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第4話

 翌朝――。  電気ポットの沸騰音で晴人は目を覚ました。  狭いキッチンの換気扇の下で煙草を吸っていた百合斗が「おはよう。インスタントのだけどコーヒー飲む?」と声をかけた。  晴人は未だふわふわと覚醒しきっていない頭で「ん」と短い返事をする。 「まだ寝ぼけてるね」と楽しそうに百合斗が呟いたのを聞きながら、晴人は再び微睡の中に沈んだ。  コーヒーと甘い香りが晴人を覚醒に導いた。  体を起こすと、昨夜の余韻があり無意識に左手が腰に伸びる。  晴人が腰をトントンと叩いていると、百合斗がマグカップをサイドテーブルの上に置いた。 「おはよう、よく寝れた? はい、ハルのはカフェオレ」 「ああ。昨日は途中で落ちて悪かったな」 「全然。久々にハルと遊べただけで僕は満足だからね」  晴人の使っていたブランケットに百合斗が手を伸ばしたときに、彼から甘い香りがすることに晴人は気がついた。 「なんか、甘い匂いする」  晴人が鼻をスンスンと鳴らしていると、百合斗は少し考えてから何かに気がついたように「ああ」と手を叩いた。 「これの匂いかな?」  そう言って百合斗は、サイドテーブルの引き出しから甘い香りのする茶色いパッケージの小箱を差し出した。 「煙草か?」 「そう。お客さんからもらったんだ。今まで吸ってたのと同じくらい吸いごたえがあるのに、煙草臭さが残らないから変えたの」  百合斗は一本取り出して、小箱の方は晴人に渡した。  新しいおもちゃを与えられた子供のように瞳をキラキラとさせている晴人を横目に、百合斗は煙草に火を付ける。  ふわりと甘い香りが辺りに充満した。 「知らなければ煙草だとは想像つかないな」 「ふふふ。でしょ?」  百合斗は、晴人の横を腰を下ろす。 「味も甘いのか?」 「吸ってみる?」  百合斗が吸口を差し出すが、晴人はそれを避けて百合斗の唇を指さした。  晴人の言いたいことを察した百合斗は、灰皿に煙草を置いた。お互いの唇が触れると、晴人が百合斗の唇に舌を這わせる。晴人を迎え入れるように百合斗が口を開くとゆっくりと晴人は舌を侵入させる。  唇の甘さとは裏腹に百合斗の舌は濃い煙草の苦味が残っていた。 「吸わなくてよかった」  口を離した晴人は百合斗を睨みつけながらカフェオレを飲み干す。  ミルクが口の中に残った苦味を打ち消した。 「メンソしか吸わないハルの口には合わなかったかぁ」 「香りは嫌いじゃないけど、その味は苦手だ」 「じゃあ、ハルとキスする直前に吸うのはやめておこう」  百合斗はいたずらっぽく言った。  燃焼剤の入っていない煙草の火が消えたのでふたりはソファベッドに寝転がる。  特に言葉は交わさない、お互いの肌に触れるだけ――。 ***  昼過ぎまでゆっくりと過ごしたふたりは、百合斗が店の準備に行くタイミングで解散した。  夕飯の材料でも買いつつ帰宅しようと駅の方面に向かう晴人の背後から声がかけられる。 「結城先輩! 奇遇ですね。もしかして、近くに住んでるんですか?」  声の主は、昨日の夜思いも寄らない場所で再会をした後輩の神代柊真だった。 「……」  嬉しそうに走り寄ってくる神代に晴人は思わずたじろぐ。 「俺もこの辺りに住んでるんですよ!」  晴人が返答に困っているのを良いことに神代は矢継ぎ早に色々と言葉を紡いだ。  捲し立てるように話す相手に晴人が曖昧に返事を返していると、いきなり神代は「嬉しいです!」と言って晴人の腕を引いて歩き出した。 「ど、どこに向かってるんだ?」  やっと状況の整理が追いついてきた晴人が神代に問う。 「この前美味しい小料理屋を見つけたんですよ。お酒の揃えもいいので今日はそこで飲みましょう! こんなに早く先輩とお酒を飲める日が来るなんて!」  曖昧な返答をしているうちに神代と飲みに行く流れになっていた。 「え……。なんでそうなった?」 「昨日の夜、今度飲む約束したじゃないですか。あ、もしかして先輩お酒飲むと記憶なくしちゃう感じですか? だからサークルの飲み会もほとんど顔出さなかったんですね!」 「いやいや、そういう話ではなく……。というか、昨日の今日はないだろう」 「もしかして、この後何か用事がありますか?」 「特にないが……」 「なら丁度いいじゃないですか! 思い立ったが吉日です」  うっかり本当のことを答えてしまったことに気がついた晴人がはっとする。  このあと予定があるとでも言っておけばこの押しの強い後輩の誘いを断れたのではないだろうか。  晴人が後悔している間も、柊真は嬉々とした様子で晴人の腕を掴んで彼の目的地へ足を進めている。  一晩限りの相手ならば、こんなに気を使って断り文句を探すことはしなかっただろう。  結局、柊真が見つけたと言う創作料理を出す小料理屋に着くまでに帰る言い訳が思いつかなかった晴人は、結局柊真と夕飯を食べることになってしまった。

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