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第3章ー第35話 クールビス始まります!

 田口が配属されて、早四か月がたとうとしていた。梅雨の時期も過ぎて、身体的には楽になるかと思いきや、今年の夏は猛暑らしい。六月になったばかりなのに、三十度以上が続いているのは異常だ。  市役所は、造りが古い。クーラーをかけて涼しくなるわけなどない。梅沢の夏は盆地特有の気候で、ジメジメして湿度が高く、不快指数マックスだ。そんな中、クールビズなるものが開始された。    出勤前。田口は鏡の前でため息を吐く。自分の大好きなネクタイがないのだ。  ――不安。不安すぎる。  クールビズとは、室温を高めに設定し、環境に配慮する代わりに、職員の服装は軽装にするというものらしい。 「誰がこんなことを考えたんだよ……」  ――いつもあるものがないのは不安。  かっちりが好きな彼が、シャツの上ボタンを外すなんてありえない。しかし外さないと昭和の小生みたいで、なんだかみすぼらしい。大きくため息を吐いて、シャツのボタンを一つ外した。 ***  気分が乗らない。沈んだ気持ちで出勤すると、他のメンバーたちも恥ずかしそうに出勤してきた。 「なんだか照れくさいな」 「いつも係長のだらしのない恰好を見て、ああだこうだ言っているおれたちが」 「こんな格好をしてもいいものだろうか」 「同感です」 「つか、渡辺さん。なんか悪いおじさんに見えますけど」  笑い出す矢部に、渡辺は「心外だ」とばかりに抗議する。 「なにを言う! おれは真っ当な善良市民だぞ? ヲタクのくせに」 「ヲタクは関係ないじゃないですか」 「おれなんて骸骨だから、ネクタイで誤魔化していた喉元が目立って。みすぼらしいです」  谷口は自分の悩みで精一杯。全く二人の争いには気が付いていないようだ。 「このヲタク」 「ちょっと太めの悪いおじさん!」 「骸骨……」  ネクタイを外し、軽装になっただけで、ななぜこんなにも揉めるのだろうか。田口は笑うしかない。自分の悩みなんて、大したことがなさそうだ。ただ見慣れないだけ。そんな悩みだから。 「おはようございます」  四人がそれぞれ好き勝手なことを言い合っていると、バンっと大きな音を立てて保住が元気よく顔を出した。 「おはようございます!」 「あ、おはようございます」  案の定、いつもと大差ない恰好。しかも煩わしいネクタイがなくなり、上機嫌そうだった。 「こんな時代が来るとは思わなかった。幸せこの上ない」  揉めていた一団のことなんて無視。いや気が付いていないのだろう。保住は上機嫌だった。まだまだ言い足りない一同だが、保住の清々しい表情に笑うしかなくなり、諍いは治った。 「係長って、結構。時代を先取りしてますよね」 「まったくだ」  四人は顔を突き合わせて、苦笑いするしかなかった。

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