹、股間……触れるたびにとぷとぷと溢れる先走りが止まらなかった。
「ん゛っっ……ゥッ!」
ぎゅっと先走りでドロドロの陰茎を荒々しくトイレットペーパーで拭われる。そしてまた先走りて濡れるまでに裏スジにも何かを書かれて賢人は仰け反って歓喜に呻く。
何を書かれているのか、どんな惨めな姿なのか、それを想像するだけで達してしまいそうだった。
「おー、いいじゃん。いかにも便器って感じだな――ほらよ、オマケだ」
便器化した姿を眺めていた男が口角を吊り上げ、小さな作り置き棚に有ったボトルを取り出す。キャップを外し、腹を押して中身を賢人に振りかければ、独特の臭気とぬるりとした感触に体が塗れてしまう。
覚えの有るそれは、本物ではないが本物そっくり作られた擬似精液ローションだった。
髪や顔、体を汚すのは精液を模したローションでしかないのに、まるで大人数に使用され射精された錯覚を産む。
卑猥な文字を伝うローションの感触に四肢を繋ぐ鎖を鳴らして痙攣する賢人の耳にシャッター音が聞こえた。音のする方に目を向ける前に、べっとりと擬似精液で汚れた髪を掴まれた。
顔を上向かせられ、開口具で丸い穴のようになった口に男の滾った陰茎が押し込まれる。舌を轢き喉に追突する肉の凶器。
そのまま道具でも使うように抜き差しされれば、賢人の後頭部がゴッゴッと小便器に当たって固い音を鳴らした。
余りの惨めさに涙が浮かぶが、その涙の成分は半分以上が自分が無価値だと思い知れた歪んだ喜びだ。
ぐっと男の腰が突き出され、賢人の鼻先が男の陰毛に触れる。
射精する瞬間、男は何も言わなかった。嬲る言葉も嘲笑もない。
トイレを使うときに便器に向かって語りかける奇行など誰もしないように、男にとって賢人の口に射精することは文字通り日常的な排泄と代わらないのだ。
「……ん、ぶ……っ」
射精をするだけしたら、さっさと男は腰を引いてジーンズのファスナーを上げて身支度を整えてしまう。単にトイレを使っただけ。その態度の淡泊さに賢人の体は疼くばかりだった。
「ほらよ、肉便器野郎。これがお前だよ」
無価値な存在に成り下がり、口に残る精液の味に酩酊しそうになっていた賢人の目前に晒されたのは、ポラロイドカメラで撮った写真だ。デジタル画像が残らないタイプの機種はこういったリベンジポルノなどでも悪用されにくく、その場でのみプリントアウトできる仕様は、この状況では最適なアイテムだった。
「……あ、ぅ……」
目の前にあるポラロイドの写真。
小便器に座り、大股開きで拘束された賢人に威厳も尊厳もない。
ただの性処理に使われるだけの道具、それだけだった。
何よりも“メス豚”“淫乱家畜”“使用済み精液便所”“チンポ大好き”“チンポ待ち”“使用制限無し”“無料開放コキ穴コチラ→”など、卑猥な言葉を体に書かれ、擬似精液ローションを掛けられた姿は、まさに薄汚れた公衆便所のようだった。
「……ッ! ……っ、ふ……ッ!! ん゛ーーーッッ!!」
日常とはかけ離れた世界。規律からはみ出した自分。正しくある必要も無い場所。
自分が望んだ世界に浸り、溺れそうになりながら、脳が沸騰したように賢人は絶頂していた。
「……ッ、あ……あ゛ッ、……ン、ッ……ぎ、ぃ……」
「汚ったねえ声だなぁ? 屠殺される豚かよ? ――ああ、前はチンポ狂いのメス豚だったか? 今はメス豚以下の肉便器だけどな?」
小便器に押し込められるような拘束も口枷も既に解かれていた。だが今の#賢人__けんと__#は小便器の受け皿に顔を押しつけられ、床に這うような低い四つん這いで男に“使用”されている。
その姿は尊厳のある人間ではなく、ただ使われるだけの道具そのものだ。
人間として最低な姿。しかしこれは賢人が望んだ悦びだ。
小便器はプレイ用に設置されているだけで、実際に排泄目的で使われていない清潔な代物だが、便器という場所に顔を押しつけられる屈辱感はそれだけで一入だろう。
