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第17章ー第142話 口喧嘩

 事務所の電気がついていた。長時間座っているのは腰に響いた。まだまだ、後遺症が尾を引いているということだ。会議を終え、腰を押さえながら事務所に戻ると、田口と十文字が必死の形相で話をしていた。 「おれは、そうは思わない」  田口の声に、十文字が食ってかかっていた。 「では、どう思うのですか? 田口さんの考えを教えてくださいよ」 「いいか? この企画はそもそもそういう目的で始まっているのではないのだ。だからこの評価では的が外れる」 「そっか。目的とは逸れるのか」 「そう思わないか?」 「そう言われるとそうです」 「では当初の目的、評価基準はどこだったのか?」 「えっと……」  ――田口は随分成長したものだ。  初めての企画書で、大泣きをして大騒ぎをしたことを思い出す。保住は苦笑した。横槍を入れるつもりはないが、腰が痛むのだ。早く帰りたい気持ちが強いのだ。  そばの壁に手を付け、しばらく立ち聞きをしていたが、この調子では徹夜になりそうなペースだ。中断させると判断をし、保住は扉を開けた。 「お疲れ様です」  田口は顔を上げる。十文字も頭を下げた。 「お疲れ様です」 「もうこんな時間だ。明日もある。帰るぞ」 「しかし」 「これ以上の議論は疲れるだけだ。明日にしろ」  十文字はもう少し話したいという顔をしているが、田口は保住に賛同した。さすがに頭が回らない時間帯だ。これ以上は効率を下げるだけと判断したのだろう。 「明日も付き合う。帰ろう。十文字」 「分かりました」  二人は帰宅の準備をする。その間、保住は腰をさすりながら、書類を机にしまい込んだ。 「腰、痛みます?」 「問題ない」 「そうは見えませんけど。送ります」 「いいって。一人で帰れる」 「でも」 「過保護にするな」 「いけません」  二人の押し問答を黙って見ていた十文字は、ぼそっと呟く。 「本当に仲睦まじいですね」 「そんなはずはない」 「ただの上司と部下です」  一斉に二人が否定するところも笑えると、ばかりに十文字は更に笑った。 「あの~……」 「なんだ」 「田口さんの係長愛はわかりましたから、お先に失礼させてもらっていいですか?」 「な、」  田口は顔が真っ赤だ。 「後は田口に締めさせるから帰っていいぞ」  十文字はペコリと頭を下げた。 「すみません。お邪魔みたいだから。お先に失礼いたします」 「お疲れ」 「お疲れ様」  彼がさっさと帰るのを見送って、保住は田口を見上げた。 「お前のせいだぞ。変な誤解を招くようなことは、控えろ」 「誤解を招くようなことなんかしてませんよ」 「しているからこうなるのだろう」 「いいじゃないですか。おれは保住さんを上司として尊敬しているのです」 「田口」  また揉め事に発展しそう。お互いに疲れているときはいつもそう。田口は保住の腰に腕を回して彼を引き寄せてきた。疲労が蓄積されているところへ、彼の匂いは、心が落ち着くはずなのに、逆にざわざわと胸が高鳴った。 「田口」 「今日はおれの家に行きましょう」 「無理。今日は、腰が痛む」    本当はこうして田口と一緒にいたいと思っているくせに。甘えたい気持ちが沸き起こるのかも知れない。気持ちとは裏腹な態度を取って、田口を突き放す。 「大丈夫です。変なことは一切しませんから」 「一切どころか、一度もないがな」 「それは、あなたが怪我をしていたからでしょう? そんなことを言うなら、させてくれるということでしょうか」 「無理。治ったとは言え、こうしてすぐに痛む。しばらくはお預け」  餌をぶら下げられている犬みたいな顔をする田口。彼が悶々としているのはよくわかっていた。  結局、二人の関係はキス止まり。付き合って、半年以上がたつというのに、なにも進展しないだなんてと悩んでいるようにしか見えない。  だがしかし。機会を失っているのだ。どちらから、というきっかけがあるわけでもなく、しかも骨折をした場所は、本調子ではない。体調もイマイチだと、別に無理してまでという程のことでもない。  田口は好きだ。だけど、どこまで、どう付き合うかと言うことを考える余裕もなかったのだ。 「でも、今日はおれの家です。もうこんな時間ですから」 「着替えがない」 「だから、着替えを持ってきてくださいと言っているでしょう?」 「面倒なことを言うな」  結局、文句を言っても始まらないのは、お互いがわかっていることなのだが、痛みでそれどころではない保住であった。

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