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第19章ー第167話 青春よさらば

「そっか。じゃあ、ここであの当時の同窓会でもしようか。小針(こばり)くんとかも呼んで……」  そこで様子を見ていた石田が口を挟んだ。 「十文字、小針は出入り禁止だ」 「なんで?」 「いいじゃない」 「無理、無理。あいつは無理! それに、あいつの噂をしていると……」  すると――カランカランと来店の鐘が鳴って、黒縁眼鏡のスーツ姿の男が顔を出した。 「おっす、来てやったぞ~」 「ほらみろ! 勘弁してくれ! こいつの話をすると絶対に来るから嫌なんだ!!」  いつもは穏やかな石田が、これでもかと嫌な顔をする。 「なに? なに? おれの話?」  小針と呼ばれた男はにこやかにそう言うと、石田の話し相手を確認しようと視線を向けた。そして、目を見張った。 「あれ?」 「小針」  (ひらく)は微笑んで手を振った。小針は嬉しそうに彼の元に駆け寄ると、両手を握って、それからぶんぶんと上下に振った。 「ひ、拓!? 嘘でしょ? やだ。なんで?」 「おい、離せよ」  彼の恋人である秋月が触れるならまだしも、別の人間、特にこの小針という男が触れるのは面白くない。十文字は小針の腕を引き剥がしにかかった。他の客もいる中で、店内は大騒ぎだ。  この男が一人やってきただけで、なんたること――とばかりに、石田は顔を押さえて大きくため息を吐いた。 「だから嫌なんだっ」 「おお、おお。今日はいつもより嬉しい騒ぎだね~」  小針はどうやら一人ではなかったらしい。彼の後ろからついてきた男は、愉快そうに小針たちの惨事を眺めた。 「菜花(なばな)さん、こいつをなんとかしてくださいよ」  石田は本気で頼みこむが、「微笑ましい光景じゃない」と男は笑った。 「あれ……」  十文字は菜花を見て目を見張った。  ――確か県の担当者ではないか?  保住や田口と行く県庁で話をする男だ。こんなところで出会うなんて。彼はあまり気が付いていないようだが……。珍しい名前と、雰囲気が特徴的で記憶にとどまっている。  ――なぜ彼が、小針と一緒に?  そんな疑問に駆られていると、石田が小針の頭にゲンコツを食らわせた。鈍い音にはったとして、視線を戻す。  小針は両手で頭を押さえてヒーヒー言っていた。これは強制的に終わらせるしかないと判断したのだろう。 「痛〜っ! 暴力反対!!」 「人の店で騒ぐな。追い出すぞ」 「ごめん。だって。拓に会うの久しぶりなんだもん」 「それはそうだね」  拓が小針をヨシヨシとしてあげている様を見ると、なんだか高校時代を思い出した。当時、拓はよく小針の面倒を見ていた記憶がある。 「今日はアメリカンでお願いします」  そんな騒ぎは余所に、菜花はさっさとカウンターに座ると注文を出した。 「あ、おれも」 「お前にはやらん! 断固拒否する」 「客に商品を提供しないなんて、どういう了見だっ!」 「店側にだって、拒否する権利だってあるはずだ」  石田はそんなことを言うが、結局は二杯分入れてくれているようだ。  ――これが日常なのだろうか?  十文字は呆れた。小針と石田は、従兄弟だと言う。  梅沢高校と(あおい)高校とは犬猿の仲だった。当時、梅沢を率いていたのがこの石田。葱を率いていたのが小針だった。二人はぶつかったり悪態をつきながらも、結局、両校の交流を復活させた功労者でもあったことを思い出す。  それにしても、大人になってまで当時のようなやりとりをしているとは。成長がないというのだろうか。十文字は笑うしかなかった。  自分も成長しているとは思えないが、ここにもまた、全く成長を遂げていない人たちがいることに呆れつつも、ほっとしていたからだった。騒ぎがひと段落して、小針は拓と十文字に声をかけた。 