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第6章ー第65話 親衛隊の任務

「新しい仕事の件でした」 「今度は、どんな無理難題ですか?」  渡辺は、神妙な面持ちで保住に尋ねた。それを受けて、彼は無表情のまま返答をした。 「教育長クラスの研修のお手伝いだそうです」  保住の言葉に、一同は頭を抱えた。 「まじか」 「嘘でしょう……」 「やはり声がかかってしまったか……」  身悶える三人を見て、田口は目をぱちくりさせるしかない。理由がわからないからだ。 「そんなに大変な仕事なんですか?」  きょとんとしている田口の反応に、隣の席に座っていた谷口は、禍々(まがまが)しいものでも見たかのような表情で腕を掴んできた。 「谷口、さん?」 「お前、この世の終わりだと言える仕事だぞ……」 「この世の、終わり……ですか?」  ――何事が始まるというのだ。教育長の研修会だろう? なにが問題なんだ?  田口は困惑して、思わず保住を見つめた。答えが欲しかったのだ。彼は田口の困惑の理由を理解したのだろう。口元を緩めて苦笑した。 「田口。バスガイドが嫌がる客の職業はなんだか知っているか?」 「え? なんでしょう? 反社会的な方々でしょうか」 「教師、警官、公務員、医療従事者」 「へ? お堅い仕事じゃないですか」  谷口が付け加える。 「お堅い仕事の人って、羽目を外したら手に負えないものだぞ。教師のトップの教育長たちの羽目の外しようったらないからな。覚悟しておけよ」 「……想像できませんが」 「体験しないと理解できんだろう。身をもって知るがいい」  悪の台詞(せりふ)みたいなことを言い放って渡辺は、顔色を悪くするので、田口は、底知れぬ恐怖を覚えた。 「でも、研修会ですよね? 羽目を外す場面あるのでしょうか?」  小さな抵抗であることは承知の上で尋ねる。それに答えたのは保住だ。 「研修会は建前。内情は年に一度の懇親会だ」  ――懇親会だって? 当然アルコールが入るということか。  羽目を外すと厄介な輩たちなのに、さらに教育長だ。自分たちのトップも教育長。トップの暴走を下々の者たちが止められるはずがない。そう考えると、これはかなり危険な匂いを孕む事業であると認識できた。 「それはやばそうですね」 「だろ?」  矢部の問いに田口は頷いた。 「係長。また、来ますよね。異動したって聞いていませんから」  渡辺は、ふと声を上げた。 「本当だ。忘れていた」 「ヤバイ、あの人はヤバイ」 「そんなに危ない奴が来るのですか?」  話の詳細がわからないのにも関わらず、そこにいる人間たちの反応を見ているだけで、気持ちがざわついた。三人は田口の戦《おのの》きようがおかしいのか、笑いを堪えている様子だが、当の本人は気が付いてないようだ。彼は至って真剣に話に耳を傾けた。 「お前な、すげえ、やべえ奴くるぞ」 「そうだ。お前の首なんか一捻りだからな」 「そんな……」  顔色も表情も変わらないのに、目が泳いでくる田口は、内心焦っている様子である。そこで、不意に一同は爆笑した。 「え? なんです? なんで笑うんですか」 「だって、ヒ……っ、面白い」 「本当、単純野郎だぜ」 「渡辺さん、そんなに脅したら田口が可哀想ではないですか」  保住はおかしくて笑っていた。おかしくて、おかしくて仕方がないと言うところか。涙を拭い口を挟む。 「脅しなんですか?」  ――不本意。  騙された感が強い。しかし渡辺は首を横に振った。 「確かにひどい思いはしたが、一番の被害者は係長じゃないですか」  ――どういうことなのだ?  田口は保住に視線を戻すが、その話題には触れて欲しくないようで、表情を険しくした。 「その話は無しにしましょうよ」 「でも、田口だって知っておかないと。親衛隊の一員であります」  谷口は啓礼をしてから田口を見る。 「県教育長の大友さんは、保住係長のファンクラブだからな」 「ファ、ファンクラブ?」 「そうだぞ。受付していると、係長の手を握るし。懇親会では、必ず係長の後をくっついて歩いているからな」  矢部も口を挟む。 「そんな事ってあるんですか?」  渡辺が説明を付け加える。 「(たち)が悪すぎる。県のトップだぞ。おれたち市の職員が太刀打ちできる訳なかろう。二年前も手伝いをさせられた事があってさ。その時に随分と係長のことをお気に召したようだ。  今回も来るだろうし、あれ以上の接触を図って来るかも知れない。おれたちには、研修会を成功させるとともに、係長を守るという使命もあるわけだ」 「渡辺さんは、大袈裟ですよ。そんな事ありませんって。たまたまですよ」 「係長。そんな隙だらけのことを言っているから、付け込まれるんですよ」 「そうです。しっかりして」 「おれたち、頑張りますから。な、田口」  三人にそそのかされて、田口も大きく頷く。 「おれが体を張ってでも、守り抜きます」 「おお! 鉄壁(てっぺき)!」 「すげえディフェンダーだ」  どんと胸を張る田口が頼もしいと、黄色い声が飛んだが、保住は苦笑いを見せた。 「男に守られるほど、落ちているつもりはないがな。それよりも、さっさと仕事に戻りましょう。いろいろと仕事が詰まっていますよ」 「はーい」  「せっかく面白い話だったのに」と谷口は呟く。  しかし、田口は本気モードだ。そんな危ない輩とはどんな奴だ。さしずめ、おばちゃんだろう。ズケズケと物言いをする輩か。田口は自分の仕事ができた、とばかりに、真面目な顔で仕事に戻った。

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