「ほらもっとケツ振りな! 俺のチンボが善くならねえだろうがっ! てめえの価値なんざ便器より下なんだからよ!」
罵声と共に揺れる尻を叩かれる。そこには右の尻肉には“チンポ専用肉便器”、左の尻肉には“0円”“在庫処分”と正の字が途中まで書かれている。そんな惨めな尻を振って犯される事を強請る無様な便器が自分なのだ。
「締まりが悪くなったら使えねえ肉便器なんざ廃棄してやるからなぁ?」
パンパンパンとリズミカルに尻を叩かれ、そのたびに緩い蛇口のように精液混じりの先走りを噴きながら、賢人は尻をうねらせて喘いだ。
なんて無価値なんだろう、自分は。
嗤われ、否定され、嘲笑され、だからこそ正しく有る必要も無い。
もうエリートコースを歩んできた、生真面目で優秀な教師はどこにも居なかった。
ただ名前も知らない男に使われるだけの、快楽に媚びる薄汚れた便器が有るだけだ。
「……ん゛ッひ、ッッ、ん゛ん゛ーーっっ」
「はぁん? またイくのか。あぁ? ケツ叩かれてイくなんざ、薄汚えだけじゃなくマゾ肉便器かよ!
ほら、謝れよ。チンポ狂いのマゾ肉便器でごめんなさいって謝りながらイけ!」
そうだ、マソだ肉便器だ。
男の言葉が体を賢人のさらに熱くし、逞しい陰茎で擦られた尻穴は蕩け、脳は精液と攪拌されみたいにグズグズになった。
小便器に顔を押しつけた賢人は、床に自分のびしょ濡れの陰茎を擦り付けながら、腹の奥からこみ上げる圧倒的な幸福感のまま叫んだ。
「ひ、ぅッッ、……ご、ごめ……ッ、ごめん、な……ッあ、あぁッッ……ま、マゾ、にく、べんき……でごめん、なさ……ッッ」
「チンポ狂いが抜けてんじゃねえか、あぁっ!? チンポ要らねえなら抜いちまうぞ?」
ずるっと自分の中から抜けそうな暴虐の熱に泣き叫びながら賢人は尻に力を込めた。
「い、やぁ……ッッ、抜か、ないで……ッッ、チンポ、ちん、ぽ……ちんぽ、狂い、の……ッッ、マゾ、べんき……ッッです……ッ、ごめんなさ……ち、ちんぽ、好きで……っっ、ごめんなさ……いっっ……イ、イ……ッッイくうぅぅッッ!! チンボ、ちん、ぽ、でッッイ゛ッグうぅっっ!」
ガクガクを激しく腰を振りながら、小便器に縋るようにして賢人が達する。理性も規律も射精と共に床に飛び散って行く。
今まで何度もSM倶楽部[[rb:名無し > ノーネーム]]でプレイをしてきた。どれも気持ちよかった。だが何かが足りなかったのだ。
今、足りなかったピースが埋まって全てが完成する。
その快楽と幸福感は、人生で初めての強烈さだった。
「チンポチンポうるせえなぁ……正真正銘のチンポ狂いだな。――ほら、なに浸ってんだよ。大好きなチンポ、もっともっと恵んでやるよ」
「……ひ、あぁ……ま、待っ……まだ、イッ……って……ひぐぅッッ、また、ちんぽ……ちんぽ、がぁ……ッッ……ちんぽ、すごい……ッ、ひ、ひッ……また、い゛グ……ッッ……ちん、ぽ……で、イき死んじゃ、う、うぅぅッッッ」
達したばかりで息も整わないうちに、敏感なトロ肉をまた抉られる。
前進の神経が焼き切れそうな快楽の波がまた押し寄せ、賢人はよがり狂うしかできなかった。
時間は過ぎる。
夢は覚める。
それは当たり前のこと。
真面目に生き、教師らしい規範を旨に抑圧してきた自分が解放されるというのは、こんなに喜びに満ちるのだと賢人は生まれて初めて知った。
被虐嗜好が指の先まで満たされる充足感は、とうとう賢人に最後までセーフティワードを言わせなかった。
もともと被虐趣味があったとは言え、やりたい事とやりたくない事、出来る事と出来ない事がある。
相手が本気で嫌がる行為は強制しない、それがこのリビドーの鍵を受け取るときに決められた、絶対に破ってならない決まり事だ。
プレイを中断するセーフティワードは、殆どM側が言う場合が多い。体に負担が掛かるのはM側なのだから当たり前だろう。