「それより、なんで二人で来てんだよ」 「え? つい先日、病院の夜勤に行こうとしたら、十文字にばったり出会ってね」 「十文字、体調でも悪いのか?」  小針の問いに十文字は首を横に振った。 「仕事だよ。今、星野一郎記念館を担当していて……」 「そうなの?」 「――ああ、そうか! どこかで見たことあると思った」  そこで初めて気がついたのか、菜花は十文字に視線を寄越した。 「知っているの?」  菜花の反応に小針は不思議そうに瞬きをした。 「保住くんのとこの新人くんか~。奇遇だね」 「いつもお世話になっております」 「こちらこそ」 「保住くんって?」  自分の知らないことがあるのは嫌――そんな顔。そんな落ち着きがないタイプだったが、今もそれは変わらないらしい。小針のしつこい問い詰めに、菜花は面倒がることもなく説明をした。 「梅沢市役所文化課振興係の係長さんだよ。いつもお世話になっていてね。頭が良くて話のよくわかる人で気が合うんだよね」 「夏宿(かおる)と気が合うなんて、変り者ってことだね」  小針は納得したように頷く。 「失礼だよねー。結助って」 「あのー」  十文字は口を挟む。 「お二人は?」 「県庁で一緒で。部署は違うんだけど。……なんて言うのかな?」 「なんで、そこでわからなくなるんですか」  小針は突っ込む。 「だって……」  眠そうな目を瞬かせて菜花は止まった。 「まあ、いいでしょ。その内、わかるよ」 「夏宿(かおる)ー」  小針は泣きそうな顔を見せる。本当賑やかで懐かしい時間だ。しかし、小針たちの登場で、拓との話は中断だ。  それでもなお、「いいものだ」と思えるのは、青春のあの時代を懐かし思うからなのだろうか。  十文字と拓は視線を合わせて苦笑した。 *** 「今日は悪かったね」  店を出て拓を見送ることにした。本当は送って行きたいけど、未練がましい気がしてやめた。 「ううん。本当にありがとう。有意義だった」 「帰れる?」 「バカにしないでよ。これでも梅沢に来て六年だよ!」 「そう言うんじゃなくて」  拓は笑った。 「こんなこと言うとズルイと思うんだけど」 「うん」 「また話して」 「わかってる。ありがとう」 「うん」  十文字はふと腕を伸ばして拓の腰を引き寄せた。 「十文字?」  不意なことに拓は、事情を飲み込むのに時間を要しているようでじっと固まっていた。 「ごめん。これで諦めるから。許して」  初めて触れた。ずっと好きだった。初恋だった。拓のことが、好きで好きでいたのに――。  初めて触れた彼は、痩せていて骨ばっていた。女の子みたいにふかふかしていないけど。でも、ふと鼻を掠める拓の香りに目を閉じる。  ――終わり。自分の初恋は、これで終わり。終わりは始まりだ。  ――これから自分は、どうなるのだろう?  心にいた彼が居なくなったら。ぽっかりと穴が開くのだろうか。 「十文字、あの」 「なにも言わないで。もういいよね。拓が謝ることでもないし。おれが謝ることでもない。ただ縁がなかった。そうなんだよね」 「十文字」 「ごめん」  十文字はそっと手を離し、距離を取った。もう近付くことも許されない。物理的にも――心理的にも。 「またね。今度はちゃんと友達で」  涙がこぼれ落ちそうな拓の瞳に映る自分。なかなかいい顔していると思うけど。そんな風に思ってしまう自分は馬鹿らしい。 「ありがとう。本当にありがとう」 「気をつけて」  泣いている彼を慰めるのは自分ではない。手を振って彼を見送る。    ――終わったのだ。  路地に消える彼の後ろ姿を見送って、十文字は思う。 「はあ……おれの青春。さよならだな」  ――だけど。  気持ちがすっきりしているのは、気のせいではなかった。

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