翌日、指定された赤ちょうちんに顔を出した。ここは市役所の近くにある小さい居酒屋だ。立地的に、駅から離れているこの場所で、わざわざ飲み食いで利用しているのは市役所職員が大半だった。 　水曜日はノー残業デーなので、店内はごった返すが、それ以外の日はまったりとした雰囲気の居酒屋だった。カウンターには六席程度。他に座敷になっているテーブルが三つあるくらいだ。普段は店主とその妻、バイトの女の子が一人。そんな小さい場所だった。 「こんばんは」 　中に入ると、カウンターに座っていた大堀が手を振った。 「こんばんは。お疲れ様です」 「すみません、遅れました」 「いやいや。まだ時間前だよ。田口くん」 　大堀は笑顔を見せる。彼の隣に座ろうと椅子に手をかけると、大堀が逆に立ち上がった。 「いや。田口くん。こっちです」 「え？」 　大堀は、トイレにいく方向に歩き出す。いつもフロアやカウンターで飲んでいることが多い田口からしたら、「どこに行くのだろう」と不思議に思うものだが、よくよく見ると、通路横に襖があることに気が付いた。 　彼は迷う事なく、その襖に手をかけた。そして、靴を脱いでそこに上がり込む。 　――こんなところに部屋があったのか。 　何度も来ているのに全く気がつかなかった。中は更に襖で仕切られていて、男四人が座れる程度の狭い座敷だった。 「こんなところに部屋があったんだ。知らなかった」 「おれも。吉岡さんに誘われるようになって、ここを知った感じだよ」 「ふうん」 　大堀は田口を奥の席に座らせた。 「隣に同じような部屋があるから、ここの仕切りを外すと十人くらいは入る感じかな？」 「なんだか秘密の会合部屋みたいだな」 「だよね。そして――そうらしいよ」 「え？」 　大堀は声を潜めた。 「ここは役所のお偉いさんたちが秘密の集まりをするのに使われるみたいだ。一つ使えば隣は誰も入らないように店主が配慮してくれるんだって。だから。秘密の話ができる訳」 「でも市役所職員が出入りする場所だろう？　秘密の会合って、出入りする時に目撃されてしまうだろう」 「裏口だよ、裏口」 「手が込んでいるな……」 　そんな場所があったとは、まだまだ知らないことばかりだ。田口がそんなことを思っていると、襖が開いた。 「ごめん、ごめん。誘っておいて遅刻しちゃったよ」 　吉岡は嬉しそうに笑顔で顔を出した。 「部長」 「お疲れ様です」 「ご苦労様」 　彼は嬉しそうだ。吉岡は二人に手を振ってから、田口の隣に座り込んだ。 「――いいのでしょうか……」 　田口は恐縮したように吉岡を見る。 「そんな顔しないで。いいじゃない別に。部長なんて言っても、こんな奴だしさ。おれは、役職で人を見ているつもりないし。気に入った人とこうして飲めるのは最高に幸せ」 　にかっと笑う吉岡の笑顔は明るい。なんだか、ほっとしてしまった。田口にとったら、彼は部長職。普通に職務についていたら、到底口を利くことすらままならない関係性だ。 　緊張して居心地悪くそこに座っていると、ビールが運ばれてきた。揃ったらお願いします、とでも大堀が注文していたのだろう。大堀という男は大変に要領がいい。そして気遣いのできる男だった。吉岡が重宝して可愛がっている理由が、こういう小さいところからも伺えた。 「それでは、初めての会合に乾杯ですか？」 　大堀の言葉に吉岡は大きく頷いた。 「これからの若者たちに乾杯だ」 「はあ……」 「乾杯！」 　田口だけ乗り遅れている感がある。吉岡も大堀も、人と成りがまだまだ理解できないからだろうけど――。そもそも、こういうノリには着いていけないタイプだと言うこと。そして、保住がいないと、こんなにも不安になるということ。 　ビールのグラスをぶつけ合い、それから奇妙な飲み会が始まった。