確かにハードプレイで体の負担は大きかったが、相手の加減の仕方は絶妙で、限界ぎりぎりのところを責める手管に賢人は悶えるばかりだった。
アナルバイブを尻尾代わりに首輪を付けて庭を散歩し、テーブルの上では卵形ローターを産卵するみたいに産んで見せた。
生徒の前では厳しくも穏やかな教師の顔で授業をしていたくせに、勉強の時間だと目の前に出された一桁の足し算も不正解になる始末だ。
なにしろ答えは分かっても回答欄に答えを書き写すのは、アナルに極太のマジックを咥えて腰をうねらせねて数字を書かなくてならず、回答欄から文字がはみ出て不正解にされたのだ。
答えを間違うたびに正解の数字のぶんだけ尻を叩かれ、そのたびに教師としてもプライドも粉微塵にされて泣きじゃくった。
閉ざされた二人だけの空間は、賢人にとって本当の自分を知る最高の舞台だった。
滅多に使わなかった寝室のベッドの上、拘束されることも体にラクガキされることもなく、賢人と男はゆるやかに抱き合っていた。
「大丈夫? やり過ぎたかな?」
よく聞けば男の声は耳に優しい甘い声だ。こんな声を聞いたのは、ここに来てから初めてかもしれない。
「いいえ――最高でした。その……新しい扉が開いた感じです」
「そう? でもそれは俺も同じかな。君があんまり可愛くて、ついつい虐め過ぎちゃったくらい」
言いながら男は賢人の唇に触れるだけのキスをしてくる。
あと数時間でこの閉ざされた世界の鍵は開き、そしてまた非現実世界を隠して施錠してしまうのだ。
――現実に戻る時間が迫っている。
羽毛で撫でるような柔らかく甘い声の持ち主が、賢人に君臨していた男と同じ相手とは思えない。
そう言えば出会ってから三日間、お互い名前も知らなかった。
名前を言うくらいはルール違反ではないが、直接に互いの素性を探るのは許されないルールだ。
ここは現実と切り離された場所だからこそ、現実の臭いを持ち込んではならないと固く約束させられている。
甘い顔の男はプレイ中は酷くサディスティックだったのに、プレイ以外では世話焼きで優しい好青年だった。
最もこれは彼に限らず、Sと言うのはプレイ以外では紳士的で甲斐甲斐しいタイプが多いのだが。
だから彼が優しいのはきちんとSMプレイを楽しむ男のありがちな態度であって、自分が特別な訳ではないと賢人は理解している。
濃厚な刺激と開放的だった三日間。
男の優しく触れる体温に微睡む視線の先には、初日に来ていたスーツがクリーニングされた状態で置いてある。
清潔で糊が効いたスーツを着込み、ネクタイをしっかり締めて賢人は日常へと戻っていく。
非日常の世界も、解放されるのも、ここまでだ。
それが寂しいと思うのは、賢人だけなのだろう。
暑かった夏は過ぎ、秋は通り越し、季節は冬。
あまりに濃く短かったあの日の三日間は夢だったのかと思えるほど。
今でも鍵を開けた三日間を思い出すと体の芯から疼く。
疼いて切なくて苦しくて……その隙間を埋めようと、何度かSM倶楽部名無し を訪れ、キャスト相手にプレイを試みたことがあった。
あらゆる業界に太いパイプを持つ名無し のキャストはよく教育され、あの三日間がなければ満足できるくらい素晴らしかったが、それでも賢人の心を埋めるには至らない。
彼らのプレイが悪いのではなく、単純に相性と賢人の心の問題なのだ。
――馬鹿みたいじゃないか。
名前も知らない、たった三日間過ごしただけの相手に惚れるなんて。
あまりにも肉体の相性が良すぎて心が惹かれたのか、心が惹かれたから肉体が追従したのかは分からない。
けれど賢人は彼に惚れてしまっていた。
たぶん、本当の意味で彼でなければもう体は満足してくれないのだろう。
馬鹿みたいで、情けなくて、だから次第に賢人は誰かと体を合わせることに苦痛を感じ始めた。
終わったあとは、ただ、ただ、寂しくなるのだから。
