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第3章ー第36話 蒸し風呂の悲劇

 軽装になっても、室温が高く設定されているせいで、役所内は蒸し風呂みたいな暑さだ。二階は市民の出入りがないものの、場所的に一階よりも蒸す。クールビズビズが始まった当初は、ボタンが云々(うんぬん)なんて言っていた田口も、暑さには敵わない。 「暑い、暑い」  渡辺は朝よりも更にボタンを一つ外した。 「本当に暑いですね……」  さすがの田口も無駄口に混ざる。それにしても、この暑さ。七月になって、ますます熾烈さを極める。  矢部はすでに戦意を失い、ひたすらうちわで自分を扇ぐことに専念している。谷口は、比較的痩せているので暑さには強いようだが、それでも汗を拭いてばかり。集中力が欠如しているのが見て取れた。 「暑い……」  朝から食欲もないくらいの暑さ。どんなことでも、我慢できる精神力を持っている田口ですら、仕事に向き合う気力が持てない。売店で買って来た水をほおばる。  ――今日は何本目だ?  午後になって、二本は飲んだのだろうか。自分の企画も大詰めで、こんなことをしている場合ではないし、新しい企画書の提出期限も迫っている。時間がないのに、まだ初稿があげられていない。  みんなが集中力切れで仕事にならない中。保住だけが、下を向いて黙々と書類を見ている状況だった。 「係長ってすごいですね。文句ひとつ言わずにやってますけど」  普段はそんな話題を自分から振ることない田口だが、つい言葉に出る。仕事をしたくない気持ちがそうさせているのだろう。 「文句ひとつも言わない」  谷口は復唱した。 「え?」 「文句ひとつも?」  矢部も同じ。田口を除いた三人は、ぱっと顔を上げてお互い「しまった」という顔をした。 「やばい」 「係長の面倒をみるの忘れていた」 「渡辺さん……」  田口には意味がわからない。瞬きをしていると、谷口につつかれた。 「売店行って水買ってこい」 「了解です」  そう言って立ち上がったのと同時くらいに、渡辺が保住に声をかけた。 「係長、あの、水分とらないと……」  彼が触れた瞬間。黙々と仕事をしていたはずの保住が、机に崩れ落ちた。 「係長!?」 「係長ー!!」  部屋を出ていこうとした田口は、慌てて駆け戻る。 「昼飯食べているの見た奴?!」  渡辺の言葉に、一同は首を横に振った。今日は大人しいと思ったら。 「係長……」  そばに駆け寄ると、保住は赤い顔をして息を荒くしていた。 「おれ、病院に……」 「どうした?」  課長の佐久間が駆け寄って来ると同時に、文化課の扉が豪快に開く。 「うるさい、なにを騒いでいる」 「局長」  ――怒られる?  田口はとっさにそう思ったが、澤井は保住を見つけると、さっさと歩み寄ってきて彼を抱え上げた。 「局長」 「熱中症だ。馬鹿者。いつも言っているだろうが。自己管理くらいせんか」  保住はかなり朦朧としているらしい。声の主である澤井を見上げようとしているのだろうか。保住の睫毛(まつげ)痙攣(けいれん)していた。 「すみません……」  そう聞こえただろうか。田口はだだ呆然として立ち尽くすだけ。 「局長、あの」  手が出せなかった。どうしたらいいのかわからなくて、じっとその場に立ち尽くすだけ。 「おれが連れていく。佐久間、後はお前に任せる」 「了解しました」  澤井がさっさと事務所から姿を消すのを見送って、不安げな一同に向かい、佐久間が声を上げた。 「ほらほら。仕事、仕事。保住(ほう)ちゃんの分まで頑張るよ~」  ざわざわしているフロアは少しずつ落ち着つきを取り戻した。

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