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第10話

 気落ちしながらもなんとか仕事を終えた晴人が帰り支度をしていると、会議から帰ってきたばかりの久我が声をかけてきた。 「お疲れ様。もう帰れそうなところ申し訳ないけど、すこし待っててくれる? メールの返信だけしてしまわないと……」 「大丈夫ですよ。下の喫煙所で待ってますね」 「分かったよ……って、君タバコ吸ってたっけ?」  デスクの下から引っ張り出した鞄を机の上に置いた晴人に久我が問う。その顔には驚きの色を浮かべている。 「たまにですよ。普段は吸ってないです」 「そうだよね。結城くんが喫煙所にいるの見かけたことないから驚いちゃった。引き止めちゃってごめんね、すぐ終わらせるよ」 「待ってますね」  久我と一旦別れた晴人は、ビルの裏口から出て隣のビルとの間にある狭い通路にある喫煙所に足を運んだ。  晴人が入社する前は建物内に専用のスペースがあったらしいが、時代の流れと共に外に追いやられたと喫煙者の先輩がこぼしていた愚痴を思い出した。  喫煙所には円柱の銀色の灰皿がぽつんと雑に置かれていて、頭上には雨避けの庇がせめてもの救いと言わんばかりに取り付けられている。  風避けの類いはなく夏は暑いし、冬は寒い最悪の立地だが、喫煙者が減ってきた昨今喫煙所が設置されているだけで御の字だと言ったのは誰だっただろうかーー。  鞄からミントグリーンと黒のパッケージの箱を取り出し、タバコを咥える。  コンビニのレジ横で売っていたフリント式ライターに晴人が苦戦していると、隣から直押しタイプのライターが差し出された。 「ハルくんが喫煙所にいるの珍しいじゃん。ライターに苦戦してる姿が面白くて暫く眺めちゃったよ」  晴人の前に立って肩を震わせていたのは、隣のビルに入っている会社で働いている久我のパートナーの叶だった。  叶のことは久我に紹介される前から知っていた。彼もまた百合斗が営む『cafe & bar クレオメ』の常連であるのだ。  久我と初めてクレオメで会った時はふたりして衝撃で固まったのは今や笑い話のひとつになった。  お互い、店に顔を出す回数は少なくないはずなのにそれまで1度も顔を合わせたことがなかったのは奇跡とすら思える。 「……。このタイプしか売ってなかったんだ。仕方ないだろう」 「慣れないと扱いにくいよね、その手のライターって。僕手持ちにいくつかあるから今使ったやつあげるよ」  受け取ったライターでようやくタバコに火をつけることが出来た晴人を見守っていた叶はそう言う。 「悪いからいい」 「気にしないで、紙巻きたばこ吸ってる喫煙者ってのは売るほどライター持ってるんだから。無くしたと思って新しいの買うと出てくるんだよ」  叶は「ほら」ウエストポーチから更にカラフルな数本ライターを取り出した。 「うわぁ……ほんとだ」 「いや、なんで少し引いてるの?」 「想像以上に沢山持ってたことに驚いて……。それにしても、叶とこんなタイミングで喫煙所で会うとは思わなかった」 「ああ、それは陽一さんが今ならハルくんが喫煙所にいると思う、ってメッセージくれたんだよ。最近、なかなか百合斗さんのお店で会うことなかったから、久々に会いたいなぁって来ちゃった」  語尾にハートマークが付きそうな話し方に晴人は思わず吹き出しそうになった。  叶は見た目こそ垢抜けているが、話してみると芯の通った好青年なのである。  時折、おちゃらけてみせるが本来の生真面目な一面を知っている晴人からすると、彼の奔放な話し方は違和感を覚える。 「金曜日に行ったけど閉店間際だったからなぁ……」 「その後ふたりでしっぽり……ってやつ? ハルくんと百合斗さんってお似合いだから付き合えばいいのに……」 「ないなぁ」 「ないの? 百合斗さんって面倒見もいいしいいと思うんだけどなぁ」 「俺は自分の意思で恋愛はしないって決めてるんだって。恋人になる必要性を感じたこともないしな。それに、百合斗も特定の相手を作らないってのはそれなりの理由があるんじゃないか?」 「ま、僕はハルくんに恋人を作るべきなんて押し付けがましいことをいうつもりはないけどね」  そういいながら吸い終わったタバコを灰皿に捨てた叶は、ぐいっと体を伸ばした。  頭を左右に揺らすと頚椎のあたりからパキパキと小さく音がなる。 「最近、忙しいのか?」 「うーん、そこそこ。水曜日までに上げないといけない案件がいくつかあるから今が修羅場ってところかな」 「大詰めってところか」 「あ、でも!」  叶が、何か思い立ったように晴人にずずいっと顔を近づけた。 「お、おう。どうした」 「今日陽一さんと飲みに行くんでしょ? その飲み会僕も後から合流しようと思ってるんだけどいいかな?」 「それ、俺が断らないって分かってて聞いてるだろう」 「だって、陽一さんだけハルくんと飲むのずるいぃ。僕もハルくんと飲みたいぃ」  駄々をこねる子供のように体をくねらせる叶の行動に耐えきれず、喉と鼻の間あたりから変な音が出る。  叶は恋人である久我と、同じ性的嗜好である晴人が二人で飲みに行くのを警戒してこう言っているのではない。  晴人はパートナーのいる久我にはなから興味もないが、お互いを信用している久我と叶の関係は素直に羨ましく思うことはある。  昔の苦い恋愛経験のせいで恋人を作ることに酷く臆病になっている晴人ですら、こうも幸せそうな二人を見ていると恋愛も悪くないかもしれないと思ってしまうのだから二人の絆はそれほどまで強いのだろう。  あるいは、あの時負った心の傷が癒えてきているのかもしれないーー。

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