「……ふ、うぅ……ッ」
今、賢人を慰める物は三つだ。
あの日に撮ったポラロイド写真と、アナルバイブと、トイレ――。
「ん、ぁ……は……ッッ」
自宅のトイレで蓋を閉じた便座に座り、大股開きで自分の陰茎を握って扱く。先走りで濡れた竿がくちくちと興奮を煽る音を鳴らすが、それでも賢人は自分のどこかで冷めている部分を感じている。
尻に埋まったアナルバイブは絶えず振動し、賢人の切ない内側を少しの時間だけ慰めてくれるが、それでもあの熱い肉の凶器には大きさそのものではなく、体中に熱を走らせるには足りなかった。
だが不思議なことに、他人の体温を感じる陰茎よりも、温度のないシリコンのバイブのほうがマシなのだ。
代わりにわずかでも熱を産んでくるのは、トイレのドアにクリアファイルに入れて貼られたポラロイド写真。
体にラクガキされ便器に繋がれた自分の惨めで淫らな本質を暴いた姿だけが、賢人にあの時の熱を思い出せてくれる――。
「……あ、ッ……イ、く……っ」
アナルバイブが激しくうねり、陰茎を擦る手の動きは速くなる。
あの三日間には足りない快楽でも、写真を見ながら顔や体温や声の記憶を掘り起こせば、三日間で馴染んだ体は反応してしまう。
「……は、ぁッ……ん、んぁ……ッッ……ほし……い、……ッ、ご、しゅじん、さ、ま、の……ちんぽ、ほしい……っ、んんッッ」
せめて名前を聞けば良かった。
名前だけでも聞けば、今こうやって虚しい自慰で達する瞬間、名前を呼べたのに――。
だが賢人は分かっていた。
賢人が本気で彼と連絡を取ろうと思えば、さほど難しくもなく可能だったのだと。
名無し の店か、あるいはオーナーを通せば連絡は取れただろう。
非現実の世界に現実を持ち込むことは許されないが、お互いが現実の世界で出会ったなら自由だ。
人を介してでも、偶然の再会でもいい。
同じ名無し のSM倶楽部の系列店やバーに行けば再会する可能性は高かったし、キャストや店に話を聞けば彼を探し出せたのだ。
けれど賢人は出来なかった。
会いたいのは事実だが、心底惚れてしまったからこそ、セフレのように出会うことが怖い。
自分だけが本気で、自分だけが嵌まって、自分だけが取り残される――それが怖かった。
思春期の少女のような夢見がちな再会を望む馬鹿げた希望は、春が来る前に捨て去るべきなのだろう。
虚しい射精の後始末をして、火照った体が鎮まった頃合いに一本の電話が鳴り響いた。
見知らぬ番号は警察からだった。
驚きつつ話を聞けば、担任ではないが教科担当をしているクラスの生徒が、塾の帰りに暴漢に絡まれたとのこと。幸いに通りかかった青年が間に入り事なきを得て、生徒には怪我もなかったようだが、未成年であることと生徒の親が出張で不在のため、学校側の誰かに引き取って欲しいとの連絡だった。
教師として否やはない。
教師としての賢人は教育熱心で責任感もある男だ。
名前を聞けばその生徒とも割合に話す間柄でもあったし、それで生徒が頼るならと自分を呼んだのだと推察した。
先ほどの切なさを忘れるように、きちんとネクタイを締めて規範と威厳に満ちた教師に戻り、生徒が保護された交番へと向かう。
そして賢人はそこで出会うのだ。
生徒を救ってくれたアッシュベージュの髪と幾つも並ぶピアス姿の、どこか退廃的で艶めかしい出勤前の“ホスト”と。
探して見つけるのではなく、偶然出会ってしまったのなら、きっと賢人は思春期の少女のように堕ちるかも知れない。
互いに何か引き合う物があったのだと思う程度に、賢人はロマンチストな部分を持っているのだから。
タクシーが交番の前に停車する。
タクシーから降りる。
扉の前に立つ。
なぜだろう。
どこかで施錠されたはずの鍵が開く音が聞こえた気がした。
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